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刀鬼、両断仕る 第八話【龍鱗丸】下

◇【前回】◇


「『……おま、えは……』」
「分からない筈がないだろう……オレは、無粋だッ!」

 激流を耐え切った無粋は、滑る床を蹴り、渦に包まれた刃へと『無粋』を向ける。
「……ほぅ、『龍鱗丸』を狙うか」
 感心したように呟くのは、距離を取り激流を避けていた天宿である。
 けれど、刃へ鉄塊を振り下ろす直前、無粋の立っていた床は音を立てて崩れ落ちた。
「っ……」
 ぐらり、足元の揺らいだ無粋は、攻撃を中止し階下へと跳ぶ。
 着地して見上げると、未だ真波の姿は中空に留まったまま。
「『そこにいろ』」
 彼を見下ろして、真波は冷たく言い放つ。
 その眼差しは、やはり無粋の事を理解してない様子だった。
(真波の父が『龍鱗丸』を揃えなかった理由……)
 無粋はそれを、揃えれば刀鬼へと堕ちるからだ、と予想していたが……
 現状は、それより厄介と言えた。あれが真波の意志とは、到底思えない。
 ちらりと付近を見渡せば、先ほどの大水刃や崩落に巻き込まれた侍たちの死体が目に入る。無粋にとって、彼らは『天刃』に屈した愚者でしかなかったが……
(真波なら、守ろうと考えたはずだ)
 少なくとも、戦いに巻き込んで平然としているなど、真波らしくない。
 真波を、止めなければ。幸か不幸か、無粋の身体は直前に鞘で癒されている。
(……今は、堪えろ)
 ただ一つ、この吐き気を除けば……調子は良い、筈だ。
 まずは、真波の近くまで登らなければ。道を探し、周囲を見回す無粋だったが……

「テメェ、今更なんのつもりダ?」

 背後に気配がして、『無粋』を構えつつ振り返る。
 ガギンッ! 直後、心臓を狙う一撃を鉄塊で防いだ無粋は、相手を見て顔を顰める。

「……邪魔をするな」
「ジャマはテメェだロ。アレは天宿サマの獲物ダ。……そもそもッ!」

 ダダンッ!
 瓦礫の合間を縫い、瞬く間に無粋の背後へと回り込む荒刈。
 その速度に、やはり無粋はついていくのがやっとだ。
 首を刈る一撃を皮一枚で躱し、チッと舌打ちする。

「テメェ程度の力で、アレがどうにかナッかヨ!」
「知ったことか。失せろッ!」
「ハッ! 死体が粋ガッテんじゃネェゾ!」

 返す刀の振り下ろしを軽く避け、荒刈は再度反撃を行う。
 両の脚を狙った低い一撃は、けれど跳躍によって空を切った。
 直前の読み、ではない。片目を見開き驚く荒刈の横面に、無粋の蹴りが直撃する。

「ぐべぁッ!?」
「いい加減、読めてきた」
「ハッハァ……なんだ、タダの勘カ?」

 黒く深い毛のオオカミは、首を鳴らして舌なめずりする。
 もはや人の面影はないのに、無粋はその有様を「荒刈らしい」と感じた。

「その見た目も、所詮虚仮脅しだ。お前は何も変わっていない」
「アアそうダ。オレは荒刈。獣ノ刀鬼。ジャアテメェはなんダ?」
「…………」
「答えられネェなら、寝てりゃイイんだ。真波も、天宿サマも、テメェなんざすぐに忘れるゼ」
「お前は?」
「オレァ……どうだろうナ」

 知ったことじゃねぇよ、と荒刈は吐き捨てて、低く低く剣を構える。
 荒刈にとって、無粋はもうどうでもいい相手の筈だった。
 自分を否定した憎むべき剣士は、もういない。
 今立っているのは、ただの残り香。くたばり損ない。ただ目障りな生きた巻き藁。
 だのに、どうしてまだここにいる。天宿サマの邪魔をする。

