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2024.3月日記、前半

3/1(金)

3月が始まった。3月は弥生
ますます生い茂るという意味のまさに芽吹きの季節だ。
まてまて、確定申告の締め切りが見えだして、弥生会計にお尻たたかれるわけでは決してないぞ。

どうも締め切りが射程距離に入らないとエンジンが掛からない性格だ。
ゆとりを持ってやると、「あれ忘れてないかな。これ大丈夫だったっけ」
と変な心配ばかりしてしまう。ならば一発終了のが精神的には楽かもだ。

3/3(日)

桃の節句のひな祭り
うちは男の子ばかりだったからお雛様を出すこともついぞなかった。
自分のとか、母方の伯母から頂いたお道具とかあるんだけど、物置で眠ってるだけ。そろそろ断捨離する時期かな。

桃と言えば、梅や桜と区別つきますか?
甲府盆地の桃畑とか、梅林とか、桜並木みたいに集団であれば、まあ間違えようがないよね。でも、1本で生えてると意外と見分けがつかない。
特に、しだれ梅や花桃、しだれ桜は、「あれ、どっちかな?」と悩む時があるよね。
見分け方は、花びらが丸いのが梅、花びらの先が尖っているのが桃、切れ込みがあるのが桜だそうだ。

3/4(月)

昨晩のNHKの大河ドラマ「光る君へ」を観ていてちょっと疑問だったんだけど、なんでも平安時代のあの頃は、庶民や(たぶん貴族でも)人が亡くなると鳥辺野とか化野、蓮台野に運ばれて風葬(鳥葬)されていたようだ。
都のあった京都だけかもしれないのだけど、縄文の時代からだってちゃんと亡骸は埋葬されていただろうに、もっと時代が進んだ平安時代に風葬というのがなんだか解せなかった。
それも三大葬送地が決められる前は、都のあちらこちらにそのまま捨て置かれていて、伝染病の温床だったというのだからさらに驚きだ。
仏教伝来から何百年もたっているだろうに、亡骸の扱いが意外とぞんざいだったのだな。

3/6(水)

雨の日以外は毎晩、ご飯を食べにくる野良にゃんたちに向かって、
相方「たまには金おいてけ」とのたまわっていたw
まあ、餌のポリポリが随分値上げしちゃって、買い物担当の相方としては、
気になるの?なんなら私のおかず一品減らしたっていいよとも思うけど。

そんな野良にゃんの1匹茶白が、ときどき背中に紙切れを貼ってくるんだよね。最初は子供にいたずらでもされたのかなと思っていたんだけど、
どうやらよその家にある猫ハウスのお布団だったもよう。
ここまで気にしないで歩いてくる茶白もまだ2歳位だけど、大物になりそうだ。

3/8(金)

3月に入ってからずっと花粉マックスで死にそうだ。
毎年こんなにひどかったかなあと思うのだけど、毎年ひどかったのだろう。
シーズン最初の頃は鼻水垂れ流し状態だったけど、今は目のかゆみが止まらない。ここ数年目をかきすぎるので、軽度だけど眼瞼下垂になってしまった。これとってもうっとうしい。

3/11(月)

花粉症のせいでいつも涙目で目がかすんでいるので、本が読み辛くてしかたがない。早くいつものペースに戻りたい。。。

きたきた捕物帖 宮部みゆき著
文句なしにおもしろい宮部みゆきの江戸ワールド。未熟でも素直で真摯なら愛の手はどこからでもやってくる。いつもながら読後感がよい。
挿絵もほのぼのとしていて親近感が持てる。

魔女と過ごした七日間 東野圭吾著
相方が借りてきた本を読ませてもらう。
おもしろいんだろうけど、どうも東野圭吾は私の肌に合わない。
初期の頃は好きだったけど、なんというか説明調なところが多いかなって思う。内容を時流に乗せたがるところも鼻につく(ファンの方すみませぬ)

3/15(金)

3/13から今日まで、庭の植物の植え替えと、これからの野菜作りに向けて狭いエリアだけどスコップを振るって、駐車場の片隅を耕した。
こういう仕事が花粉の飛ぶ時期というのがなんとも辛い。
それでも、ほんの数ミリほど芽を出した宿根草や延びてきたバラやクレマチスの葉、今がシーズンと咲き乱れる春の花々。
植物は毎日飽きずに眺めていると、確かに動いていると感じるし、手を掛けただけ答えてくれる。
なるべく自然な形で育てたいので、ダム湖からバーク堆肥を頂いてきたり、
生ごみや草で堆肥を作ったりもする。
卵の殻や納豆菌、木酢液、化学的でないものでも十分に栄養や虫除けにできる。これからの季節が楽しみで仕方ない。

この庭が花盛りになっていくのが楽しみ


*トップ画像:ルリビタキ♂


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