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刀鬼、両断仕る 第五話【鏡鳴】上

◇【前回】◇


「ご報告します! 刀鬼たちの勢いは止められず……」
「……ここに来る、か」

 伝令を聞いた城主、皆守真雨は、目を閉じゆっくりと呟いた。
『天刃』を名乗る五人の刀鬼。彼らの目的は、皆守家が代々守り伝えてきた神刀『龍鱗丸』であるという。
「どうなさいますか?」
「兵を下げよ」
 部下に問われ、真雨は短く答える。
 その選択に、真雨の部下たちはざわめく。
「負けを認めるのですかっ!?」
「このまま戦っても、徒に兵を失うだけだ」
 刀鬼を前にいくら兵を集めたとしても、さしたる効果は見込めない。
 足を止めるのなら、実力者を少数配置する方が効果的だ。けれど『天刃』の侵攻は唐突で、必要な兵を呼び集める時間もない。
 城に残る戦力を鑑みれば……取れる手段は、一つしかないだろう。

「『天刃』は、私が対処する」

 皆守真雨、自らの出陣である。
 この決断にも部下たちは驚いたが、異を唱える者はいなかった。
『龍鱗丸』の力なら、或いは。誰もが心の内でそう期待していたからである。
 しかしただ一人、真雨の決断に声を上げた者がいる。
「父上、大丈夫なのですか……!?」
 真雨の息子、真波である。
 真波は『天刃』の侵攻が判明し、すぐにこの場へ呼び出された。
 理由は分からない。けれど嫌な予感が真波の胸には渦巻いていて。
「無論だ。私を誰と心得る?」
「……滝河最強の剣士。私が目指し、超えるべき父上です」
「そうだ。分かっているなら心配はいらないだろう」
「しかし……!」
 言葉を続けようとする真波を、真雨は目で制す。
 何と言われようが、彼の決意は覆らないのだ。唯一勝てる見込みのある己が城の奥へと引き籠り、部下の命を無駄に散らす。そんな選択はあり得ない、と。
「私は勝つとも。けれど真波、お前には一つ頼みたい事がある」
 真雨が微笑み、側近が真波の前に細長い包みを置く。
「その包みを持ち、城から出るのだ」
「……中身は、何です」
 ざわりと、心臓が震える感覚がした。
 見れば分かると言われ、包みを開いた真波が目にしたのは……これから父が振るう『龍鱗丸』の、鞘である。
「っ、受け取れません! これは今の父上にこそ必要な……!」
「刃があれば十分だ。それよりも……」
 真雨はそこで言葉を止める。
『龍鱗丸』の鞘には、龍神の加護が宿ると言われていた。あらゆる傷を瞬く間に癒す力である。これより戦いに挑むという男が、何故それを手放すのか?
 問いただす時間は、与えられなかった。
『天刃』が、もうすぐそこまで迫っていたからである。

「行け、真波! 鞘を必ず守り抜くのだ……!」

 …………それから、強引に城を叩き出され。

 数人の護衛と共に城を出た真波は、すぐさま『刻角』荒刈に襲われる。
 ただ一人、命からがら逃げだした真波は、ひたすら走り続け、風の噂で耳にした。
 城は『天刃』に乗っ取られ、『龍鱗丸』は賊の手に落ちた、と。

 それは、真雨の死を意味していた。

 何故、真雨は鞘を手放したのか。
 鞘を持っていれば、『天刃』に勝つことが出来たのではないか。
(力が、必要だったはずだ)
 懐の鞘に手を当て、思う。
 力があれば。『龍鱗丸』の刃と鞘が揃ってさえいれば。
 大切なものを失わずに、済んだのではないか。
 苦い悔恨と滾る怒りが、濁流のように真波の胸に渦巻き、心を乱す。

 或いは。
 私がもっと、強ければ――

 *

(……嫌な夢だ)