「なぁオイ、分かんネェナ……」
「……オレだって分かってない」

 はぁ、と溜め息を吐いて、無粋は『無粋』を高く持ち上げる。
 振り下ろしの構えだ。愚かなことだと荒刈は思う。それを振り下ろす前に、『狗神』なら無粋の胴を両断することが出来るというのに。
 結局、死にたいだけか。だったら望みどおりにしてやろう。
 真波には悪いが、コイツ自身がそのつもりなら。

「ヴルォァァァァッッ!!」

 咆哮し、床を蹴る。
 最高速での直進、両断。それで事は済む。
 けれど無粋は動じない。よもや再び、勘で攻撃を当てに来るか?
 否、断じて否。先刻のアレはただ跳べば躱せた一撃だ。
 次は違う。十全に深く間合いへ入れて、臍の真上をぶった斬る。
 それならば、紙一重で避ける事さえ出来はしない。
 獣の身体のしなやかな速さと、『狗神』の切れ味。
 刀鬼としての全力を発揮して、この男を葬り去る。
 それがオレの、荒刈という刀鬼の、意識を保つ最後の戦い。
 ……相手がこの男というのは、気に食わないが。

「ああ、オレも気に入らない」

 零れた言葉が耳に入って、荒刈は目を見開いた。
 その時、既に荒刈の身体は目的の位置。
 迷わず刃を振る。無粋の身体が、僅かに後ろに下がった。
 けれど遅い。『狗神』の刃渡りなら、無粋は逃げきれない。
 刃は届く、筈だ。刃を鈍らせれば、それこそ反撃を喰らう。
 荒刈の心は揺るがず、刃の角度も間違えず、剣足は音を超え。

 それでも、刃は……届かなかった。

「っ……!?」
「言っただろ、読めてきたって」

 肘と、膝。
『無粋』を高く構えたまま、無粋はそれらで『狗神』の刃を受け止めて見せたのだ。
「なんっ……」
 ごく僅かにでも呼吸が乱れれば、成功し得ない業だった。
 遅ければ胴を斬られ、速すぎればただ肘か膝かを斬られる。
 そうでなくとも、荒刈の狙いがほんの少しでもズレていれば、そこで終わりだった。

「なんでンな事、出来ンだヨッ!?」
「……お前の言った通りかもな」

 嘆息し、無粋は『無粋』を手の内でぐるりと回す。
『狗神』を引き抜こうとするが、間に合わない。
 鉄の塊は、その全重量を以て『狗神』の刀身に襲い掛かり……

 バギャンッ!

 音を立て、砕け散った。
「ッッッ、ガァァァァッッ!!」
 叫ぶ荒刈の身から、黒い毛が抜け落ちる。
 爪が、牙が短くなり、顔も人のそれへと戻っていく。
 獣が人へと還り、息を切らせて膝を付いた。
「テメェ……」
「……止めを刺したいが、今は後回しだ」
「要らねぇよ。感覚で分かる。どっちみち、折れた時点でオレァ死ぬ」
『狗神』の力で、荒刈の生命力は既に使い果たされていた。
 正気を失い獣と化すか、負けて死ぬか。手にした時点で二つに一つだったのだ。
 止めなど刺す必要もなく、もうしばらくすれば荒刈は事切れるだろう。
「……そうか。なら、いい」
「だがムカつくぜ! テメェの在り方さえ貫けねぇ奴に……」
「ああ、そうだな。……結局オレは、認められないだけだった」
 胸に手を当て、深呼吸する。
 気を緩めれば、吐き気に負ける。
 自分という存在が許せない。この在り方が受け入れられない。

「……オレは、刀鬼なんだろう」

 あんなに憎み、絶対にならないと誓った存在に。
 いつの間にか、自分もなっていた。
 けれどそれは、鞘の力がどうとかいう以前の問題だ。
 殺す為だけに、殺した。
 自分の命さえ、犠牲にして。

