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刀鬼、両断仕る 第三話【和葉】上


◇【前回】◇


「あの」

 馬上から声を掛けられ、村人は顔を上げた。
「聞きたい事があるのですが」
「……はぁ、構いませんがね」
 女の、武者だった。
 黒く長い髪を後ろで結び、手甲と脛当てを身に着け、腰に刀を差している。
 畑の雑草を抜いていた村人は、奇妙だと思いつつ手を止め、腰を伸ばす。
「すみません、お仕事中に」
「いえ、そろそろ休もうと思ってたとこですんで」
 それで、聞きたい事とは何です。
 村人が問い返すと、女武者は栗色の瞳で周囲を見回しながら、こう尋ねた。

「少年を、探しているのです」
「はぁ、少年。どんな……?」
「齢は十ほど。武家の子息なのですが……」
「ふむ」

 村人は顎に手を当て考える。
 覚えは、あった。それらしい者を見たと、隣の畑の女房が言っていたらしい。
 答えると、「それは何時の事です」と女武者は更に問う。

「さて。二日ほどは前の事でしたかね」
「……二日、ですか……」

 今度は女武者が考え込んだ。
 口を堅く引き結び、じっと遠くの山の向こうを見つめる。
 その横顔に、村人は思わず目を奪われた。手甲や刀に気を取られていたが、よく見れば、女性の顔立ちは村の者とは比べものにならぬ程に整っていたのだ。
 かといって、何をするでもない。
 ただ珍しいものを見られたなと思いながら、村人は畑作業に戻ろうとする。

「……すみませんが」
「おや、まだ何か」
「いえ、その……人を、集めて欲しいのですが」
「村の衆にも聞くんで? 話せる事はあまり無いと思いますが?」

 聞いたのは、ただ少年が鬼気迫った顔で走っていったという、それだけだ。
 見た当人から聞いてそれなのだから、村人を集めた所でどうにもならないだろう。
 それとも、人手が欲しいのか。それならば分からなくもないが……

「お話はもういいのです。ただ……武器になりそうな物も、持ってきて戴けますか」
「……武器? 鍬とか鋤とかしかありゃしませんが」
「それでも構いません。手に馴染んだものが一番でしょう」
「はぁ。……それであの、村の衆を集めて、何をなさるんで?」

 子どもを探すのに、武器は要らないだろう。
 武者の考える事は分からぬなと首を捻っていると、彼女は目を伏せ、悲し気に答える。

「……殺すのです」
「はっ……?」
「大変、心苦しいのですが……その方が良いと判断しましたので……」
「殺すとは……獣ですか? それともまさか、その子どもを……?」
「いいえ。きっと彼が戻って来るであろう、この村の方々……全員を、です」

 言いながら、女武者は刀を引き抜く。
 青みがかった刀身は、太陽の光を反射しながら、馬上でふわりと振り下ろされる。
 何を言っているのか、村人は理解出来なかった。
 けれど次の瞬間、村人の左耳が、ぽとりと畑の上に落ち……

「では、村の方々を」

 お呼びくださいませ。
 緩やかな、柔い口調で投げかけられた言葉に、村人は恐怖する。

 あれは、女武者などではない。
 もっと得体の知れぬ、人の皮を被った鬼だ。

 それから、数刻。
 村は鬼によって、蹂躙される。

 *

「何故だ!」

 真波は声を荒げ、無粋の前に立ち塞がった。
 無粋は溜め息を吐きつつ、そんな真波を無視して押し通る。
 夜が明け、歩き始め、これが七度目の問いだった。

「何故断るのだ! せめて理由を言え!」

 原因は、無粋が真波の誘いを蹴ったからである。
 己と共に、『天刃』を名乗る刀鬼を討ち倒して欲しい。
 その願いは、決して無粋の目的と反するものではないと、真波は睨んでいたのだが。
「……他を当たれ」
「他! 刀鬼と戦える他などいるものか!」
「なら諦めろ」
「笑止! 賊に国を奪われたまま黙っていろと!?」
「……なら………。………」
 面倒になって、口を噤む。
 すると真波はまた叫ぶ。何故だ、と。
 これで八度目だ、と無粋はぼんやりと思った。

「無粋殿は、刀鬼を敵と思っているのだろう!」
「ああ」
「そしてこの脚は、滝河国へと向かっている!」
「さぁな」
「そうか! 口では断りつつ、本心ではという」
「違う。勝手な事を言うな」
「何故ッ!」

