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作家は経験したことしか書けないのか?

※アルファポリスからの転載です

 少し前、Twitterにおいて、小説書きさんたちの間で(?)話題になっていることがあります。「作家は経験したことしか書けない」という話です。

 この言葉の意味するところは何なのか。
 経験したことでないとリアルには描けない、ということなら、それはそうだなと思います。
 例えば、私は学習塾の講師を7年ほど務めていました。入社前に「塾講師がどういう仕事なのか」という話をいろいろと研修の場で聞いていましたが、そこで想像していたものと、実際に講師として授業を行い、生徒とコミュニケーションを取り、保護者連絡をし、体験生を動員するための営業を行い……ということをした時の仕事の印象は全く違いました。生の体験でしか得られない実感というのは間違いなくあるわけで、そういう意味では的を射た言葉だろうなと思います。

 けれど、そういったリアリティが問題になるかどうかは、読み手の経験にも関係があるでしょう。また例を出します。よく言われる「作家が経験したことしか書けないなら殺人事件を描いた作品の作者は殺人を犯しているというのか」という点についてです。もちろん、そんなわけはないし、殺人を犯した人が出てくる小説を書いた作家が殺人を犯したり殺人事件に関わったりしていなかったとしても、なんの問題もないはずです。その証拠に殺人を犯したことのない作家のミステリには面白い作品がいくつもあります。そして、それは殺人を犯した読み手はそう多くはない、リアルを知らない人が多いからこそ、その小説にリアリティが保たれているから、という点もあると思うのです。
 もっと言ってしまえば、異世界転生。おそらく、世の中のどこを探しても異世界転生を経験した作家はいないと思うのですが(おそらくです)、そういった作品はたくさんあるし、面白いものとして人気もあります。けれど、それは異世界転生を実際に経験した読み手が(おそらく)いないからこそ、ありえない設定でもある程度のリアリティを保った状態で楽しめるのだと思います。
 リアルを知っている人がいないからこそ、想像を羽ばたかせて書いた作品にリアリティを感じることができるという側面があるのではないかなと、そんなことを私は考えています。
 逆に言えば、学校に行ったことのない人が学校生活を描いた作品を書いたとしたら、リアルでないと感じる人は多いと思います。学校生活は、ほとんどの人が送ったことのあるものであるため、リアルを知っている人が非常に多いからです。そんなことを先生は言わない、そんな聞き分けの良い生徒はいない、など、自身の経験してきたリアルと比較して現実味がないと感じる人がほとんどなのではないでしょうか。

 ただ、そうなると、実際に体験していなくても書ける小説は、多くの人が経験していないことに限られてしまいます。けれど、私はそれも違うと思うのです。「経験」というのは、決して自らの体験によるものだけではないと思うからです。

 私自身、自分とは違う経験をしているキャラクターを書くことが多いです。
 これは、多くの人に「経験していないことを書いている」と捉えられる書き方だろうなと思います。確かにその通りです。
 けれど、全く自分の経験が影響を及ぼしていないかと言うと、決してそうではないと思います。いえ、はっきり断言できますね。そうではありません。
 私は私を書くことに関心がありませんから、当然、描くキャラクターは私ではないし、私と経験を共有しているわけではありません。ありませんが、それでも、私が見聞きしたこと、特に映画や小説、漫画などで鑑賞した事柄には大いに影響を受けています。何かを見たり読んだりした時の経験から得た自分の感じ方、考え方が作品には反映されていることが非常に多いです。そして、私はそれを「追体験」というひとつの経験ではないかなと、思ったりもするのです。
 私の経験してきたことというのは、私にとってそう面白いものではないし、経験の幅も決して広くありません。だから、私は私を描くことに興味があまりないし、もっと違う人を描きたいと思います。けれど、「描きたいこと」というのは私が鑑賞を通して考えたり感じたりしたことに根付いているし、さらにその根っこには自分の経験があると思うのです。自分が経験してきたことがあるからこそ、鑑賞を通して強く感じることがあり、それを「追体験」まで高めてくれるのだと思います。そして、「追体験」したこと、そこで得られた感覚を自分でも生み出したいという欲求が執筆への気持ちだろうなと思います。

 そういったことを考えると、実体験でなければ小説が書けない訳ではないけれど、「経験」を広義に捉え、実体験ではなく追体験したことまで含めれば、「経験したことしか書けない」という言葉には大いに頷けるなと、そんなことを考えたのでした。

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