創作の条件 幸福

 餅犬製作所というエロ漫画家の方が「理想のエロ漫画を自給自足したい」と書いていた。読むと結構特殊な性癖のようで、あとがきでもその哲学が強く語られていた。理想の創作だと思った。

 僕は創作が好きだけれど、創作の批判ばかりしてきた。神様ごっことか偽善者とか権力欲の塊とか。やっと自分で創作を肯定できるようになったのでうれしい。僕は不幸だったから、創作を肯定できなかった。創作を幸福の手段に貶めるのは、自分の作品に失礼だと思っていた。

 飢餓の感情で文章を書くのが嫌だった。認められたいとか褒められたいとか思いながら、作品を創るのは嫌だ。創作というのは「幸福」の手段としては最悪だと思う。自分の才能がいつ枯れるか分からないし、創作に依存していると、アイデアが出なくなった時に凄く病んでしまうと思う。
 金や他者の視線が混じると、作品が純粋でなくなってしまう。

 浄土真宗の法話で、こういう例えを聞いたことがある。旅行に行くと、まずすることは宿をとることだ。宿をとらずに観光すると、いつのまにか日が暮れてしまって、宿が見つからずに野宿してしまうかもしれない。信心も同じで、まず念仏を頂かなければならない。信心を頂かずに生きていると、急に死んだ時、極楽ではなく地獄へ行くかもしれない。
 まず宿をとらなければいけない。宿をとれば、安心して活動できる。

 自分の性癖の文章を書きたい。絶対に楽しいし、完成したとき、読みながらうっとりしてしまうと思う。具体的に言うと梶井基次郎みたいな、短編で極度に詩的な散文の形式で、(漫画の)悪の華みたいなこじらせ感のある「情景」を書きたい。ストーリーはいらない。今までにないものだから、自分で書くしかない。
 「別に人に見せなくていいから書きたい」と思えた。実際に恋人ぐらいにしか見せないと思う。

 創作って結局オナニーだ。やっとオナニーができるようになった

 

勉強したいのでお願いします