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ヒトデにたまげたことを思い出したよ。

へらへら生きていてもびっくりするようなことにたまに出会しますが、ええええーって感じでたまげることってそんなに多くもないかな。「魂消る」は語源辞典によると「気を失う」ほどというようなイメージだそうで、これはなかなかいい表現だな。魂が消える。
私の中のそんな強烈なびっくりのひとつにヒトデがあります。小学校の低学年のとき、三年生だったかな。伊豆の稲取ってところに家族で旅行にいったんですね。佐藤家が海に行くってのは珍しい。その昔、海の近くに住んでいると車のアンテナが錆びやすいんですよと村田が言っていたのを思い出す。車好きの佐藤信夫氏の頭にもそういう懸念が少しはあったかもしれんね。とにもかくにも、箱根、京都ってところが定番で、あとは蓼科にもよく行ったな。行った、というか、正確には寝ている間に車に運び込まれて気がついたら、現地到着っていうような感じだったけれども。
うちの父は本質的には(?)学者なんですが、高校生の頃からデザイナーやライターとして稼ぎ出して家計を助けていたんですよ。従軍記者として戦地に赴いた爺さんが肺病でよれよれになって帰ってきて働けなくなってしまったんで、どうにかしないとってことでね。何にせよ、稼がないことで有名な私とは対照的ですな。稼がないことで有名なんていばれた話じゃありませんけれども。
その後も、原稿書きやデザイン、翻訳なんぞを、今で言うフリーランスで続けたわけですが、企業のようなところに入ったこともなくはないんですね。ひとつはブルーベルという輸入代理店。フランス語が得意だしクレヴァーだったんでスカウトされて、週一回出社するだけの宣伝部長だったと記憶しています。ランヴァンやデュポンの製品を扱っていましたね。もうひとつはELECレコード。創業者のジョウくんが知り合いだったので請われて手伝うことになったわけでしたが、そこでも時間の自由度の高い関わり方でした。その後、大学教員になるわけですが、レギュラーは週二日だけ。それに夏休みだの何だのがある。
そんな感じだったので、堅気の勤め人家庭とはいろいろとちがっていて、旅行は平日に行くことが多かったんですよ。連休や土日の混雑を避けるということもあったし、スケジュールが自由なので、よし、今から京都行こうか、なんて乗りで。信夫氏は自動車オタクだったのでどこまでも車で行く。深夜や明け方の出発。いずれにせよ、弟も私も寝ているうちに車に積み込まれ、気がつくと目の前は鴨川だったり芦ノ湖だったりって流れでした。
ホテルや旅館に入るとおふくろが「家族で箱根にきちゃっているので、何日か休ませますね」なんて学校に電話する。先生たちも毎度のことで慣れているので、ああ、そうですか、ぐらいの感じだったようですよ。世の中全体が呑気な時代だったせいもありましょう。

またまた話がとっちらかってしまっていますが、ヒトデに戻りましょう。
みなさん、ヒトデって触ったことがありますか? 触ったことがなくても、見た目は何となく知ってますよね。そうそう、あの星形のやつです。漢字では海星、英語ではstarfishっていうぐらいでね。
稲取のホテルの近くにざっくりと囲まれているような岩場があって、子どもだけでうろうろしていても危なくもないってな感じのところがあり、弟とばしゃばしゃやったりしていました。そこにいたんですよ、ヒトデが。おおー、ヒトデがいるぜー、なんて軽い盛り上がり。私が三年生で弟が二年生だったかな。毒とかそういう類の心配よりも好奇心が勝ったんでしょう。いきなり、触ってみました。これが衝撃だったんですよ。予想とあまりにもちがう。ざらっとかたい。くねくねふにゃふにゃのものを想像していただけに本当にびっくらこいた。魂が消えた。そして、頑丈に岩にはりついていて。いやあ、驚いたなあ。なんて、もう半世紀以上前の話なんだけれども。

さて、これは何を物語るのかといと、百聞は一見に如かず、望月くん(誰?)の経験主義の方が私の想像主義よりも優っている……そういう見方もできましょう。なんだけれど、そんな形で括って終わりってことじゃいかんわけで。
このヒトデ・ショックは私の想像力と学習の不足の齎した「びっくり」です。ちゃんと図鑑を読み込んでいれば「表皮は固くざらざらしていて……」などどいう記述に出会していた可能性は高かろうと思います。つまり、想像力を発揮するにも知識が大きな役割を果たすってことですよ。当たり前だけど、なんも知らんもんは想像もしがたいもんね。
想像力ってものは無から有を生み出す魔法のようなものではないわけで、学びというバックグラウンドは大いに役立ちます。それに、生きていること自体、経験の連続です。結局のところ、想像主義の土台は経験にあるとさえ言えなくもなく。想像は学びと経験の上に立つ。ふむ。こんな歌詞もいいかもな。

「おねえさんととぼとぼ疎開先の田舎道を歩いていたら、米軍機か降下してきて、だめだ、撃たれると思ったのよ。そのとき、パイロットの人と目が合ったの。そのアメリカ人はニヤッと笑って、でも、撃ってこなくて、その戦闘機はそのままどこかに飛んでいっちゃったの。それで、助かったの」

これはおふくろから何度か聞いた話です。さて、この話はどこまでが経験でどこまでが想像なんでしょうね。飛んでいる飛行機のパイロットと目が合うなんてことがあるのや否やってなもんですよね。想像と経験の境界はようわからんのだけれども、とにもかくにも、この光景は私の中にすっかりすりこまれていて、今でもそのおそろしさは変わらないんですよね、私にとってはハンドレッド・パーセント、想像の域なわけだけれど、おっかねえ。びびるぜ。

戦争という悲劇が語り継がれることには大きな意味があるよ。ねえ。

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