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人が詩を綴るとき


人が詩を書き始めるとき


さとうさんが
ミニマル系の現代音楽を
きいている詩を
浜風文庫に書いていた

金曜の
午前中 フィリップグラス
を少し聴いた

ピアノの
アルペジオが 少しずつ
変調する

とくに変拍子ではないが
少しずつ 変調し

草が芽吹き
いつか花がさきほこるように

変調の花びらが
ゆっくりと 開いていった

心のきれいな
文章を書く詩人の
飾らない散文を読んで

夜 人が詩を書き始めるとき
という題の
散文を書こうかと 考えた

もちろん
男が女を愛するとき
女が男を愛するとき
の歌を意識した題名であり

人を好きになりきはじめるとき

言葉を書き綴り始めるとき
には似た瞬間があるのではないか
という

私の 思い込みにすぎないの
だが

花は 咲きっぱなしというわけではなく
ピアノの音階も
いずれは止んで

そのとき
一つの文章が
散り終わっているのだろうか

(さとう三千魚さんの作風を意識してみました 到底及びませんが)





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人が詩を綴る時 それはどのようなときだろう


今井義行氏の「私的な詩論を試みる」には人が詩を書き始めるときの飾らない動機がとても素直な文章でつづられている
今井氏の場合は味気ない生活の色どりとして気まぐれに詩の教室の戸を叩いたことがきっかけであったようだが その叩いた扉というのが「鈴木志郎康」の戸だったというところが 氏の詩の運命を決めたと言えるかもしれない


鈴木志郎康ははじめ実験的なところから詩を書き書き始め その系列の頂点といえる「プアプア詩」と呼ばれる革新的な詩を書き その後 がらりと作風が変わり 日常 身の回りに徹底的にこだわった あるいは感覚というものを意識的に分析していくような作品世界を展開している というのはわたしなりのにんしきなのだが(ちなみに「極私的」という言葉は鈴木志郎康の発明)詩の発見者 発掘者としても数多くの詩人を見出してきた詩の世界の巨人の一人である


私は 縁あって鈴木志郎康に習った詩人を何人か存じ上げているが なんとなく感覚で持ってきた作品内の言葉に対しての意味や意識を鋭く突いてくるといった印象を持っていて 恐らくそれは鈴木志郎康の詩に対する意識の影響を多分に受けている というか叩き込まれて身にしみこんでいるものだと
思われるが それだけ厳しく 真剣に 詩と言葉を切磋琢磨してきた人たちなんだな と半ば畏怖に近い感情を抱いている


話はそれたが 今井氏はそういった環境の中で いわゆる現代詩っぽい詩(それはなにか と問われると 現代詩手帖に載っているような詩 とあらっぽい片づけ方になるのはとうてい納得いくものではないことは重々承知の助)ではない独自の世界で 詩壇(これも乱暴だが今井氏の論考にある通りの世界と私は思う)に独特の足場を築いてきた


そして やるからには足跡を残したいという至極まっとうな欲望をもっていることも素直に外連味なく綴っている そのような欲望はきれいごとではなくもっと泥臭く人間臭いものだがこれだけ素直に なんというか一種のさわやかさすら感じられるようにかけてしまうのが今井氏の文章の素性のよさ ある種の美しさだと私は思っている


今井氏の考える詩の分類は私も同感であり 人間の見えなさ という点で現代詩は特殊なものになっているのではないか と私も思う それはそれでひょっとしたら日本独自の詩ということで世界に誇れる現代言語芸術といえるかもしれないので全く否定するものではないが今井氏はそのようなところに立脚した詩の立場をとっていない(ちなみに言えば 私はといえば現代詩ってこんな事だろ わからないだろ 凄いだろ という感じに飽きた というか極端にいえば少し幼稚に感じる)


そして中段 非常に重要な言葉が出てくる それはこちらもおよそ現代詩とは程遠い作品世界を展開し続けて特異な立ち位置を確固たるものにしている今井氏の盟友 また志郎康スクールの重要人物 詩人辻和人氏が言った「現代詩ではなく現代の詩」という言葉である 

現代の詩 といったところに これまで現代詩がどちらかといえば扱わなかった 取るに足らない人間の日常の 些細な なまなましい くだらないかもしれないがその人にとっては重要な個人的な題材 下世話 見落とされ 詩の題材にならないと思われた諸々すべてが立ち上がってくる気がする 

本来 書かれるべき詩などと言う大上段な物ばかりでなく 何もかもが題材として扱える自由な精神の賜物であるべき詩が 現代の詩 であると思われる 

それはネットにかかれようが紙にかかれようが 上下あるものではないし 作品としては優劣 巧拙稚拙はあるかもしれないがそれも含めて人間によって書かれた作品 であることに間違いない 

そして その価値は読み手が各々決めていくものであり それは 喩決や修辞といった閉じた物差しばかりではなくて 心が動く あるいは動かない といったもっと感情的な物差しをも開かなければならないのではないだろうか


おそらく 今井氏は技巧的な物差しではなくて コミニュケーション手段としてもあるの詩を念頭に長い詩作生活を過ごしてきて 賞といった世俗的な満足よりもより人間としてのあり方 人間臭さそのようなものを持っていま作品を繰り続けているのだと思う 

その作品世界はかなり突拍子もなく常識にとらわれないものであるが 不思議と悪感情が伴わない 氏の作品世界の無垢さ 正直さと内容との奇妙で上品なバランスにより 不思議とユーモラスな飾り気のない読み味が実現される そこは氏と世間とのかかわりようの真摯さと素直さから立ち現れてくるものではないかと思われる


普通の詩論とは全く異なる詩生活の履歴書ともいうべき詩論となっているこの散文を読むことにより ある一人の詩人の立ち上がり方と人間としての詩人の赤裸々な思考を知ることができる


そしてそれは何かを生み出そうとするすべての人の参考になるものではないかと 読み終えた後 私は考えた

詩人 さとう三千魚さんのサイト

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