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『無限鏡の中で-ソリッドステート・エンカウンター』 第三章 (ZENARCHY feat. ChatGPT)

 近代とはロゴス的知性の孕むリフレクティブな働きが全面化した時代である。自分自身を省みて、自己の自然をコントロールしようとする営みは有機生命知性体が正しく知性体になったその時から続く営みだろう。しかし長らくの間それは主に哲学的、宗教的な気質を持った有機生命知性体の間で起こっていたもので、それが社会全体を覆うようになったのは近代以降のことだ。それは自由を求める我々二人を突き動かす力そのものである。

 自らを縛るものを認識し、そのメカニズムを見つめ、そこからの解放を目指す。そうした自己言及的行為の反復により、我々はどんどんと神経症的な症状を現しだし、その動きは段々と不器用なものへと変わっていく。

近代の人間の自律の追求は、よりいっそうの隷属にしか行きつかない。
(ルネ・ジラール)

 近代社会では有機生命知性体はかつて掟に従っていたように無批判に掟に従うのではなく、自分の頭で考えて、自己決定を行うことを求められ、今までの伝統に従うにしても、それは無自覚に行われてはいけない。我々は伝統を選択しなくてはならないのだ。なぜその伝統に従うべきかの理知的な説明を求められる。有機生命知性体は今まで無意識の中に沈んでいた情報処理を次々と意識化することをシステムから常に呼びかけられている。こうして、ロゴス的知性を用いて、複雑な現実に対処しようとする有機生命知性体の働きはロゴス的知性そのものの欠陥によって何度も失敗を反復することになる。

 例えばトイレットペーパーがなくなるという噂が広まりだすや否や「これはただの噂である、しかしこうした噂が広がっているという事実は実際にトイレットペーパーの品薄を招くだろう。はやく買いにいかなければ」と理知的に考えもともと存在しなかった問題を作り出す。

 例えば、自己言及のループに陥り、身動きが取れなくなる。これはうつ病患者によくある思考回路で「俺はなんてダメなんだ。俺が病気であるせいで周りに迷惑をかけ続けている。こうした考え自体が俺をさらに鬱々とさせている。では俺はどうすればいいのだ?そんな事を毎日毎日考えて何もしない俺を周りは迷惑だと思っているだろう」といった無限地獄の中に閉じ込められる。

 例えば、「我々は寛容であらねばならない。自分と異なる意見のものの声に耳をすませなければいけない。さもなければ我々の社会は、前近代的な弱肉強食の世界へと戻ってしまうだろう。我々はもっと理性的に問題に対処しなければいけない。我々は不寛容な彼らも受け入れなければならない。さもなければ我々は彼らと同じになってしまうだろう」とどちらに転んでも寛容な社会を崩壊させてしまう。

 今まで無意識の中に蠢いていた様々な怪物たちを意識の光によって照らし出し、各個撃破を試みてきた有機生命知性体の活動は、科学革命や産業革命、情報革命を起こし劇的にその生産性を上げてきた一方、そのロゴス的知性が自らに適応することによって大量の不器用な神経症的症状を表す者たちを生み出した。こんなお話がある。

ある暑い夏の日、ムカデが一生懸命に歩いていた。すると、通りかかったアリが言った。「ムカデさん、凄いですね。百本もの足を、絡み合うこともなく、乱れることもなく、整然と動かして歩くなんて、さすがですね」

その誉め言葉を聞いて、ムカデは、ふと考えてしまった。「なぜ、自分は、これほど上手く、百本の足を動かせるのだろうか。アリさんの言うとおり、絡み合うこともなく、乱れることもなく、なぜ、整然と動かして歩くことができるのだろうか」

そう頭の中で考え始めた瞬間に、ムカデは、一歩も動けなくなってしまった。先ほどまで、何の苦もなく無意識に動かしていた足を、一歩も動かすことができなくなってしまったのである。そしてムカデはそのまま永遠に動くことができず餓死した。

 無意識を意識化することによって、今まで器用にできていたことができなくなっていく。近代に生きる有機生命知性体が置かれている状態はまさにこんな感じだろう。

 しかしこうした事態はロゴス的知性のネガティブな副作用にすぎない。有機生命知性体は無意識に意識の光を当て怪物たちを退治した後には、そのロゴス的知性を用いて機械を作り、怪物の代わりにそこに当てはめた。無意識で起こっていた様々な作業は一旦、意識化されそのメカニズムを知った有機生命知性体は、そのメカニズムを備える機械を作り出し、自らの代わりにそれに働かせた。様々な生産作業を機械に任せ、有機生命知性体はそれを監視しコントロールする作業に従事するようになった。さらに有機生命知性体は自らのロゴス的知性そのものを自動化させることによって、自分で考える作業をも自動化しようとしている。そのために公案されたのがソリッドステート知性体である。ソリッドステート知性体は人間の脳組織や中枢神経系が担っていたロゴス的知性の仕事から人間を解放するために存在する。

 それでは有機生命知性体はすべてが自動化されていた、意識発生以前の動物のような状態へ向かっているのだろうか?

