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慧眼の視点/その17

僕にはちょっと変わった悩みが有ります。それは、自分が「日本史研究家」と名乗るのに抵抗がある事です。

確かに「本能寺の変」「桶狭間の戦い」「明歴の大火」「赤穂事件」と、誰も解らなかった真相に辿り着いて、学術論文を書いたり、本を出版しました。もうすぐ新しい戦国研究の本が発売されます。実績を考えたら「日本史研究家」と名乗っても誰からも文句は出ないでしょう。しかし、本人は思うのです。「研究はしていないな~」と。

他の研究家が20~30年掛けて取り組んでいる超難問を見つけて、自分も挑んでみる。すると翌日には正解に辿り着く訳です。本能寺の変の真犯人や、千利休の暗号、関ヶ原の戦いから大坂の役に至るまでの複雑怪奇な謎に挑んだ時ですら、1週間程度で終わりました。
そんなアッと言う間に結論に辿り着くものが、果たして「研究」と言えるのだろうか?

剣道を習おうと道場に入ったら、初日に師範に勝ち、全国大会に出ていきなり優勝するようなものです。そして本人は「ありゃ、なんで?」と戸惑っている。

論文の査定では「歴史学は専門学科で3年5年と長い時間を掛けて技術を会得して、初めて結果を出せるもの」と返されました。僕は経済学部出身で、今更大学の史学科に入り直す事は無いです。そもそも昔の人は学問の研究対象になる為に生きていた訳ではありません。人生を一生懸命歩んだだけです。そして僕は「◯◯事件で何が起きたのか」を明らかにしているだけ。史学科の研究家とはゴールが違います。

未解決事件もスルスルと解けるし、難病の治療方法もパッと解る。僕にとって医学も史学も発明も特に区別は無いです。そして僕は只の印刷会社の社員。つまり、どのジャンルの難問でも解けるけども、どのジャンルの専門家でも無い訳です。フリージャンルの意味では、ガリレオやニコラ=テスラに近いですかね。

こうなったら新しい肩書きを自分で作る方が良いのでしょう。これからは「超難問専門家」とでも名乗ろうかと思います。





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