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敬老の日

「敬老の日」

今までは、ふーんとしか意識してこなかった日だった

母から、「おばあちゃんに連絡した?」と言われて、あーそっか。連絡しないとな、元気してるかな

っていうくらいなんの意識もせずに過ごしてきた日だった

だけど、今年は違った

なぜなら、敬老の日に、私が敬いたい相手はもうこの世にはいないから

いないことで、忘れられない特別な日になってしまった

去年の3月
祖母が亡くなった

当時、わたしは名古屋に住んでいて
祖母は大分に住んでいた

母と姉は大阪に住んでいて

私は実家のある大阪を出て、
名古屋に就職してから一度も大分に帰ることはなかった

母と姉は
大阪から車でよく大分に帰っていて

そこでテレビ電話を繋いでもらって
祖母とお話をするというのが
名古屋に来てからの私がやっていた
唯一の祖母孝行というものだった

祖母の年齢は90をこえていて
いつかそんな日が来ると
頭のどこかでは考えていた

けれど、また会えるとも
同時に思っていた

だけど違った

唐突にその日は訪れた

この日のことを
私はいまだに覚えている

今思えば
虫の知らせだったのか

その日の早朝、
なんだかわからないけれど
とてもない不安に駆られて目が覚めた

なんかしたっけ?

当時は土日でも仕事のことでいっぱいだったから、仕事でやらないといけないことを忘れていたんじゃないかと

眠たい頭を必死に動かして自分のタスクを一つ一つ確かめたことを覚えている
そしてたぶん大丈夫と。不安な気持ちを押し殺してもう一度寝た

そしてそのとき、わたしは祖母の夢を見た

一度も来たことのない、というより場所を教えたこともなかったはずの、当時私が住んでいたシェアハウスの玄関に祖母が来ていて、さっと去っていった

「なんで、おばあちゃんがいるの?」
夢の中の私はびっくりしていた

それに何も答えることもなく祖母はさっていった

確かそんな夢

そんな夢をみて私は起きた

ひさしぶりにおばあちゃんの夢を見たな〜

だなんてその時は呑気に考えていた

そしてそれから数時間後に
わたしは電話で祖母が亡くなったことを告げられた

いろんな思いが溢れてやまなかった

1番の後悔は
会える時に会わなかったこと

あのとき
早朝に起きたとき
胸騒ぎを無視せずに祖母に連絡を
家族に連絡をすればよかった

たらればにしか過ぎないことは
わかっていたけれど、

できたはずで、でもしなかったことを
何個も思いついては
後悔の念に襲われた


まわりからは
いつも孫の中で一番年下の私のことを
おばあちゃんは心配していたから

きっと最後にあなたのところに
来てくれたんだよ

と。そんな言葉を伝えられた

その言葉はあったかいものだったけど
それでも
どうしたって後悔の念が次々にでてきて
とまらなかった


私のおばあちゃんは
いつも優しくて
おもしろくて
お茶目で
料理が本当に上手で
楽しいあったかい人だった

「〇〇ちゃん」と私の名前を呼ぶ声には
いつも愛情がたっくさん詰まっていて
わたしはそんなおばあちゃんの前なら
いくつになっても素直でいられた

そんな人が亡くなってしまった
逝ってしまった

1.5年ほど過ぎた今でも
まだ消化しきれてない思いがたくさんある


誰しもが通る道だと、思う自分もいている

親しい友人、家族、親戚
いろんな人がこの先も先に逝くのは
避けられないことで

きっと今抱いてる私の気持ちも
特別なものではないのもしれない

でも、だからこそ、
この気持ちを今日ここに
したためておきたかった

この気持ちを
忘れるなよ自分
どうか忘れてくれるな自分

と、そんな思いで今文字を打ち込んでいる

「敬老の日」

この日は、たくさんある祝日の中の一つだとおもっていた、休みだ!ラッキー!

そう思っているのはわたしだけではないとおもう

今までなら、
「せっかくの休みだから何かしよう」
ぐらいのテンションで過ごしてきた日だった


でも今日は違った
そっか今日敬老の日だったのか、、、

今日が「敬老の日」だと気づいた途端

何もする気が起こらなかった

グダグダと
何も特にするわけでもなく
部屋で過ごして

やっとこさ、重い腰をあげたのは夕方の4時頃で

なにかしないと
何か食べないと、そう思って

ふらっと前から気になっていた、近所のおばんざいやさんに
行った。

入って店主からメニューが書いてある壁をみるように言われた

そこで目にしたのは

『大分県産のサバ定食』
『大分県産のカボス』

店主からも「今日大分からのよいアジが入ってきているよ」
だなんて言葉をかけられた

気がついたら、
「大分県産のサバ定食をお願いします」

と、言っている自分がいた

そのうち「実は大分出身なんですよね」と、話し出す自分がいてて
店主と話すうちに、なんと、偶然にも店主のお母さんは大分生まれ、
店主も大分育ちということがわかった

気がづいたら大分の話をしていた

祖母のことを想い出して
感傷的な気持ちのまま
何もする気になれなくて
そとにふらっと出てきたはずなのに

気づけば大分の
祖母のことを思い出さずにはいられなくなっていた

帰り際、
何かを察したのか
店主のお母さんから、「おまけしといたけん、家帰って、食べなね。またなにかあったらきなさいな。」

と声をかけられた

まるで、いまはもういない祖母を思い出さずにはいられない
とてもやさしいげな声だった

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「敬老の日」
この日の過ごし方をわからない自分がいていた
後悔が溢れるそんな1日の始まりだったから

だけど今日ふいにおもった

そっか。こういう日があってもよいのかと。
思えた

敬老の日に、もう大事にしたい人がいなくても

その人のことを想い出して
思い出の詰まった料理を食べたり
昔のことをおもいだしたり

こういう日の過ごし方があってもいいんだな

と。思えた

今日食べたのは
大分県産直送のサバの干物の焼き魚定食

そして店主の好意でつけてくれたカボス
(大分出身だというと、大分はカボスが有名だからと特別につけてくれた)

来年は、祖母の好きだった
唐揚げを食べようか
それとも、お刺身を食べようか

とにかく、大好きだった祖母を思い出すものを口にする、
そんな日にしようと思う

「敬老の日」の備忘録
未来の自分へのアドバイスだとおもって
今日ここにしたためておくとする

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こんな駄文につきあって読んでくれている人がいるとしたら感謝です。そして祖母にも最大の感謝を。


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