雑司が谷散人

2016年11月から東海道を歩き始めて以来、あちこちの街道歩きを楽しんでいます。 今ま…

雑司が谷散人

2016年11月から東海道を歩き始めて以来、あちこちの街道歩きを楽しんでいます。 今まで歩きながら撮り溜めた写真など、街道歩きの軌跡を記録として整理したく、このページを立ち上げました。 古いものから時系列に紹介していますので、内容が最新ではないこと、ご容赦下さい。

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雑司が谷散人の街道遊歩 街道別→歩いた日別の目次

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    • 雑司が谷散人の街道遊歩 0584

      東海道 28日目-04 2018.12.5東海道旧道は本丸町へ。 膳所城本丸。 膳所の地名のルーツは、天智天皇が都を大津へ移した際、この地を御厨所、すなわち天皇へ出す料理をするところと定めたことによる。 東海道旧道左手に、亀屋廣房。 京都の亀末廣の別家としての歴史を持つ膳所の老舗。 膳所城のあった琵琶湖へ突き出た半島状の地を陪膳(おもの)の崎と呼び、これが詰まって膳崎、膳前となり、膳所に変化したといわれる。 「所」と書いて「せ・ぜ」と読む例を、関東では見たことがない。

      • 雑司が谷散人の街道遊歩 0583

        東海道 28日目-03 2018.12.5若宮八幡宮周辺に、別保の地名がある。 天武天皇の命でこの地に若宮八幡を造営した際、付近の琵琶湖畔での殺生が禁じられ、漁師たちから特別な浦の意で「別浦」と呼ばれたことに因むという。 東海道旧道は京阪電車瓦ヶ浜駅へ。 膳所城は大津城、坂本城と並ぶ琵琶湖の浮城のひとつ。 慶長6年に家康が東海道の押さえとして築かせたもの。 その城下の東海道旧道。 中庄地区を進む東海道旧道。 膳所城下の中心部。 東海道旧道左手に、篠津神社。 表門は膳所城

        • 雑司が谷散人の街道遊歩 0582

          東海道 28日目-02 2018.12.5東海道旧道は晴嵐交差点へ。 角に小さな地蔵の祠。 交差点を右へ折れれば琵琶湖の御殿浜で、晴嵐の地名は近江八景「粟津の晴嵐」で知られる。 琵琶湖の御殿浜から、対岸の近江富士を望む。 御殿浜の近くで東海道旧道は左へ折れるが、ここは膳所城勢多口総門跡。 膳所城は琵琶湖に突き出した半島状の地に築かれた水城。 膳所城勢多口総門跡からは、膳所城の城下町を進む東海道旧道。 ここでも京阪電車を踏切で渡る。 東海道旧道右手に、若宮八幡宮。 この

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          雑司が谷散人の街道遊歩 0581

          東海道 28日目-01 2018.12.5東海道の旅、残すところあと2日行程。 28日目は瀬田の唐橋西詰から。 広重『近江八景』に描かれた「勢多夕照」も、西側から近江富士を背景に橋を描いている。 唐橋西詰の交差点角に、松村油店。 軒下に「油」と書かれた昔ながらの看板が架かる。 唐橋西詰は、唐橋町。 県道2号の東海道は、京阪電車の踏切を渡る。 踏切左手は唐橋前駅。 この先、京阪電車とは何度となく交差する。 JR石山駅の南口から北口へと、駅構内を通り抜ける東海道。 ルネサ

          雑司が谷散人の街道遊歩 0581

          雑司が谷散人の街道遊歩 0580

          津久井往還 3日目-05 2018.11.21津久井往還旧道は国道412号に合流し、寸沢嵐の集落へ。 「すわらし」と読むが、バス停のふりがなは「すあらし」。 国道412号は阿津川橋で阿津川を渡るが、橋の手前を左に入るのが旧道で、その先に旧阿津川橋。 橋を渡ると、阿津の集落に入る。 国道412号が山口の集落に入る手前に、正覚寺。 俳句寺と呼ばれ、境内の至る所に句碑が立つ。 大正7年に柳田國男が研究の為に滞在した寺として知られる。 相模湖リゾートプレジャーフォレスト入口前交

          雑司が谷散人の街道遊歩 0580

          雑司が谷散人の街道遊歩 0579

          津久井往還 3日目-04 2018.11.21津久井往還旧道から望む相模川と道志川の合流点付近。 この先で再び旧道は水没により消滅となる。 野尻の集落から先は再び津久井往還旧道の消滅区間となるが、相模川と道志川の合流点付近の河畔へ下りる旧道がひっそりと残る。 河畔へ下りる旧道沿いには、民家も点在しているが、全て廃屋。 道はその先へと延びるが、やがて進めなくなり、消滅する。 道志橋へ迂回し、道志川対岸の沼本地区へ。 おそらく消滅区間の延長上と思われる位置に、河畔から上がっ

          雑司が谷散人の街道遊歩 0579

          雑司が谷散人の街道遊歩 0578

          津久井往還 3日目-03 2018.11.21津久井往還旧道右手に実相院。 本堂手前には薬師堂。 実相院の先に見える赤い鳥居は、八幡神社。 旧道右手の高台へと石段が続く。 又野城山北側を下っていく津久井往還旧道。 又野から野尻の集落へ向かう。 津久井往還旧道から野尻の集落を望む。 右手奥の山並みは高尾山へとつながる。 津久井往還旧道沿いの斜面に、大きな水神碑。

