見出し画像

【学級通信】



 今年度の学級経営の軸の一つに学級通信がある。
 
 4月の11日に、第一号目を出して、その時はそこまで「書くぞー!!」としていなかった。

 初任校の3年目くらいから学級通信は毎日書いていたんだけれど、前年はどうにもこうにもかけない状況だった。

 異動初年度で、あれやこれやとずれてしまって、それにより学級はかなりしんどい状態に。もうお前それ書く前にやることがあるだろという状況になり、断念した。そんな前年度。

 そんなものだから、今年度は「書けるところがあったら書いていこう。まずその前に、学級が安心安全な場所であることだ。それが一番だ。」と丁寧に。

 でも、初日にすごく素敵な行動ばかりで、全員の素敵なところが書けるなって思ったから書いたのが第一号。

 それから、その次の日、次の日も。

 という感じで、3月22日には285号まで行っていた。それくらい素敵な毎日だったんだなと思い返す。

 書き出しがそんな感じの気持ちだったので、手書きでスタートした今年。

 「これ毎日書けるかも!」って思ったときに、手書きで書き始めたことをちょっぴり後悔した。けれど、そこには温度があってお家の方からもありがたいお言葉をいただいたので、手書きは迷わず続けることにした。

 昨日、教育サークルまほろばさんの「紡ぐ学級通信〜言葉で育てる学級経営〜」に参加した。

 そこでは、学級通信の価値、そこへの思い、言葉が与える子どもたちへの影響など、数え切れない学びがあった。
 また、熱量にも驚かされた。

 そして、自分もまだ何年生かもわからないのに、火が灯りまくりだった。

 その中で、どんなところにスポットライトを当てるかが、みなさん明確であった。
 まさに学級通信を通して、子どもや学級を育てるという視点が明確にある。

 例えば、「目に見えない部分」にスポットライトを当てるとか、成長や感謝に当てるとか。

 特に心への価値づけは、「自分で考えた」「相手への思い」「挑戦」「認め合う」そんな子どもたちを育てることにつながる。

 こうして、小さな成長や目に見えない部分を当たり前と思わず、「言葉」をつかって、価値を届ける。

 それこそが、教師の役目であるし、そんな温かに見つめて、変化を喜ぶという教師としての在り方が、「人」として子どもたちを豊かに育むのだろうと思った。

 そう考えると、自分は何に特にスポット当てて書いてきたのだろうと思い返す。

 
 多分「子どもたちは気づいていないけれど、それってこんな点においてとっても素敵なんだよ」ってことを子どもたち自身が成長実感できるように書いてきたのかなと思う。

 まあ、価値づけってことになるのかな。

 いい点を打たなければいい線にはならないっていうのも、ものすごく刺さって。

 つまり、いい点を探し続けるってこと。

 「捉え方」がものすごく大切だと。

 それでいうと、「泥臭く、目の前にある事実を届ける」ということにも、ものすごく心動かされた。

 やっぱり、綺麗にいいところを書きたくなる。

 けれど、学級ってそううまくいくことばかりではない。こういう現実的なとこにも触れていただけるセミナーってあんまりないから、ものすごく学びになった。

 そこでもやっぱり、もやもやしたものもそのまま届ける。

 でもだからこそ、次の一歩成長した姿も熱をもって届けることができる。

 読んでいる人はドキュメンタリーを見ているような感覚にもなるのかなと想像した。

 何より、そういったありのままの姿や少しの成長変化がリアルに届けられることで、応援したくなる集団や個人になる。

 教師自身がそうした、応援し合うことへのアンテナがあるから、子どもたちも互いに応援し合い、励まし合う集団に育つのかなと思った。

 そんな学びの多い豊かな時間。

 また、ビジョンとミッションを明確にして、学級通信を一つの軸としていけたらと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?