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『信長公記』で笑う

学術論文を書き終えて、一息着いた所です。別に大学関係者でも無いので本来なら学術論文は必要無いのですが、今回は「笑える学術論文」と言う変わった規定だったので、書いてみる気になりました。

『信長公記』を執筆したのは太田牛一ですが、彼が簗田政綱と言う同僚を嫌っていた事を書きました。簗田は桶狭間の戦いで「今川軍本陣の位置情報を報せた」とされた人物で、信長から沓掛城を褒美にもらいます。

実際には簗田は合戦に参加していないし、城を貰ったのは清洲同盟を提案したからなんですけどね。

太田がどれだけ簗田が大嫌いだったかと言うと、わざわざ『信長公記』に「簗田弥次右衛門御忠節の事」と言う話を作って、「小者が身分不相応な褒美を貰った」と悪口書きまくった事からもよく判ります。

んで、悪口では飽き足らず、超重要な清洲同盟を一行も書かなかった。どんだけ嫌ってたんだ(笑)

そのお陰で、後世の研究者達がみんな大混乱した訳です。

特に出世が絡んだ男の嫉妬は、今も昔もバチバチだったんですね~。

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