 九度目。無粋はフンと鼻息を鳴らすと、真波を睨みつける。
 真波もまた、無粋を睨みつけていた。こうも話の分からない奴だとは思っていなかったからである。
「無粋殿も知っているだろう? 刀鬼は……その殆どが一騎当千の猛者揃いだ」
「ああ、知っている」
「我が国の城も、故に破られた。同盟国へ助けをと思い走ったが、正直な話それが上手く行くとは……思えん」
「そういうものか」
「そういうものだ! それにもし軍を派遣してくれたとして……」
 万一にでも、『天刃』を同盟国が撃破したとして。
 その時はその時で、滝河国がその国に支配されるのは明白だった。
 他に道がないのなら……と、次善の策として真波も走っていたのだが。
「だが、無粋殿ならば! 刀鬼に匹敵する力を持つ無粋殿なら……!」
「……刀鬼に、匹敵?」
 ざわりと、無粋の気配が膨れ上がった。
「いや、そうではなく。刀鬼以上の強さを持つ無粋殿ならばだな……」
 全身の産毛が波打つ感覚がして、真波は慌てて言い直す。
 どうもこの御仁には、触れてはならぬ部分があるらしい。
 自分の提案を断るのも、それが理由だろうか。真波は思いつつ、提案を続ける。
「きっと無粋殿なら、単独でも刀鬼と戦えるし、勝てる。そうなれば私は、私に出来得る限りの返礼をお約束しよう!」
「要らん。富も名声も。オレは無粋だ」
「むぅ。しかし……しかしだな……」
 打つ手が無くなり、真波は焦る。
 実際の所、彼は放っておいても独りで滝河に向かい、『天刃』と戦うのではないか……と、真波は思っていた。けれど、それでは問題だった。

「……無粋殿、荒刈に殺されかけていたではないか」
「……………………」

 無粋の足が、止まる。
 不味い事を言ったか、と真波は慌てるが、しかし事実は事実だ。
 ままよ、と覚悟を決め、真波は更に深く切り込むこととした。

「そう。無粋殿はお強いが、独りで何人もの刀鬼を相手取るのは、少々無理がある」
「…………」
「しかし、しかしだ無粋殿。私が持つ『龍鱗丸』の鞘があればだな……?」
「……一つ、言っていなかったことがある」

 無粋は言いつつ、背に負った『無粋』を真波の鼻先に突き付ける。
 圧倒的な質量を目前に感じ、たらりと真波の額に汗が垂れた。

「次、オレにそれを使えば、オレはお前を許さない」
「なっ……!」

 意外な言葉だった。真波にとっては。
 死にかけていた無粋を救い、傷を癒したのは紛れもなくこの鞘なのだ。
 それを使って、有難がられこそすれ、恨まれる筋合いが何処にあろうか。

「何故だッ!?」

 十度目の問いである。
 無粋はややあってから『無粋』を背に戻し、深く溜め息を吐いた後、答える。

「オレは『龍鱗丸』も折る」
「っ……!?」
「オレは刀鬼も、刀鬼を生み出し得る物も全て許さない。だから、その鞘も」

 嫌いだ、と無粋は呟いた。
 本音を言えば、無粋は鞘に助けられたと知った時から、全身を掻きむしりたい衝動に駆られていた。真波が小さな子どもでなければ、実際にそうしただろう。
 我慢、していたのだ。無粋はこれでも。
「それは……しかし……」
 真波は戸惑う。『龍鱗丸』は神より与えられた刀だ、と聞いていた。皆守家はその刀の力で国を護り、民を護り……厄災を祓う、とも。
 それが、あのおぞましい刀鬼を生む?
「……あり得ない。『龍鱗丸』はそのような刀ではない!」
「そう、思うか。思うのだろうな」
 答える無粋は、冷たい目をしていた。
 最初から、理解を求めていない。突き放した瞳。
 その目線に圧倒されそうになりながらも、真波は続ける。
「仮にそうだとして、それは持つ者が邪悪なだけだ! 皆守の人間はそうではない!」
「そうか。だが、奪われたんだろう」
「っ……」
 言葉に詰まる。確かに『龍鱗丸』は、今は『天刃』の手に堕ちていた。
 鞘が無いと真の力を発揮しないとはいえ、その力は並みの刀の比ではない。
「……それに。もしお前の言う通り皆守の者が刀鬼に堕ちないというのなら、その刀で刀鬼と戦えばよかったんだ」
 鞘と、刀身。二つを揃えて戦っていたなら、『天刃』とやらにも打ち勝ったかもしれない。けれど鞘は真波の手に託され、城は攻め落とされた。
「それは……」
 その理由を、真波は知らない。
 逃げる事で精いっぱいで、考えたことも無かった。
「本心では『龍鱗丸』の力を恐れていたんじゃないのか。なら……やはり、人の手に余る力なんだ、それは」
 だから、破壊する。無粋はそう言い切った。
 真波は懐の鞘に手を当て、さっと無粋と距離を取る。

「……手は、組めないだろう」

 それを見て、無粋はつまらなそうに呟いた。
 相容れないし、利益も無い。求めるものが最初から違うのだから。
「近くの村までは、送る。その後は自分で考えろ」
 無粋はそう言って、再び歩き出す。
 真波も、遅れてその後を追った。十一度目の「何故」は無く、それからはしばらく沈黙が二人の間を流れる。

「……。ところで、近くに村はあるのか」
「ある。……二日ほど前に、通りがかった」

 そこまで行ったら、無粋とは別れる事になる。
 相手を見誤ったか。いや、助けたことは間違いじゃない筈だ。
 真波は不安を誤魔化しながら、筋肉質な無粋の背を見上げる。
 この背中は、自分に味方してはくれないのだ。
 そう思うと、不意に泣き出しそうな哀しみが胸を襲い……首を振って、真波はそれを否定する。負けるものか。必ず他の手を見つけ、国も『龍鱗丸』も取り戻す。
 真波は強い心の持ち主だった。
 手に余る重荷を、手放せない程に。