「鬼じゃなければ、なんだというんだろうな……」

 自嘲気味に笑って、無粋は顔を上げる。
 これが人間の生き方なものか。死んでいた方が良かったに決まっている。
「じゃあ、なんで立ちやがった」
「……真波を止める」
「ハッ。それじゃさっきと同じだ。その後は?」
「ない。その後なんてない」
 一度は詰まった答えを、無粋はあっさりと口にした。
 そうだ、後なんてない。もしかしたら、己に耐え切れず死ぬかもしれないし……また死に損なって、死体のように生きるかもしれない。

「だとしても。あれを見逃しては死ねない」
「あっそ。正直、意味わかんねェままだわ」
「お前に分かられたいとも思ってないがな」
「だろうな。つまんねぇ。精々抗って死ね」

 とっとと行けよ、と荒刈はぼやく。
 無粋は頷いて、上へ行こうと瓦礫に手を掛けるが……

「ああダメだ、次が来る」

 荒刈が呟く。よく見れば、上では真波と天宿が戦っていて……
 その余波で、階上から大量の水が流れ落ちてきた。
 同時に、がらがらと周囲が音を立てる。城が、崩落する。
「一旦外出た方がいいゼェ」
「……お前は」
「ハァ? 殺そうとした相手に言うか、それ」
 放っとけよ、と荒刈は言う。助けた所で意味はないし、助ければ無粋は間に合わない。
 結局、無粋もそれに頷いて、荒刈を置いて走り去る。

「あーぁー……」
「……なんだ、先に負けていたのか」
「おぁ、天宿サマ。早く逃げてくださいよォ」
「そうさせてもらう。……あの男は?」
「やる気っぽいっすわ。競争っすねェ~」
「そうか。それはまた……」
「……楽しそうにしちゃってさ~、マジ分かんねェっすわ、天宿サマも」

 いつの間にか降りてきていた天宿に、荒刈は笑いながらそう話す。
 きっとこれが最期になると、互いに理解して。

「『狗神』のお前とも、競いたかったがな」
「オレは嫌っすわ。殺されるし。……ほら、間に合わなくなる前に」
「ああ。……ではな、荒刈」

 別れは淡白だった。
 それでいい、と荒刈は思う。
『天刃』は、天宿の目的にそれぞれの思惑が乗っかっただけの、ただの寄せ集めだ。
 和葉が死んでも、鎧袖が死んでも、誰が死んでも……それはそれ。
(結局、『楽しく生きる』って出来たのかァ……?)
 死の淵で、荒刈はぼんやりと自分の思惑を脳裏に浮かべて。

(……まァ、居心地は悪くなかったよなァ……)

 それだけを思い、波に呑まれた。

 *

 城は音を立てて崩れ落ちた。
 轟音と土煙を、潮の波が押し流す。

 ざぁ、と雨が降り始めた。
 見れば空は厚い黒雲で覆われている。
 不吉で、不穏で、不気味な空気。
 城下の人々は不安を覚えながら、崩れた城を遠目に仰ぐ。

 瓦礫の上には、龍がいた。
 片方の手には鞘。片方の手には刃。
 渦潮で出来た肉体の中核には、幼い少年が一人。
 中空に浮かぶ少年は、黄金の目で周囲を一瞥し。
 ……関心を持たず、彼らに目を移した。

 一人は、蒼い目を持つ双刃の刀鬼、天宿。
 一人は、武骨な鉄の塊を背負う男、無粋。

「『……』」

 少年の心は、動かない。
 既に憎悪も親愛もなく、その精神はただ一つへと注力している。
 それは皮肉にも、この場に生きる三者共通の目的でもあった。
 至るべき結果は違う。抱く志も違う。
 けれど彼らは、一様にその決意の元、己が獲物を振るうのだ。

 刀鬼、討つべし。

【続く】

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