見出し画像

生きていたくないという感情


*閲覧注意。自己責任でお読みください。あくまで持論。正解ではない。最後、ですます混じってる。


どもども、お久しぶり。
最近、暗いニュースが多くてだいぶ気が滅入っている私。


なんか嫌なことがあると死にたくなるし、幸せだなと感じる時にも死にたくなるし、たまに猛烈に死にたくなることがあるのはいつものこと。自殺の仕方も調べたりして痛いの嫌で根性なしで死ぬことできていないが。


・幸せな時に死にたくなるってどういうこと?

ただ単純にこれ以上幸せなことが起こらなくてもいいや、これ以上辛いことに耐える方が嫌だって考えてしまう。今、この美しい景色を見ながら安らかに死ぬことができるなら、どんなに幸せなんだろうって思うことがしばしば。


以前、どこかでこれをツイートしたことがあってフォロワーさんにそれやばい思考なんでやめた方がいいっす、、と言われたことがあるんだが、まぁ思考はあまり変化してない。なんとも情けない話。


・死にたい人にかけてはいけないと思う言葉

「人間生きていればいいことがある」

って簡単に言う人達がいるが、確かに良いことはあるかもしれないが嫌な事の方が多い方が嫌、辛すぎるって考える人もいると思う。
良いこと、楽しいことの為に頑張るのにすら疲れてしまった人に生きてればいいこともあるなんて言ったって無駄。良いこと、楽しいことの為に人生という登山を続けるの辛いんだから。



・死にたい人は死にたいと口にしない

これは完全に持論だが、
死にたいと思って死にたい〜って口に出せる人は大体、死にたいんじゃなくてただ単に、
「今辛すぎるから早く時よ過ぎ去れ〜」
って思ってるだけ。死にたい〜って言っている人の中にも稀に本当に死にたいと思ってる人もいると思うが、それは周りが気付いて相談に乗ったりして死ぬまでには至っていないだろう。

本当に死にたい人は、誰にも相談できずに思い詰めて亡くなってしまうことが多いのではないのかな。周りには普段と変わらぬように接して決して心を見せない。自分に嘘をついて、周りからみた自分を演じ続ける。だから誰も気づかない。本人は本心を隠し続けて、孤独を抱えながら生活している間に心が折れてしまう。やがて誰にも相談できずに将来に希望も見出せずに消えてしまう。だから鬱病などは完璧主義やプライドの高い人がなりやすいのかなと思う。


・死にたいんじゃなくて生きていたくない

ちょっと重複してしまうが、死にたいと思う感情は『生きる』ということ自体が億劫になるということだと思う。とにかくもう明日を生きるのすら辛い。辛いことを乗り越えていく強い心を持てそうにない、つまり、生きていたくないという風になってしまうのだと思う。


「きっと誰かがその考え方を変えてくれる、素敵な出会いがある」

という希望的観測の意見を述べる人もいるけれど、そんな不確かなことを生きていたくない人に言ってもたぶん、辛さが増すだけである。



・生きていたくない人へ


正直、無理に生きろなんて言いません。
ここまで話しといてそれはないだろって思う人いるかもしれませんが、その人が悩んで悩んで悩み倒した結論ならそれはそれで仕方ないんです。死ぬのだって自由ですから。

(ただ一瞬でも誰かに相談したら、自分の中に生きていたいという感情が少し残っているので話は別)


本当に生きていたくないと思っている人に
「そんなこと言わないで」
なんて安っぽいセリフ言いません。言えません。

私だってできれば生きていたくないので、言われても1mmもなんとも思いませんし。

「一度休んでみて、逃げて」
と言うのも
逃げた後に待ち構えている現実が怖いと思いますので、それも言いません。無責任に逃げてなんて言われたって何も響かないと思いますし。



ただ一つ、
無責任ではあるが、

安らかな最後であることを願う。




しかし!!!
とても難しいだろうが、本当の本当の本当のところはそこまでいく前に、誰かに心の内を打ち明けてほしいなと思う。それだけは言いたい。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?