 夜明けより少し前。
 目を覚ました真波は、全身の汗に強い不快感を覚えた。
 うなされていた、のだろうか。酷い寝覚めだ。
(無粋殿は……まだ眠っているな)
 戦いの疲れが残っているのだろう。ぴくりともしない無粋の寝姿を見て、真波はふっと傍らの包みに目を遣った。
 今、この隙に鞘を押し当てれば、無粋の傷はすぐにでも回復するだろう。
 父との最期を思い出した真波は、そうしてしまいたい、と強く思う。そして実際に鞘を無粋の体へと近づけて……留まる。
 これは、無粋への侮辱だ。彼の過去を聞いて尚、鞘の力を押し付ける真似は出来ない。
 真波にとっては、歯痒い状況だった。
 無粋は……本人にその気が無いとはいえ、真波を守ってくれる唯一の存在である。『天刃』を打ち破ってくれるかもしれない、希望の星でもある。
 そんな無粋を前にして、またしても自分は何も出来ないのだろうか。
 父のように、力になることも出来ずみすみす見殺しにするのだろうか。
(……何を馬鹿な。まるで無粋殿が負けるかのようだ)
 悪い考えを振り払う。無粋は強い。既に二人の刀鬼を倒してもいる。
 しかし、強いというならば父だって強かった。その父とて負けたのだ。
 何か、自分に出来る事はないのだろうか。
(そうだ。魚を釣ってこよう)
 夕食の折、無粋と話した事を思い出す。
 今日は魚を食べてから村を出ようと、半ば一方的に約束したではないか。
 無粋の目覚めを待っても良かったが、今の真波にそれを待つ余裕はなかった。
 今の自分でも出来る事を、何かしなければ気が済まない。
 真波は一人で向かう事を決意し、鞘を包みに戻してから、思う。
(これは……置いて行こう)
 自分の手元にあるよりも、無粋の手元にある方が安全だと真波は考えていた。
 無粋とて、自分に断りなく鞘を砕き割りはしないだろう。万が一にでも彼が考えを変えて、鞘の治癒に頼りたくなるかもしれないし。
(だから、それが良いのだ)
 自分に言い聞かせて、真波は包みを無粋の傍らにそっと置く。
 荷物の無くなった懐は妙に軽く、真波を不安な心地にさせたが……

(大きなのを釣れば、無粋殿も驚くだろうな)

 気にせず、こっそりと抜け出して。
 川へと走り、枝と糸で即席の釣り竿を拵えた真波は、魚を求め上流へと歩き。

 ――がさり。

 近くの藪から、音がした。
 何かと思って振り返り……


 ……それから、真波は意識を手放した。

 *

 真波の身に、何かあったのではないか。
 目覚め、その姿の無いことに気付いた無粋は、嫌な予感に囚われた。

 証拠はない。単に魚を釣りに行ったのなら、ただ待てば良い事だ。
 けれど……無粋は、こういう時の己の勘を信頼していた。
 間違って触れぬようにと気を付けながら、鞘の包みを縛り直し、懐へ入れる。
 探しに行こう。鞘を置いて、そう遠くへは行かない筈だ。
 これが無用な心配であれば、それで良い。探したぞと言って鞘を返すだけの事。
 でももし、本当に悪い事が起きていたならば……

 小屋を出て、歩き出した無粋はすぐに異変に気付く。
(あれは……侍?)
 村の周囲に、刀を差した数人の男が見えたのだ。
 咄嗟に建物の陰に隠れながら、無粋はじっと耳を澄ます。
「いたか?」
「いいや。それらしい男は」
「そうか……もう少し探してみよう」
 男たちはそう話し合い、散る。
 誰かを探しているようだ。だとすれば、その相手は。
(……オレか)
 無粋は考える。探しているのが真波であるなら、「男」という呼び方には違和感があった。『天刃』を探している、という可能性もあるが……
(そういう様子でも、無いな)
 相手が刀鬼となれば、文字通りの命懸けである。
 それにしては、侍たちの様子はどこか楽観的であった。
 余裕がある、とでも言うのだろうか。
 真波を見た時に感じた、鬼気迫る気配は一切感じられない。
(どういうことだ?)
 戸惑う。この侍たちは何処から来た? 何故自分を探す?
 ひっそりと建物の陰から陰へと走りながら、無粋はもう少し様子を見る。
「しかし……本当なのだろうか、刀鬼にしてくれるとは」
「鞘を持ち帰れば、の話だろ。……刀はあるようだが、どうだかな」
 辺りを見回しながら、ぽつりぽつりと侍たちは口にする。
 刀鬼に、する? 意外な発言に、無粋はぴくりと眉を動かす。
 それに、鞘を探しているとはどういう事だ。だとすれば、探す相手はやはり……

