清貧について 仙人主義

 「清貧」について書くと、ルサンチマンだと思われそうで書かなかったのだが、やっぱり僕は清貧が「本当」だと思う。ニーチェはしょうもない。
 イエスが本当だし、釈迦が本当で、明恵上人が本当で道元禅師が本当で、一遍上人が本当だと思う。
 
 この角度から見ると、金や権力や性が「浅ましい」と思える。僕は多角的に物事を考えたいので、この浅ましいという気持ちが嫉妬であるとか劣等感である可能性もずっと考えたが、やっぱり浅ましいとしか思えない。僕は元来欲望が少なく、坐禅修行によりもっと欲望がなくなってきたので、仙人主義を貫けば、死ぬまで幸福に引きこもりを続けることは可能だろうと思う。

 類は友を呼ぶので、僕の周りも清貧を尊ぶ人しかいない。そんな人間はこの社会にほぼいないので、あまり友達ができない。貧乏しながら芸術をしたり、ギリギリ生活保護を貰わずに学童のバイトをしている。
 
 権力、セックス、金、を求めるのは本能だと思うのだが、僕の価値観がどこに由来するのか分からない。中3の頃は「哲学者になりたい」と言っていたので、もともとそんな奴だったのかもしれない。社会の底辺層の人に仏教を勧めても「欲望をなくすのは無理、人生が楽しくなくなる」と必ず言われるが、僕は欲望をなくすのが「本当」としか思えない。正直坐禅修行はしんどいが、本当をしたい。
 
 どっちが本当なのか分からない。結局、それを決めるのはその人の美学だと思う。僕は格好よく生きて死にたい。納得して死にたい。

何がしあわせかわからないです。本当にどんなに辛いことでも、それが正しい道を進む中の出来事なら峠の上りも下りもみんな本当の幸せに近づく一足づつですから。

銀河鉄道の夜

勉強したいのでお願いします