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年が明けて数日過ぎ

年が明けて数日過ぎた ひさびさに少しの昼寝
をした 妻は明日来るガスコンロの取り換えのため
ずっと台所を片している 娘は今日から大学
息子は今年の勤務四日目 私と言えば新年から
矢竹の並継竿を二本と手のひらサイズの竿小物
入れを一つ仕上げて現代詩手帖の昨年の年鑑
を読み始めた 昨年は現代詩を読まなかった
ほとんど小説 たまに評論 極少なくマンガ よく
詩の世界では詩と散文 韻文と散文 という言い方
をするけれど 読書の中ではほぼ散文が九割を
しめて 韻文の割合は限りなく少ない 多少詩に
関心のある身としても昨年の韻文率は異常に
ひくく 何故かと言えば散文の方が内容技量とも
充実して見えたからというのと そもそも現代詩
という世界が見えていなかった というのはやはり
散文の方に魅力をより昨年は感じていたから
というのと 同じ話に戻ってしまうがそちらの世界
からの響きは私の耳には響いてこなかったの
と同時にそちらの響きを積極的に聴きに行こうと
しなかったというところがつまり昨年で それで
特に気もざわつかなかったというのが昨年だ

とすれば大部分の現代詩に関心のない人に
とっては または現代詩という言葉の解釈が
現代詩手帖の読者とは少し異なる詩の愛好者
からすれば現代詩ど真ん中の言葉というのは
特に目に入らなかったわけで それでは何か
とてつもないものを読みこぼしたのではないか
とやや焦りを感じながら心持ち一昨年の年鑑
より薄くなった昨年の現代詩手帖年鑑を読み
進めていて 特に今のところさほどの焦りを感じる
必要はなかったか などと何故かの安堵と苛立ち
を淡く感じながら本を置いて書きに入った その
書きというのがこの文で そういえば体重は
74キロを切った デブ卒業までもう少しだ

勿論詩の書かれようとか言葉の配置は小説に
くらべると明らかに違って見える こうした言葉の
並べ方で小説を書かれると読むのに疲れる
こういう言葉の使い方というのはどういう使い方
なのかと言えば単純に文字から意味を明確に
イメージさせるような言葉ではなく ひとつひとつ
ありきたりの言葉を避けつつその避け方のパタ
ーンで別の 現代詩的なありきたりになってし
まっているような書かれ方と私には思われ そ
れをたどるのは詩の愛好読者からすればそれ
事が快楽なのだろうが私が詩に求めているの
はもっと下種な 言葉の驚きというのかわかり
やすい前衛みたいなものなので というのか
余り深読みとかそういうの長年読んでいても
出来ないのよね というなんてのかあんまり大上段
に構えた立派なもの それはそれで成功した
物ならばさすがに私含めて一般読者の感心を
引き出すものなのだろうと思うけれど どうも前年
はそれほどのあたりではなかったような ざっと
見た限りで話題になっているのは10冊に満たない
詩集と見えて 特に皆さん萩原朔太郎賞受賞
の杉本真維子 皆神山 という詩集をとりあげて
いるがさすがにこのようにみんなが褒めている
ものは多分読みごたえがあるのだろうと思われる
ものの未読なので何も言いようがない

とここまで 特に何かを言っているようで何も
言っていない空虚な文面となっていてそれでも
何かしらの意味を言わんとしていることは伝わ
るかもしれないが何かをはっきりと明確に伝える
という事に成功しているとはとても思えず とい
うのも構成を考えてきちんと人に言いたいことを
分かりやすく伝えようという意志に欠けている
からでただ考えをその場でつないでいるだけ
の意識で文面をこさえているから読みやすさ
とか重複とか端切れとか技巧みたいなものを
あまり考えるという事をしていなくてそれは歳を
一つ跨いだからといってきっぱりと刷新される
と言ったものでもなく ともすればさらに取り留め
なくばらけた焦点のぼやけた物になりかねず
それを特に苦にするでもなくややもすればもっと
ピントをずらしてみるかなどと企んでみたりも
するありようというのは考えてみれば若かりし
頃のポストモダン的な思考スタイルの残影とも言え
無くもないのではないか そんなに上等な物
でもないかと気が付けば五時 ダイエットお好み
焼きを焼く二日に一度の今日があたり日であり
そろそろ息子が勤めから帰ってくる時間で 今
まで娘が閉めていてくれていたカーテンを引く時間
でもある夜のとっかかりが窓のすぐ外にいる

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