「どちらにしても、従う他ないだろう。真雨様さえ負けた相手だぞ?」
「まぁな。真波様が鞘を持っていれば、話は早かったんだが」
「――っ!」

 耳にした瞬間、無粋は飛び出していた。
「っ!? いたぞ!」
 咄嗟に刀を抜く侍たち。だが鉄塊の一閃は、彼らの刀を木の枝のようにへし折った。
 次いで、柄での殴打。一人の侍が一撃の元に昏倒し、すかさず無粋はもう一人の首を掴み、握る。
「ぐっ、ぁ……!?」
「真波をどうした」
「っ……!」
 折れた刀で抵抗しようとするが、刃が届く前に無粋は彼を壁へと投げ飛ばす。
 それから刀を持つ手を踏みつけ、喉元に『無粋』を突き付け、問い直す。

「真波をどうした」
「……捕えた。川にいた所を」
「何故」
「そう命じられたからだ!」
「『天刃』にか」
「……そうだ」
「お前は滝河の侍だろう」
「…………そうだ」
「裏切ったのか。刀鬼に成るために?」
「……」

 答えの代わりに、侍は無粋を強く睨みつけた。
 しかし無粋は動じない。ただただ冷酷な眼で侍を見下すのみである。

「お前には……分からないだろう。奴らは誰にも止められない!」
「だから、子どもを捕えて鬼に献上するわけだ。腐っているな」
「他に方法がない! 抵抗しようにも、同じ刀鬼にでもならなけっ」

 言い終わる前に、無粋は侍の腹を強く踏みつける。
 このまま殺そうか、と頭に過る。刀鬼に繋がる刀を折ることと、刀鬼に成り得る侍の首を折ることと、どれほど違いがあるだろう?
「……。抵抗は、出来る」
 けれど結局、無粋はそうはしなかった。
 代わりに『無粋』で左の足の骨を折り、無粋は周囲に目を遣った。
 侍たちは、無粋と距離を保ちつつ周りを囲んでいる。
 数は七人。手にした刀はいかにも質の良さそうな刃だが、尋常の範囲を出ないだろう。
「お前たちも同じか。刀鬼に屈し、真波を売る。忠義の欠片もない外道か」
「黙れっ!」
 返答は、それだけである。侍たちとて痛い所を突かれているのだろう。圧倒的存在に主を奪われ、支配される。その恐怖を、想像出来ない無粋では無かったが……
 慮ろうなどとは、微塵も思わなかった。
 そんな状況を打破するために駆けていた子どもを、知っているからだ。
(全員打ち払うか)
 屈してはいても、彼らは刀鬼ではない。無粋にとって、積極的に殺す理由は無かった。
 それに……彼らを手に掛ければ、恐らく真波は嫌がるだろう。
「面倒だな……」
 無粋は嘆息する。どうして自分はこんな事を考えているのだろう。
 刀鬼との戦いは、自分のためにしていることだ。真波の事など、関係が無いと思っていたハズなのに。
 今はとにかく、無性に……腹が立つ。

