見出し画像

発達障害の疑いのある親を持つ娘としての現在、そして未来について。

きちんと検査したわけではないけれど、私は父及び父の兄弟姉妹に、発達障害(ADHD及びASD)の疑いを持っている。

✳︎書類を紛失?!モヤモヤの原因を分析する✳︎

そんな我が家でちょっとした事件が起こった。

私が確定申告に使うはずの領収証の一部を父が紛失したのである。同居している関係で、私が支払っている私宛の分も父名義で届くので、ややこしいと言えばややこしい。それに、戻ってくる額が減るだけで別に死ぬ訳でもないと言えばそうなのだ。だから、そんな大したことないと言えば大したことないし、そもそも失くしてしまったものは仕方ない。でもなんとなく、やるせない気持ちになった自分がいた。

✳︎もしも、父親が発達障害だったとしたら✳︎

発達障害はおよそ70%の確率で遺伝する。そしてその出方の濃淡は親子交互に強く出やすいという法則があるとも言われている。私が父や父の兄弟姉妹に発達障害の疑いを持ったのが数ヶ月前。私は未婚で当時39歳なので、自身が子供を産む確率はそもそも極めて低い。おかげで衝撃は最小限で済んだけど、正直「マジか・・」と思ったし、その仮説に基づいて過去・現在を見てみると説明がつく事が色々あり、けれど同時に「それなら仕方なかったのだ」と思えた過去も沢山あって、ショックだけどどこか憎しみから解放されてホッとした自分もいた。

ただ一方で、私自身も多少その要素を持っている可能性を否定できないというのは、ショックだった。とは言え社会生活を営む上でそれが問題となっていなければそれは「障害」としては認められないし、私はこれまで皆と同じように学校に行き、皆と同じように会社にも行ってきた。性格も、素は繊細で寧ろ共感的で先を読みすぎて心配性だったり、責任感があり過ぎて悩みやすい反面、たまに天然だったりもする。ただそれも公の場では一応如才ない優等生と見られる事も多いので、恐らくそこまで大きな支障は出てないつもりで今に至っている。

また、現在72歳の父も現役当時は社会にまだまあまあ余裕があった時代だった事もあり、恐らく多少の変わり者として、それでもクビにはならずにどうにか会社員としてやって来れたのだと思う。

✳︎私の人生と子供について✳︎

誤解しないで欲しいのだけど、私は一般論として発達障害の人は子供を産むべきでは無いと言いたい訳ではない。

ただ、私は今後自分の負う苦労を考えると、「私自身は今後どういう展開になったとしても子供を産まない方が良いな」と思っているというだけだ。ただそう考える時に同時に、ほんのちょっとやるせなさが湧き上がる。別に子供が欲しいわけじゃない。そもそも根本的に年齢的にも多分難しいと思う。でもその可能性を実質的には使えないのが悔しいというか・・・?

うーん、違うな。厳密には悔しいわけでもないな。お友達の子供を見て心から可愛いと思うし、羨ましいとか悔しいとかは全く無いんだけど、自分の人生の延長線上にこういう選択肢は使えない、というか使わない方が良いというか、自己実現を諦めて子供の子育て兼子供の介護に今後の人生の全てを捧げるレベルの覚悟を持てない限りは選択肢として持たない方がいいし、私はその覚悟は持てないな、と思い至ったという感じ。

そして、そういう運命に対しての「そっかぁ・・・」という感覚、というのが今の私の実感に一番近い。

︎ ✳︎自分の生育歴と今後について✳︎

そんな私に、先日ある知り合いから「発達障害の方を対象とする就労支援施設のスタッフとしてバイトしないか?」と声がかかった。

カウンセラーを目指している身としては、絶対良い経験になると思うし、雇用保険を受給しながら出来る範囲内でのバイトという形で始めるので、勉強の時間も取れるし、自分と仕事や職場との適性を試せるという意味でもありがたい話だと思う。

と、同時にこういう父親を持つ娘として、ある意味、バウンダリー(境界線)をいかにして保持するかを試される場になるだろうという気もしている。

✳︎挑戦するにあたって✳︎

自分の可能性を無駄に諦める事はしたくない。とはいえ、敢えていばらの道を選ぶ必要もない。

果たしてこのまま心理の道に進むことは、私の幸せにとってどうなのか?ここ数日、実はずっと考えていた。ただ、いずれにせよ「パワハラの傷を癒すために、暖かくなるまではフルタイムはオススメしない」と医師から言われている今は、言わば思いがけず手に入れたモラトリアムな時間。バイトも勉強もその間の有効活用と思えば、今はまだ別にそれほど深刻に考えなくても軽い気持ちで挑戦しても良いんじゃないかとも思う。

過去、現在、そして未来。
みずから自分に無駄に足枷をかけないように。冷静に物を見るためには、心を落ち着かせて、心の声や考えを聞き、視野を狭めないようにすること。そして後悔の少ない人生を送るためには、なるべくフラットな視点で多くの選択肢の中から納得のいく選択を重ねていく必要がある。

恨むでもなく、諦めるでもなく。
自分なりに何ができるか、何をしたいか。
そしてその時々で何を感じ、何を考えるのか。
冷静に観察しながら比べず焦らず進んでいきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?