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みえない

私は死んだ。留学先のアメリカで事故にあってしまったのだ。あと一度だけでいいから日本の家族に会いたかった。悔しさでいっぱいだったが生命は待ってくれなかった。

死んでしばらくしたとき、急に身体に自由が戻ってきた。とりあえず歩いてみよう。足で地面を踏みつけるとずしっと重みが返ってくる、生きていた頃と同じだ。ずいぶんと勝手よく歩けるものだと感心して私は病室のドアを開けた。

ドアの外にあったのは病院の廊下ではなく、日本の実家の近くにあるスーパーマーケットだった。なるほど不可思議なこともあるものだ、せっかくだからあれこれ試してみようじゃないかと思い立ち、とりあえず大根を手に取ってみた。ズシッとした重さと少しひんやりした手触りが伝わってくる。隣のジャガイモも手に取ってみる。ザラザラとしていて凹凸のある私のよく知るジャガイモ。私はまだ生きているのではないかと思うほどに自然である。

しかしその錯覚はすぐに打ち破られた。後ろを歩いていた若い女性が「ヒャッ」と声をあげたのである。それを合図にみなが私のいる側を見てあわて始める。スーツを着た背の高い男が私の方を指さしながら「ジャガイモが浮いているぞ」と叫んだ。そうか、私は死んでいる。皆には私の姿は見えていないのだ。だからといってそんなに大声で叫ぶこともなかろうに。いちいちこんな調子ではどうしようもないから何も手に取らずにただ店の中をぶらつくだけにした。

精肉コーナーに差し掛かったところで私は懐かしい声を聞いた。一瞬にしてこれが誰の声かわかった。渡米してから長らく会えていなかった母の声だ。しかし私はもう死んだ身、私からすれば母との再会ということになるのだけれど母には私の姿は見えていない。ごめんねママ…

「あれっ、ミズホじゃない! もう会えないかと思ってたーーー」
「…ママ? 私が見えるの?」
「当たり前じゃないの! ママがどれだけミズホのこと愛してきたと思ってるのよ」
母が涙ぐみながらいうものだから私も堪えきれなくなってわんわんと泣き出してしまった。他には見えていないのをいいことに私は母に思いきり抱きついた。母は私の頭を撫でながら震えた声でつぶやいた。

「ミズホ、ちゃんと帰ってきてくれたのね。ありがとう」

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