「捕えろ!」

 侍が叫び、地を蹴る。
 雄叫びと共に放たれた突きは、鮮烈ではあるが凡庸だ。
 無粋の目には容易く狙いが見え、軽く身を翻すだけで回避出来る。
 勢いを腕で流しながら、膝の裏に蹴りを入れ、転がす。
 次に迫りくる刃は『無粋』で受け、背後からの一撃も躱し、裏拳で鼻を折る。
 相手が狼狽えた所で、鉄塊を大きく振るい、身体ごと弾き飛ばした。
(あと四人)
 先手の三人が倒れた瞬間、無粋は弓を弾き絞る敵の姿を目にした。
『無粋』を盾に矢を受けつつ、更に別方向からも弓。これは直前に矢じりの向きを見定め、指の離れると同時に回避する。
 そして次の矢を番える前に、無粋は片方の弓手に『無粋』を投げつけ、倒す。
 すかさず残りの二人が刀で立ち塞がり、『無粋』を拾わせんと迫るが……
「邪魔だ」
 砂を掴み、目を潰す。
 怯んだ所で片方の刀を叩き落とし、体を掴み盾にする事で矢を防ぐ。
 そのまま引き摺り、『無粋』の元へ辿り着くと、締め落とす。
(あと、二人)
 残された二人は、明らかに動揺していた。
 無理もない。相手は刀鬼ではないと聞いていたのだから。
 単に腕の立つ浪人なのだと。鞘の力で回復するかもしれぬと。
 その程度の事しか、教えられていない。
「これではまるで、刀鬼――」
『無粋』の突きが腹を打つ。
 嘔吐しながら膝を吐く侍の側頭部を蹴り、最後の一人の刀を折った。

「なん……だ、お前……」
「……オレは『無粋』だ。刀鬼じゃない」

 不愉快な勘違いだった。
 けれど最後の一人の目には、化け物を見るかのような恐怖の色が浮かんでいる。
「答えろ。真波は何処にいる」
「クソ……鏡鳴め、我らを謀ったな……!」
「おい、答えろ!」
 ぶつぶつと、侍は震えながら呟く。
 苛立ちを露わに問い直すと、びくりと肩を震わせて、ようやく答えた。
「既に城まで連れて行った筈だ! 殺しはしないと言っていた……!」
「城か」
「鏡鳴が……『天刃』の老爺が、利用出来るとか言って、だから……ああ!」
 侍は膝を突く。そこまで怯えるかと無粋は眉を顰めたが……
「だから、だからお許しください! 決して、我々は……」
「……おい、誰に向かって喋っている?」
 彼の目は、無粋を見てはいなかった。
 無粋の背後に立つ誰かに喋っている。けれど振り向いても、そこに人の影はない。
「裏切ったわけではないのです! 他にどうしようも無かった! 刀鬼に下り、機を窺う他に取れる手段など無かったのです……真雨様っ!」
(真雨……?)
 それは、確か。
 城で『天刃』と戦ったという、真波の父の名ではなかったか。
 何を言っているのか、問い質そうと一歩踏み出した所で、無粋は辺りに違和感を覚える。

「……白い、霧?」

 いつの間にか、周辺には霧が掛かり始めていた。
 視界が狭まり、しっとりとした冷たい空気が無粋を包む。
 何かが、おかしい。けれどその原因を探る前に、無粋の思考は一度、止まる。

「なんだ、久しぶりではないか」

 霧の向こうに、そいつが立っていたからだ。
 首に傷跡のある、痩せた男。赤い漆塗りの鞘に収まった刀を、彼は抜く。
「よもやこんな所で顔を合わせるとは、な」
「……お前。なんで、ここに」
「さぁ。そういう事もあるのだろう。……それで……」
 月のように反り返った刃。何処か掴みどころの無い口調。
 幼い記憶が無粋の頭を満たし、記憶は憎悪となって燃え上がる。

 ダンッ!

 地を蹴り、振り下ろした一撃はゆらりと躱される。
 途端、男は少しつまらなそうな顔で、小さく呟いた。
「なんだ、酷い得物を使っているな」
「うるさいッ!」
「言っただろう。刀鬼を討つには、刀鬼に成らねばならぬと」
「うるさいと言っている! オレにはそんなもの、必要無いッ!」
「……まぁ良いだろう。『彼岸花』も、血を欲し始めていた所だ」

 それは、無粋にとって最悪の相手。
 誰よりも殺したくて堪らない、憎むべき刀鬼。

「暁月ッ……!!」

 刀の銘は『彼岸花』。
 無粋の全てを奪い、憎しみだけを残した刀鬼。
 彼を前に冷静を保つ事など、無粋には出来なかった。


【続く】

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