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【断想】「一番好きな〇〇は?」という問いはやめにしないか

僕には苦手な質問が幾つかあります。
その中でも群を抜いていつも困るのは、

「一番好きな〇〇は?」

です。

どうしてか?

理由は至って単純。
だって、一番ってそんな簡単に決めらないですもん!笑

みなさんの中にも「わかる!」と共感してくれる人は少なからずいるのでは?と信じて、ちょっとこの問いについて考えてみようと思います。

「一番好きな〇〇は?」という問いの意図

「一番」を聞かれることって結構多いですよね?
そもそもどうして私たちはこの質問をするのでしょう?

もちろん意図は場面によって色々考えられると思いますが、大きく分けて
・相手の好みを知りたい
・よいものを知りたい

の2軸が考えられるのではないでしょうか。

・「一番好きな俳優は?」と質問して「高橋一生か!△ちゃん、ああいう顔好きなんだ〜 じゃあ、□くんとか結構好きなんじゃない?」といったのが前者
・「一番好きなアニメは?」と質問して「コードギアスか!やっぱ面白い?観てみよ〜」といったのが後者
のイメージです。

しかし、仮に上記の二点のいずれかを知りたいのであれば、果たして「一番好きな〇〇は?」という問いが最適な尋ね方なのでしょうか?


「一番好きな〇〇は?」の有効性

まず〈相手の好みを知りたい〉場合ですが、
「好み」とは「好きなものの〈傾向〉」のことです。

〈傾向〉をすごく簡単に言いなおせば「AとかBみたいな」といったところですよね。

すなわち「好み」とは、「複数のものの共通項」でもって知ることができるものなのです。

こう考えれば、「一番」と敢えて一つに絞って教えてもらう必要はないということになりませんか?

次に〈よいものを知りたい〉場合。
こちらはもっとわかりやすいです。

基本的に「ええもん」「素敵なもの」があるなら幾つでも知っておいて損はないですよね。
無論「イチオシ」があればそれを知りたいところですが、同格一位があるなら両方知って問題ありません。

つまり「一番」を訊く必要はいずれにおいても特にないはずなのです!

「一番好きな〇〇は?」は不要か?

とはいえ、「一番好きな〇〇は?」という問いが全く無効かといえばそういうわけでもないと思います。

「一番」は〈選ぶ〉ものですよね。
この〈選ぶ〉という行為には「その人」がなかなかに表出します

複数のものから一つのものを選ぶためには、何らかの基準が必要です。その基準に個人の「価値観」が現れるのです。

つまり、相手の思考過程や判断基準・価値観を知るための質問としては一定の有効性を「一番好きな〇〇は?」は保有しているのです。

とはいえ、今述べた「価値観」のようなものを自覚している人はそう多くありません。
また「判断軸」がそこまで明確ではないという場合も多い。

すると、前者の場合、問いに回答できても、「どうして?」と尋ねると答えられない、
後者の場合は、一つに絞れず答えに窮するということになります。

これでは、相手の価値観を知ろうという試みも空振りに終わってしまいます。

それならば、好きなものを複数挙げてもらい、それを前提として一つに絞る作業を一緒にしていく方が合理的ではないでしょうか?

「好きな〇〇教えて」で良いのでは?!

以上のように
・相手の好みを知りたい
・よいものを知りたい
・相手の価値観を知りたい
いずれの場合においても、

「好きな〇〇は?」

という問いで十分、いやむしろ理にかなっていると言えるのではないでしょうか。

「一番好きな〇〇は?」という問いは誰もが日常会話で使う表現ですが、案外その「当たり前」は問い直す余地のあるものかもしれません。

みなさんはどう思われますか??

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