 *

「……なんだ、これ」

 村までは、半日で辿り着いた。
 既に日は沈みかけ、空は紺と橙に染まっている。
 冷えた空気は、けれど真波の胸に涼やかさを齎さない。
 多分に含まれた血の香りが、彼の喉にねっとりと纏わりつくから。

 村は、血の海だった。
 夕陽の中でさえ鮮明な、赤、赤、赤。
 どろりと垂れる漆のような赤から、暗く淀み、固まりつつある暗い赤まで。
 ハッキリと見て取れるほど、大量に。

 そして、血の海の真ん中には一人の武者が立っていた。
 手甲と脛当てを身に着けた、女の武者である。
 彼女は真波たちの足音に気が付くと、ゆっくりと振り返る。

「ああ、お早い到着ですね」

 一滴、口の端に飛んだ返り血を手で拭う。
 その姿は、真波の齢でさえ理解出来る程に美しく……おぞましかった。

「もう少し、かかるかと思っていました。準備をなさるものかと」

 女武者はそう言いながら、哀し気な眼を真波に向ける。
 その視線を塞ぐように、無粋が真波の前に立つ。
 背中からさえヒリヒリと感じられる程の殺気に、護られた筈の真波が背を震わす。
「真波。あれは刀鬼だ」
「……それくらいは、分かる」
 言われ、真波は頷いた。
 女武者の纏う空気は、何処か異常に感じられる。
 それに、この血の海。『天刃』の追手だと考えるのが妥当だろう。
 けれど……解せないことが、一つ。

「どうして、こんなことを」

 彼女が『天刃』として。狙いは自分の持つ鞘の筈だ。
 この村の人間を殺したとして、一体なんの意味があるだろう?

「邪魔になってしまう、と思ったのです。貴方が助けを得たとして……」

 女武者は、目を伏せながらそう答える。
 申し訳なさそうに。辛そうに。……まるで、殺したくなどなかったかのように。
「……きっと、戻って来た貴方たちは、この村で休息なさるでしょう? そうしたら、私たちは少し、困ってしまいますから」
「それで虐殺か。相も変わらず刀鬼というのは……」
「……虐殺。いいえ、断じてそのようなことは」
 無粋に言われ、彼女はふるふると首を振った。
 痛まし気なその態度に、真波は強い違和感を覚える。
 先程から、彼女はこの状況を悲しんでいるように見えた。
 何か、事情があるのだろうか。考える真波だが、彼女は続ける。

「きちんと前もって、皆様を殺しますと……お伝え致しました」

 正々堂々と、戦う事を宣言し。
 武器を取る時間を与え……その後に、皆殺しにした。
 だから、虐殺ではない、と。
 彼女は、優し気な声で主張する。

「……は……」

 真波は、周囲に転がる死体に目を遣った。
 腕を、首を、胴を斬られ臓物と血を散らす村人の死体は、確かに鍬や鋤を手にしては、いたのだが。
(……理解、出来ない)
 頭が拒絶する。そんなもので、勝負になる筈が無いのに。
 それを戦いと。正々堂々と。この女は口にしたのか?
「これが刀鬼だ、真波」
 深く息を吐きながら、『無粋』を抜く無粋。
 そこでようやく、真波は自分が先程覚えた違和感の正体に気が付く。
 噛み合わないのだ。考え方が、感情が……彼女自身の行動と。
 そして同時に、思う。これが刀鬼というのなら、やはり『龍鱗丸』には関係のない事。

「さて。……荒刈さんからお話は伺っています」

 女武者が、ゆるりと身体をこちらに向ける。
 手にした得物は、暗い紺の打刀。
 手甲と脛当て以外の防具は無く、白い着物には数滴の返り血が散っている。

「刀鬼狩りの無粋。貴方は、私と戦おうとお考えでしょうか」
「考える、までもない」

 ダンッ! 無粋はそこで地面を蹴り、一足に女との距離を詰める。
 薙ぎ払い。重量を嵩にした強力無比の一撃は、けれど届かず、空を打つ。
 軽やかな足取りで後ろに跳んだ女は、無粋の態度に「分かりました」と頷いた。

「それではお相手致しましょう。私の名は和葉。仕える剣は神刀『燕女』。彼女の声に至るため、私は貴方を斬り裂きます」

 謡うような宣言に、目を丸くしたのは真波だった。
 神刀と、確かに真波は耳にした。
(『龍鱗丸』と同じ、神より賜った刀だというのか!?)
 信じられない。いや、信じたくない。
 それを受け入れれば、『龍鱗丸』も無粋の言う通りになってしまう気がして。
 しかし否定する心と裏腹に、目前の状況はそれを肯定する。

「ぐぁっ……!?」

 和葉が名乗りを上げた直後の事だ。
 刃に触れもしないのに、無粋の肩が裂け、血が噴き出たのだ。

【続く】

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