ちょっと先の不幸せを前払いするということ
今回のお話
意思決定というとなんだか大それた感じがするのですが、一日の中でたくさんの選択を我々は行っています。
何をやって何をやらないのか。
誰とやって誰とやらないのか。
そういう繰り返しの中で選択のクセが付いてきます。刻み込まれた年輪のように。
今回は、己の中に選択のルールを持つことについて考えていきましょう。
目的と基準
選択とは現時点で自分が取りうる選択肢の中から一つ行動を抜き取ることです。
その選択肢が最良なのか最悪なのかまあまあなのかは、結果として後から判定するものです。
そしてその判定には己の経験や知見から形成された基準によります。
自分自身の経験や知見から基準を持つことは重要だと考えています。
基準が無ければ選択肢に対する評価ができません。行き当たりばったりというのも一つの基準ですが。
そう考えると何に対する基準なのかということが必要になります。
そしてそれが目的です。
自分の人生において、あるいはより短期的に仕事やこの一ヶ月で成し遂げたいことは何でしょうか。
どうありたいかというのが目的です。
なんとなく高い年収が良いとか流行りの職業につきたいというOptionではなく模索しながらも幸せになりたいとか誰かの助けになる存在になりたいというBeingを持つことが一つの目的だと考えています。
わりと不自由なく暮らせる中でこの先重要になってくるのは、際限のない成長ではなく自分の中のWell-Beingに到達することだと思います。
何をするかではなくどうありたいかを考え、それがコロコロと変わるものであってもそこに対してどれだけ寄与しているのかという点が一つの基準になるのです。
つまり目的があり、そこに対する確度という重み付けが基準であり、そこから確度の高いものを選ぶ行為こそ選択というわけです。
そしてそれは大それたものではなく日々自分が行なっていることの総体であるのです。
こういった局面ではこのような行動を取るというのが、段々と固定化していくものです。
目的や基準がある程度明確化してくると次にそういった固定化したものを融かして再形成していく段階になります。
それが、ラーンとアンラーンだと考えています。
自分の中に基準を作ったり、選択肢の幅を増やすことがラーンであり、固定化されたものの不用な部分を剥ぎ取ることがアンラーンです。
目的をセットしてある基準に基づいてラーンとアンラーンを繰り返していくことが自分の中に確固たる規範を形成していくのだと思います。
規範とはこうあるべきであるというある意味絶対的なルールということです。
規範の中で行動し、規範をゆるやかに広げたり狭めたりする。
その積み重ねが、自分の思考の血肉となり差別化していくように思えます。
自分なりのルールを足していくことがこの時に考えることなのかもしれません。
最後に
今この状態を変えられず、選択を先延ばしにすることは、現状維持バイアスと損失回避性で説明可能です。
ただ、理解しても行動しないのは自分に対する言い訳だと思います。
その壁をほんの少し越えてみることが幅を広くし色々な領域にエントリーすることができるようになるのだと考えます。
今の幸せを優先してちょっとした不幸せを積もらせていくのは本当にもったいなく感じますし、少しでもその負債を返済せねばとつくづく思います。
もしかすると今なぜこのようなことをしているのだろうと考えた際には、先の不幸せを前払いしていると思うと少しは楽になれるかもしれません。
先の不幸せを前払いする選択を常々撮っていきたいものですね。
それでは、また。
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