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群れることは悪か?

フリーランスという仕事をしていると、たまに孤高のクリエイターみたいな人に出会う。

真実を探求し続ける哲学者のようにデザインや技術を追求するような人だ。

そういったスタンスもかっこいいなぁ〜と思う。
でも僕は多種多様な群れに所属する全く別方向の人間なので憧れはあれど向かうことはない。

僕の思う「孤独」のメリットは、「独自性の醸成」だと考える。
他者の影響を受けにくい状況はオリジナリティを磨く時間をつくる。
画家や芸術家が孤独を好むのは「自分との対話」を重要と考えているからだ。

また、群れることは「弱さ」を生むことがある。
最近流行りのブレイキングダウンを観ていると仲間がいる時は威勢がいいけど、リング上に一人になり、いざグローブつけて殴り合うことになると、とたん逃げ腰になってしまう人がいる。

これは群れとしての強さを自分の強さと勘違いすることで起きる現象だ。

虎の威を借りると自分のスキルが今どのくらいの場所にあるのかを認識することが難しくなってしまう。

では、群れることは悪なのか?
僕はそう思わない。
厳密に言えば「一つの集団に依存してしまう状態」が良くないと考える。

つまり、複数の群れに所属することで相対的に自己の状態を判断することが理想だと思う。
そしてできるだけ文化の違う集団に所属したほうが面白い。
Aの集団に所属しているときに、別で所属しているBの集団に対する矛盾点などを指摘されることがあるからだ。

複数の集団に所属し、意見を交わし合うことで多様な視点を獲得することができる。それは時に60歳以上だったり、小学生だったり、老若男女問わずフラットに話すのが一番おもしろい。

例えば小学三年生の群れと好きなユーチューバーの話をした時は、
どんなユーチューバーが好きで、どんなところが好きで、どういう時に観ているか?自分もやってみたいって思う?みたいな話をする。

70歳の群れにも同じようにユーチューブの話をした時はむっちゃマニアックな格闘技の動画を観ていた驚いた(躰道や大道塾の動画など)


群れる人間が弱いと言われることがあるけど、
それは「弱いから群れて自分を誇大にみせようとする人」がいるからだ。
その人が群れの全てなら群れは崩壊する。

本来、群れをつくるのは「狩りや外敵から身を守るための防御の効率性」のためである。

僕らの仕事の場合は「より良い仕事を行うためだったり、仲間がピンチの時は助け合う」ことに置き換えることができる。
そういった組織はスタッフも育つし離脱も少ない。

ただ危険なのはイエスマンばかりを集めてしまい囲まれて暮らすことで偏った考え方が強化されることだ。その結果、排他的になってしまうと年々に攻撃的になったり押し付けがましい人間になってしまう。
そうならないためにも複数の群れにも所属するというのが僕の考え方である。


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