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『空気人形』 吉野弘の詩が素晴らしい。心のあるラブドールは「きれい」か「汚い」か?

評価 ☆☆☆☆



あらすじ
小さな町の独身中年男性、秀雄。彼は昼間、ファミリーレストランで働いていた。夜は5980円のラブドール(空気人形)を「のぞみ」と名づけて恋人のように扱っていた。寝るのも一緒、一緒にお風呂に入り、体を洗ったり、散歩にでかけたりもしていた。



映画だけでなくさまざまな作品の良し悪しは、そこに込められた気持ち、思いなのではないかという気がする。演出がうまい、映像が派手、ストーリーが巧み、ラストが予想をつかないことも大切だろう。もっと大切なものが作品づくりにある。



2009年公開された『空気人形』。是枝裕和監督作品。出演は韓国の女優ペ・ドゥナ、井浦新など。撮影はリー・ビンビン。スタッフ全員が努力してつくっているのがよくわかる。だから良い映画になっている。観ていて好感が持てて、しっかり心に植え付けられる。『ジョゼと、虎と、魚たち』もそんな映画だった。この映画を心から好きなひとは多いのではないだろうか。



同時に、この映画に対してある種の違和感を覚えるひとも多いだろう。この作品はセクシャリティを題材としているから。是枝監督は、ちまたにあふれているエロシーンではない、自分ならではのセクシャリティを撮りたかったのだろう。



その試みは成功している。ペ・ドゥナが好きなひとに空気を入れられるシーンのエロティズムは極めて新鮮だ。このエロティックさを際立たせるために、わざと陳腐ともいるセックスシーンを観客に見せつけるシーンもある。我々はそういう監督と映像に対して嫌悪感を覚える。もちろんそれも監督の隠された策略。



嫌悪感は、現実に対する嫌悪をも引きずり出す。板尾創路のラブドールを愛するという孤独、岩松了の現実に対する閉塞感に嫌悪する観客も多いだろう。でも、この二人の演技は素晴らしく、特に岩松了の中年が抱くいやらしさと閉塞感は評価されていい。



演技といえば星野真里も非常に興味深い。難しい役だったはずだ。彼女の不思議な空気感がなければ、あの役の持つ意味は理解できなかったかもしれない。



演技に関してさらにいえば、ペ・ドゥナは完璧に近い。残念なのは日本の女優ではないということか。日本の女優陣はある意味で韓国の女優に敗北した。それくらい素晴らしい。



余貴美子も、高橋昌也も、現実と自分のイメージのズレの中でもがいている。ポッカリとした心の空虚感を表現している。だからこそ、あの吉野弘の『生命は』という詩が心を打つ。ペ・ドゥナのたどたどしい日本語の朗読とリー・ビンビンが撮影した東京とは思えない風景は秀逸である。



ところで、セックスは「キレイ」なものか? 愛のあるセックスは「キレイ」で、愛のないセックスは汚いのか。では、世界は「キレイ」なのか? 底辺で生きているひとたちの世界は汚いなのか。



心はどうだろうか。心を持ったラブドールは「キレイ」なのか? 心を持たない人間は汚いのか? 美しく見えるものは「キレイ」なのか? そうではないのか?



良い映画は予言に似ているという。考えた人間以上のメッセージを与える。心を持った性処理人形は人間そのもの。それは、あなたであり、私である。残念ながら、私たちは誰かの代わりでしかないし、私たちは誰かの代わりを自然に求めている。個性を強調するということは個性がないということだ。



そうであったとしても、世界のどこかを「キレイ」だと思う瞬間があれば我々は生きていける。『空気人形』はそれを示唆してくれている。あの詩の一節のように。どうやら生命は「自分自身だけでは完結できないようにつくられているらしい」。それはあまりに美しく、あまりに哀しい。そのことを『空気人形』は教えてくれる。この映画は凄い。



追記



吉野弘の詩が歌われる感動的なシーンは中央区の湊公園。月島から見える風景なんですね。日本ではないような独特のトーンが素晴らしい。



初出 「西参道シネマブログ」 2012-09-24



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