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村田紗耶香「殺人出産」図書推薦文

村田紗耶香「殺人出産」図書推薦文

この本に収録された諸篇はいずれも「仮の世界」の話であり 現実とは違うものだが 現在を下敷きとした思考実験に基づく「全く違う現実」もっというならば「ディストピア(ユートピアとは反対の世界)」というべき世界が描かれている 

では表題作「殺人出産」 その世界とはどのようなものか

人口の減少により人間の生と性が国家に管理された世界だ 生殖行為としての恋愛や性交は古い概念となり 人工授精が生殖の主流である さらにそこでは人口を増やすための報酬として「殺人」が用意される 人口増加のための十人の出産 その報酬としての一人 当事者が殺したい一人の命を絶つ権利が与えられる そしてその「産み人」から生まれた子供はセンターと呼ばれる施設で育ってゆく

主人公は「産み人」環を姉に持つ女性 育子である

ひとを十人産むということは単純計算で十年 またはそれ以上の時間を有する 十年の歳月 人を恨み続ける その感情が続けられるのかどうかという疑問はともかく 人は志願する 男性については子宮を移植してまで出産をするという仕組みであり育子の上司も「産み人」志願し会社を辞めた

育子が親戚の子ミサキをひと夏預かることになる そしてその夏に起こることが物語のあらましである

彼女の姉である「産み人」環は心の中に加害衝動を抱えて悩んでいる それは性衝動のように強烈であり いつか人を殺してしまう というより いつか人を殺してみたい に近い衝動と思える そのような禍々しい情念を感じるがゆえに妹と若くして離れ「産み人」に志願し 長らく たまの面会だけという関係となっている

殺される方は指名を受けたら死を免れない 一カ月の整理期間の後に合法に殺される 「産み人」は誰を殺したいのか口外できず 人々は自分がいつ殺される側になるかわからない こうした緊張状態で世界は秩序を保たれている 育子の同僚も指名され殺される 殺されたものは「死に人」と呼ばれ出産のための殉教者 聖なる者 として扱われ慶事のように盛大に送られる 大抵の遺体は恨みによりずたずたになり人間として形を成さない「肉塊」となる

「産み人」になるべくやめた人の代わりに派遣された派遣社員の早紀子は育子と親しくなっていく 仕事も人間関係もそつなくこなし 職場に溶け込んでいるが 実は彼女はこの体制を憎み崩壊をもくろむルドペキア会に属し 殺人が悪という価値観に世界を戻そうとしている さらには「産み人」である姉にも接触し 殺人を止めようとも

姉の環はそろそろ「産み人」の役割を終え 殺人権利を目前にしている 誰を殺すのか 育子かもしれないし 別の誰かかもしれない 

預かっているミサキは殺人が悪であった頃の記憶を持たない 完全に現体制の世界で育った子であり 「産み人」制度に関心を持ち 宿題の自由研究の題材に選ぶ そして「産み人」環に会いに行く かねてから面会を懇願されていた早紀子とともに 三人で会いに

と少し長くなってしまったがネタバレにならない程度に内容をなぞってみた

この三人の面会から先 誰が何を誰に どのようなことが起こるのか いろいろな想像がつくだろう 洗練された書き手ならば何かが起こることの予感を残して途中で物語を終わらせるかもしれない だが この作者はそうはしない きっちりと最後の部分までを冷酷に書ききる この何というか 元も子もないいわゆる「エグさ」はともすれば悪趣味に陥るが そうならないのは作者の透徹した自分の作品世界へのまなざしによる それは現実世界からもたらされた作者の眼そのものであると考えられる 

女性であること 他者と少し違った感性を持つ者の疎外感と同調圧力 それらはジェンダー論 ハラスメント問題として現在喧しく議論されるところだが その熱狂からは一歩引いた目で作品世界を構築していく そこには現在の制度に対しての「そもそも」な「素朴な疑問」があり それに困惑したまっすぐな異端 としての作者の心情を読み取れるような気がする

物語がルサンチマン(世間への恨みつらみ)に堕することなく 読み手にすっとしみ込んでくるところは内面が抑えられた作者のさらりと簡潔な文体によるところ大だろう つらいつらい と訴えて辛さが人に伝わらない その逆の状態が氏の文章の客観性と読みやすさから実現されている 特に難しい所がないからといって世界が浅いわけでなく むしろ読後感は衝撃に近く決して軽いものではない 読後には ひととき現在の世界のありようとこの作品世界に描かれているありようとを行き来して困惑し 善悪 正誤 そしてその倒錯に思いを巡らせることになるだろう

私はこの作品世界に引き込まれ 短時間のうちに読み終えた そのあとの余韻は何日かにわたった 本を読むたのしみは没頭と余韻にあると考える私には 久しぶりに楽しめた一冊であった



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