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ロウでダウン?

近頃テンションが上がらないんですよ。いやはや。
美しい国だとかいう日本は腐敗政治の真っ只中で回復への道筋が見えない有り様だし、世界に目を向ければ際限なく人が殺される日々が続く。苦しい。
近視眼的に眺むれば、貧乏という持病でよろめくだけでなく、役所をうろうろしたり、ゴミ屋敷に突入したりという任務に振り回されている現実がある。このあたりの雑務はちぃとも楽しいことではない。なんだけれども、これはこれで人生のひとつのアスペクトだと思って(思おうとして?)みれば、経験しておくべきことなのかもしれんとも言えなくもなく? とりあえず、「ひとつのアスペクト」というような表現はどうなんでしょうね。浮ついてるな。まあ、私はそういう浮ついた人間なのでしょうがないんですけれども。

ぼやきですか。そう、ぼやきです。
要するにテンションが上がらない。控えめに言っても、上がりにくい。そうすると、曲を書いたり文章を書いたりする気がしねえなあ、となるわけです。
一昔前までなら、テンションが上がらないときに齷齪してもしょうがねえよなあ、なんてんで、高円寺あたりに迷い出て、ああ、やる気がしねえなあ、などと呟きながらのんだくれるなどしたものだった。こんな感じで二、三年やる気が出ないままぐずつくのもいいかもなあ、なんてなことを思ったりしつつ。
ところが、近頃は、ですね。テンションが上がらないまま時間が過ぎていくのが勿体ない気がしちゃうの。ううむ。これは2019年に死に損なって以来の心理でしょうね。それまではさ、時間の感覚というのは前の方にぼうっと広がっているような感じだったけれど、あれ以来、何というべきか、カウントダウンみたいな感覚に変わったと申しましょうかね。ふむ。もっともゴールが明確に決まっているわけではないのでカウントダウンというのは適切な表現ではないんだけどさ。意外とずるずる長生きしちゃうかもしれないわけだし。とはいえ、感覚としては、残り時間がじわじわ減っていくって気分なんだよ。砂時計を思いうかべてくれたまえ。
そんなわけで、テンションが上がらず、だらだらずるずる漠然と音楽を聴いたり本を読んだり映画を観たり鼻毛を抜いたりしている時間が勿体ないなあ、なんてな気になるわけよ。んでもって、そんな気になると、ますますテンション上がりにくいじゃん。そういう悪循環。ループ。困ったもんだ。

実際のところ、駄目な時は駄目なままでいいんだよね……って、あさがやんずにそういうような歌詞があったな。デイドリーム・ビリーヴィンな時間の浪費だってさ、創作の糧になっていることはまちがいない、少なくとも私にとっては。というか、そういう時間こそが創作の源泉かも? それはさすがに言い過ぎか。
まあ、なんでもいいんだけどさ、兎にも角にもテンションが上がらない昨今。はてさて、どうしたものか。確かなことはネガる方向に気を向けないことが大事だってことかな。なんて言っても、そう都合よく精神状態を操ったりはできないわけですが。まあ、とりあえず、一杯呑むか。
なんて言いながらも、文章を書いているということは、そろそろロウでダウンな気分もおしまいのタイミングかもね。

*ちなみに、ボズ・スキャッグスの「ロウダウン」はロウだとかダウンだとかではなく一塊の名詞で「真相」とか「内情」ってなニュアンスです。

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