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わが玉虫物語

もう少しで前期の講義が終わる娘はレポートの
締め切りを七つ抱えてまるで売れっ子作家の
ようにリビングのテーブルでノートパソコンを撫
でるように打っている 時折 その音がかかかっ
と高鳴ることがあって 舞い込んできた玉虫が
思い出したように虫籠で飛ぶ音と聞き分けがつかない
標本にするつもりで玉虫を拾ったが元気に生き
ているさなかで となると例年共有廊下に落ちて
頭を上げているかぶとむしやくわがた同様 命
が尽きるまで いや野生で命尽きる期間以上
に長生きに飼い続けたいところだけれど 玉虫
はかぶとなどとちがって市販の人工の餌は決し
て食べず エノキの木の葉が主食とのことで
今エノキの木がどこかにないか思案していると
ころだった 思い浮かぶ場所は何か所かあって 
調べによれば寺社の境内にはたいてい植わっ
ているとのことだが思い浮かべるだけで実際に
出かけるには今年夏暑すぎて 下階の桜の緑
葉のこちらにせり出しているのを少し摘んで 虫
箱に入れてやったら食べているのかどうか ま
れに桜の葉も食するという但し書きのような一行
に賭けてエノキ狩りに少し猶予をもらっている

澁澤龍彦が次回作として構想していた物語の
題名がたしか 玉虫物語 ではなかったか 晩年
近くに幼少の頃を題材にした小説を書き始めた
日本におけるサドの伝播家は 今も少し屈折した
若い連中に人気なのだろうか 大学の時に私淑
していた仏文の先生は種村季弘は評価していた
が澁澤については学究的な観点からは評価を
していないようだった 確かに 四十を過ぎて
澁澤の初期から中期の仕事に心酔するという
気には個人的にはならない 若い頃に通って
おく 通らなければもう無縁 そんな気がしている
ものの後期の小説群はまた話が別の事 さん
ざん残酷だなんだ言っていたその筆致は打って
変わって明解で すらすら読めてしまう変な曲が
りのないきれいな文章だ 表現の本質だけとら
えて生中な装飾や文章の入り組みはない

どうあがいても水槽の白濁りがとれない 濁り
取りのバクテリア剤二種類 細かい石がキューブ
になった濁り取り石 何度も水替え お手上げ
みりんがいい という話を聞いて本みりんを妻に
買ってきてもらった 意外と味醂はアルコール
度数が高い 隣町は味醂の産地として少し知ら
れているところで 晩酌が味醂だったりするらし
い ストレートだと甘すぎるので水割りにしたり
で飲むといつかテレビで見たけれどあれは本当
の事なのだろうか 世界的醤油会社に買収され
てもブランドとして万上という屋号が残っている
ラベルに書いてあったロゴの字が上という字に
詠めなかった どのくらい添加していいものか
ほんの少し入れてみると濃度の違う液体が燃え
広がるような透明な火炎のような物が見えた
子供の時分 風邪をひくとすぐ注射をされたもの
で ガラスの透明な注射器の中で薬液が混ざる
あの時の光景と同じだ

新聞を夜一日遅れで読んでいてふっと今までに
退職後いくら使ったのか大まかに計算してみた
あれから六年暮らして使った額はおおよそ予算
通りの額だった そこから 残金とその後の割
振りを考えてみて 考えても仕方ないのですぐに
やめた で 何とかなんだろ と大声で口にして
みると ふふふっ と息子が隣の部屋から笑い
かけてきた

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