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うつ病の僕が見たWEEKLY OCHIAI「メンタルクライシスを考える」と最近のこと。

 うつの再発からもうすぐ2年が経つ。

 世の中はコロナ禍で様々な問題が取り沙汰される中で、メンタルの問題も取り上げられるようになってきた。NewsPicksのWEEKLY OCHIAIでもやっていたのでとりあえずフルバージョンのものを見てみた。youtubeは期間限定ロングダイジェストらしい。

 自粛下の社会構造、それぞれの対応や脳科学、アフターコロナ、ノーマルという概念の変化など様々な視点からメンタルのことを語っていくのだけれど、当の心理カウンセラーでさえ、具体的な話になればなるほど、うつ病や精神疾患とどう付き合うか、もしくは克服するかを分かりやすく解説したの本の1ページ目に書いてあるようなことしか話さない。ややもすると話を逸らすような、その話題ではなく自分のしたい話をしている感すらあった。この情報にお金を払う気持ちには僕はなれなかった。というのが感想。

 ただ、このようにメンタルの話題が語られるとき上に書いたようなことが起こるのは、当然のことなのかなとも思う。メンタルの問題に平均値やノーマルはないと思う。いや、確かにおおむねこのような症状が出るなどの基準はあるとはいえ、この問題はその原因からなにから個人個人で全く違う。それを一緒くたにして話そうとしている方が逆におかしいわけで、そうなると専門家ゆえにいわゆる概論的な部分しか語ることができないというのもわかる。

 もう一つ気になったのは、落合陽一以外の人間が気持ち悪いくらいポジティブな感情をもって発言しているということだ。発言している内容に関しては、まったく正しいので何の疑問をさしはさむ余地はないのだが、僕はなんだか違和感を覚えた。

 笑えばいいんですよ、とか、楽しみを見つければいいんですよって、地位も名誉も金もある人に言われれば言われるほど、うつの経験がないか、もしくはメンタル的に追い込まれても強靭な精神力で乗り越えるかやりすごしてきたから言えるのかもな、体感としてそれが自分に無いから言えるのだろうなっていう発言のトーンや表情が逆に僕を苦しくさせた。

 自分がメンタルの疾患にかかった経験があるならば、その経験を話すことが何より説得力のある言説になるはずなのに一切それがないというのは、やはりそういうことなのだと思う。

 番組のあの空間が負の感情を認めない人間たちの集まりのなかで、やはり落合陽一という人だけはバランス感覚が良いなぁとも感じた。でも、ほとんど話してなかったからかも。

 今の僕の状態というのは、何回も言っている気がするけれど、再発予防期に位置している。それでも朝起きたら毎日死にたいと思うし、社会復帰して今は病院でバイトをしているのだけれど、療養中に思い描いた気分の良さなんてまるでない。むしろ療養中の方が精神的に安定していたとさえ思う。

 ここ1、2ヵ月でなんだか状態は悪くなる一方の気がする。波があるとはいえ、今はずっと下がり調子か、もしくは低空飛行のような状態なのだと思う。気分が落ち込んで、あの時みたいに頭が重くなって、もう駄目だと思う。それをずっと繰り返している。

 その点でいうと、コロナ如何に関わりなくそれ以前から僕はメンタルの疾患を抱えていたので、逆にコロナになるとか不安とかそういう恐怖はほとんどない。もしなったら家でずっと寝ていれば、もしかしたら死ねるかもしれい。それくらいだ。

 コロナ禍で刻一刻と変化していく社会の中で、今の仕事がずっと続けられるわけもないので、2週間くらい前からプログラミングを学んでみることにした。とりあえずお金が欲しいと思って、いらないものはメルカリに全部出した。いろいろなことをやっては見ているけど、だからって幸せになれるわけじゃない。

 この何か月間か特に人の幸せを見るのが嫌で嫌でたまらない。たぶん本当は、温かい人間関係を築きたかった。僕は愛が欲しかった。でも気が付いた。僕は愛される資格がないのだと。それで決めたんだ。もう愛や温かい人間関係はあきらめる。だからお金だけはたくさん稼ごう。お金を持っていても幸せにはなれない。わかっているけど、それ以外はあきらめるときめたんだから、お金だけは稼ごう。お金があれば、とりあえず生きていけるから。少しでもこの嫌な気分が消えると思うから。そうでなかったら死んでしまいたい。

 バイトをしていて思う。自分はいったい何をしているんだろう。なんでやりたくもないことをやって死にたくなってるんだろう。早く楽になりたい。ずっとそう思っている。希望もない。幸せもない。これからもずっと。

 散々地獄のように苦しんで、何とか這い上がってきた場所は地獄だったというそういうお話。

チョコ棒を買うのに使わせてもらいます('ω')