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人は何に拒絶するのか。|ドラマ感想

これは、以前使っていたブログに当時観ていたドラマから感じたことを投稿した文章。読み返して今も大切だと思い、また想い入れもある投稿だったので、文章や言葉をリニューアルして、改めてnoteに投稿することにした。

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2014年1月当時、気になって観ていたドラマがあった。そのドラマは、『明日、ママがいない』。相関図はこちら

前回は『Mother』について綴ったけれど、そのドラマとも関係する社会問題だったので、気になって観てみることに。

初回放送後から、大きな話題(論争?)になったドラマだった。あれから、5年経つが、このドラマが訴えていた問題はどうなったのか。よくなったのか、それとも悪くなったのか。社会はどう変わったのか。それを考えていく上で、投稿しようと思う。

実は、初回放送は最後まで観ていない。最初の10分ほどだけ見て、電源を消した。その理由は、次も観たいと思えるドラマでなかったから。
何故観たいと思えなかったかは、“違和感” があったから。その違和感は、ドラマの “言葉遣いや表現”、設定にあった。

違和感の原因は、“私の知らないことが多すぎて”、そのギャップが大きすぎたこと。すぐに問題になるかなと思うと、やはり賛否両論の問題が巻き起こった。

その声の多くは大人側の意見で、当事者の子どもの意見は少ない。一部、 施設を巣立った子どもたちの意見もあったけれど、これが全てではない。ドラマ打ち切りを言う大多数は、ドラマで設定された施設などは事実からかけ離れているからという。
ただ、あそこまではなくてもそれに近いことは本当にないのだろうか、とふと思った。大小の問題ではなく、“あるかないか” という問題で判断すべきでは。大小で判断すると、小さい方に在るものを見ようとしなくなる。

イジメ問題も多くの学校で、初めは「ない」と答える。しかし、その後の調査ではどうだったか。「ない」と言っているのは学校側であり、後で「ある」ことが判明するのは、いつも当事者の子どもの声から。

施設を巣立った人の肯定的な意見も読んだが、ネットを通して意見を言う人が全てでない。意見を言えない人、言える環境を持っていない人などもいる。一部の人の意見をもって問題はないと言い切るのは、かなり危険。そこには、勝手な、都合のいい、思い込みや憶測が存在しているから。

私は、最後まで続けるべきだと思う。だから、次回からは観ようと思う。私も含め多くの人は施設についての知識はなく、そして理解できていない。テレビの情報を疑わずに信じる人もいれば、本当かと疑って関心をもって検索する人が増えるだろう。
デフォルメはあると思うけれど、マスメディアを通して現状を知る絶好の機会になる。そして支援する人が増えるかもしれない。

子どもへの影響があるのに、子どものケアはどうすべきか、という課題もある。イジメが起こるという意見もあり、実際起こるかもしれない。当事者の子どものサポートはもちろん、同じ学校に通う側のサポートも必要。多くの批判的な意見は、ここが十分でないから打ちきりを言っている。

子どもを常に見守ってきた側の人にとっては許せないことであり、もし私もそちら側であれば同じような意見を持ったかもしれない。
ただ、客観的でなく主観的な感情が多くを占めていたことが推測できるので、冷静にドラマを観ていたのかという疑問がある。

一番強く感じるのは、このドラマを放映中止して何かが変わるのか。施設に問題も課題もなければ変わる必要はないと思う。しかし、あるのなら今はいい機会。
放送を続けることで、問題意識がない人に問題などを提示できる機会になる。視聴者だけでなく、ネットなどを通した啓発にもなる。

ただ一つだけテレビ側に十分気をつけて欲しいのは、“言葉遣いや表現” について。『Woman』とは大きな違いを感じた。もう少し丁寧な表現にしてほしい。メッセージとしての言葉ではなく、視聴者とコミュニケーションするような言葉であれば、あれほど批判はでなかった気がする。それが狙いかもわからないけれど。

たかが言葉、されど言葉。言葉で傷つく人もいる。傷つくのはいつも弱い人。強い人は意見などで反論できるが、弱い人は自分に向けてしまう。伝えたいことも、拒絶されれば伝わらない。想いを相手に伝えるのには、どうすべきかと少し考える機会になりそうだ。

私は知らないことがあれば、気になってしょうがない。知りたくて知りたくて、しょうがなくなる。未知なるものへの好奇心や、無知なるものへの探究心が、人一倍強い。

知らないことを知ろうとする気持ちさえあれば、拒絶はしなくなるだろう。

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