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社会に洗脳されずに、本質的に生きるために必要なこととは?

※ワードプレスからの引っ越し記事です。2023年3月5日更新。

みなさん、こんにちは!
タカミチです。

今の社会を見ていて思うことがあります。
それは”揚げ足取りの社会”だということです。

政治家や芸能人などが何か不祥事を起こせば、鬼の首を取ったかのようにメディア各社がこぞって報じますね。

テレビでも、連日ワイドショーで不祥事により”時の人”となった人物を取り上げて、コメンテーターたちが賑わっています。

これの恐ろしいところは、テレビやその他メディアで報じられる内容は、簡単に国民に波及するということです。
テレビやメディアは、良くも悪くも国民をマインドコントロールするための手段です。

善良で素直な国民は、テレビやメディアで報じられる内容を社会の有り様として受け止めてしまいます。。。

テレビやメディアを断罪したいわけではありません。
長い間、娯楽を提供し続けてきたことにとても感謝していますし、YouTubeに取って変わられた時代の変遷に少し寂しさも感じます。

いろいろ嫌われがちなNHKですら、教育番組で娘がとてもお世話になりましたので、ここ2年間はテレビを全く観ていないものの、歌のお兄さん、お姉さんの給料の為にも受信料を払い続けています笑
娘はYoutubeが大好きで全くテレビを観ませんので、うちのテレビはYouTubeかNetflixしか映りません。

話がそれましたが、娯楽としてのテレビやメディアは良いものの、情報番組として観た時は、受け取り方に最大限の注意を払わなければいけないと感じます。

偏向報道うんぬんをここで語るつもりはありませんが、現代の「寄ってたかって失敗者を糾弾する」風潮はワイドショーや報道番組、ニュースメディア等により助長されてきたことは否めないと感じます。

これらのメディアに責任を押し付けるわけでは無く、便利な文明を築いた現代人の傾向として個人主義が進み、必然的にそうなってしまった側面が強いでしょう。

日本人は同調圧力の強い民族性ですから、テレビやメディアが「寄ってたかって失敗者を糾弾する」風潮を作ってしまうと、それに対して”右に倣え”をしてしまいます。

その結果として、「失敗は恥ずかしい」、「成功しないと無価値」、「ぼっちはカッコ悪い」、「うまく馴染めない奴は陰キャ」など、レッテル張りの指標が出来上がってしまったように感じます。
少なくとも、昭和の時代には今のような互いが互いを値踏みするような”監視社会”ではありませんでした。

特に、今の若い人たちの、「LINEでブロックされてマジムカつく!」「1分前にLINE送ったのに既読つかない。。」なんてやり取りを見ると悲しくなります。。。
その一方で、若い人たちは昔の同世代に比べて、優秀であったり、大人な考え方が出来る立派な人が増えているのも事実です。とても頼もしいと感じます。

日本人は、本来はもっと素直で、素朴で、正しく和を重んじることが出来る人種だと思います。

「現代人らしく振る舞わないと、周囲から変人に思われる」という強迫観念に、知らずのうちに従ってしまっている人が多いように感じるのです。

いつも”最新”、”流行”に乗っていないと恥ずかしいと。
だから互いに値踏みをせざるを得なくなる。。。

とはいえ、”郷に入っては郷に従え”という言葉がある通り、現代でうまく泳いで生きて行くためには、それなりに風潮に従わざるを得ない面は否めません。

つまり、今回の記事で何が言いたいのかと言うと、、

「楽しむことはまったく問題は無いものの、”何がカッコ悪いのか”ということは正しく理解して生きる必要がある。」

ということです。

社会の歪みから生まれた暗黙のルールを判断の価値基準に置くのではなく、それらを対人関係の不和に繋がらないようにある程度考慮しながらも、”良心に沿った自分ルール”に沿って生きる必要があるということですね。

とても難しいことですが、幸せで安定した人生を築いていくためには、こうしたことを本質的に考えていく必要があると感じます。

あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。。
明日も善い一日となりますように😊

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