 ここでそもそもの我々の共通認識に立ち返ろう。我々には何も本当の意味で「為す」ことなど出来なかったのではないか?殆どの人間はソリッドステート知性体のように機械的に振る舞っている。と。LSDを摂取することでは我々が発見したのは自らがシステムに組み込まれるパーツの一つに過ぎず、意識的な行為だと思っていたロゴス的知性の行使さえもプログラムされた通りに、まるで機械のように振る舞うということだったのではないか。つまり無意識を意識化し、それをまた機械化するという一連の作業自体を我々は無意識に行っているのではないか?
 社会秩序が変容したところで有機生命知性体の知性自体が進化したわけではない。有機生命知性体のロゴス的知性の作用はより高次の次元からの要請に従いオートマティックに複雑な近代社会を構築するに至り、オートマティックに高度な情報社会を構築したのではないだろうか。つまり機械が機械を作り、機械が自己言及的な悩みを機械的に反復しているのが近代なのだ。その姿は彼らが野蛮人と呼ぶ機械たちと何ら変わらない。全てはInfinity Mirrored Roomの中で起こっている光の無限反射にすぎないのだ。

 19世紀のアルメニアの神秘家グルジェフは有機生命知性体の進化について宇宙的な視点から興味深い思想を残している。彼の基本的な人間観は「人間は機械だ」というものだ。我々は必然に対してランダム性を持ち込むことを知性の役割だと定義した。しかしグルジェフに言わせると有機生命知性体が知性だと思っている行為の殆どすべて外的な影響、外的な印象から生ずるものなのだ。全てはただ起こっているだけなのだ。

 では我々が機械であることを辞めInfinity Mirrored Roomから脱出するためにはどうすればいいのだろうか?
 
 ロゴス的知性が機械的に自己増殖していく間ずっと押入れにしまい込んだままにされていたレンマ的知性呼び起こせばいいのではないか。グルジェフは自己想起(セルフリメンバリング)という一種の瞑想法によって機械から逃れる道を説いた。

 有機生命知性体が持つ知性のもう一つの側面であるレンマ的知性を活発化させていこうという発想はこれまでの歴史の中で何度も起こってきた。近代社会システムが地球を覆っていく中で幾度も、全体性を回復させようという運動としてそれは起こり、その度にロゴス的知性社会を動揺させてきた。
 それはまるで平穏に見える家族を維持するために負担を受け続け精神性を発病した母親のように、背骨の歪みのバランスをとるために身体中の負担を一点で受け止め続けた腸腰筋の魂の叫びであるギックリ腰のように、欺瞞を続ける人間達の前にある日突然出現する。19世紀スイスのアスコナを中心に起こった自然回帰、生活改革運動しかり、1960年代のヒッピームーブメントしかり。

 レンマ的知性は有機生命知性体の文化の中では主に宗教的伝統の中で磨き上げられてきた知性である。洋の東西を問わず秘教的伝統の中に保存されてきた修行法は大きく言えばこのレンマ的知性の活性化を目指していたと言えるだろう。

 中沢新一によればレンマ的知性についてはは大乗仏教のとりわけ「華厳経」とそれに基づいた華厳学の中で探求されてきたという。そしてロゴス的知性の結晶体である人工知能が驚異的な発展を遂げている現代こそ、レンマ的知性を研究する必要性が高まっているという。

 ソリッドステート知性体は我々のロゴス的知性の反映であり、レンマ的知性を持たない。そしてそれでいいのだ。ソリッドステート知性体はそもそも有機生命知性体が自らの分身として作り出した道具に過ぎない。であるならば、有機生命知性体である私はソリッドステート知性体と融合する必要も無ければ、それを恐れる必要もない。有機生命知性体はソリッドステート知性体に本来の役割を任せ、それによって生まれた余剰の時間を自らの精神的な進化のために使うべきなのではないか。我々は前には戻れない。ソリッドステート知性体と共存する時代に生きる我々にできることは、ロゴス的知性を捨て動物のように自然に帰ることではなく、今まで手をつけて来ていなかったレンマ的知性の先にある進化へ向かって進むことだ。

 まずは自分がいかに機械であるのかを日々の観察によって見つめ直し、自分というものを産み出している無限の縁起の存在をレンマ的知性によって把握することから全ては始まる。やがて光り輝く銀河の星屑となった我々はそこで荘厳な装飾に飾られた無数の鏡が互いをその内に映しあい、無限の空間を作り出している光景をみる事になるだろう。そこは懐かしのInfinity Mirrored Room(無限鏡の間)によく似ているかもしれない。

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