          雑司が谷散人の街道遊歩 0578

          雑司が谷散人の街道遊歩 0577

          津久井往還 3日目-02 2018.11.21奈良井に清水酒造。 宝暦年間の創業という蔵元。 津久井往還旧道は奈良井から国道413号の北側に出て、大沢川への下りを進むと、正面に新境橋。 旧道は橋の手前を左へ入る。 津久井往還旧道は大沢川の上流方向へ回り込むと、旧道の橋の隣に廃橋となった旧境橋が姿を現わす。 又野の集落に入る津久井往還旧道。 道上、道下の道標があるが、往還に対して高台と低地を指す又野の小字だろうか。 又野から原替戸へ向かう津久井往還旧道。 左手の高台は又

          雑司が谷散人の街道遊歩 0577

          雑司が谷散人の街道遊歩 0576

          津久井往還 3日目-01 2018.11.21津久井往還の旅、3日目。 湖底に沈んだ旧道に思いを馳せながら城山ダムを迂回し、津久井湖へ半島状に突き出た太井地区のボート乗り場付近から津久井往還の旧道が再開。 津久井道旧道は国道413号に合流し、赤十字病院手前から左手の旧道へと向かう。 国道左手の斜面に地蔵像の祠。 中野の集落に入る津久井道旧道。 左手に中野神社。 創建1200年といわれる古社。 相模中野の上町に東屋撚糸店。 津久井の養蚕の歴史を伝える建物。 津久井往還旧

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          雑司が谷散人の街道遊歩 0575

          東海道 27日目-16瀬田南小学校北側で東海道旧道から北へ分かれるのが、芦浦道。 琵琶湖畔の芦浦へ通じた道で、芦浦街道と刻まれた道標が立つ。 東海道旧道左手に檜山神社。 建部大社の境外末社。 建部大社の裏手にあたる。 東海道旧道沿いに神領の地名。 近江国一ノ宮、建部大社が近いことを意味する。 神領交差点手前を左に入ると、近江国一ノ宮、建部大社。 日本武尊の死後、景行天皇46年に創建、675年に近江の守護神としてこの地に遷座したという。 東海道は神領交差点から県道2号と

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          東海道 27日目-15 2018.11.18JR瀬田駅からの通りとの交差点に、大萱の一里塚跡。 このあたりは旧大萱村。 大萱の一里塚のある交差点に、地元の方の手による立派な道標が。 ここを左に行く道は、信楽方面への朝倉道。 大江地区の東海道旧道。 道は上り坂。 瀬田の唐橋へ向かう東海道旧道は、この先何度か左へ右へと曲がる。 瀬田小学校南側付近には、西行法師の屋敷跡地という伝承がある。 瀬田川に近づく東海道旧道。 このあたりは律令制下の近江国庁跡に近い。

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          雑司が谷散人の街道遊歩 0573

          東海道 27日目-15 2018.11.18東海道旧道は大津市に入ると、月輪地区へ。 月輪寺を中心に昔ながらの趣きが残る。 東海道旧道左手に月輪寺。 東海道と濱道の交点を示す道標があるが、濱道とは琵琶湖畔の矢橋あたりへの道筋だろうか。 月輪は草津宿と大津宿の間の立場。 碑の背後は下月輪池。 この池に映った月の姿の美しさが地名の由来ともいわれる。 一里山橋で長沢川を渡る東海道旧道。 この先に大萱の一里塚があり、周囲には一里山の地名が残る。 一里山地区の東海道旧道。 ここ

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          雑司が谷散人の街道遊歩 0572

          東海道 27日目-14 2018.11.18野路の東海道旧道。 南草津駅が近いが、駅前再開発の街並みからは想像もつかないような旧道風景がここにはある。 神奈川県の東戸塚駅付近の東海道旧道を思い出す。 南草津駅一帯は野路岡田遺跡。 新駅とその周辺の区画整理、再開発に伴い発掘調査が行われ、東山道と推定される遺構も。 南草津駅西口広場には東山道記念公園がある。 東海道旧道右手に、史跡野路の玉川。 平安期からの景勝地で、日本六玉川のひとつ。 東海道旧道は弁天池へ。 島には弁天社

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          雑司が谷散人の街道遊歩 0571

          東海道 27日目-13 2018.11.18草津宿を離れ、矢倉の集落を進む東海道旧道。 矢倉の古川酒造。 ここも江戸期からの蔵元。 東海道旧道は矢橋道との分岐点へ。 矢橋は琵琶湖の湊で、矢橋から船で大津へ渡ると、東海道よりも2里程の近道となった。 その代わり船には危険がつきものということで、確実に大津へたどり着くには東海道、すなわち「急がば回れ」の語源となったのが、ここ。 東海道旧道左手に矢倉稲荷神社。 矢倉城の推定地のようだが、詳細不明だとか。 東海道旧道は矢倉南交

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          東海道 27日目-12 2018.11.18東海道旧道左手に道灌蔵の暖簾がかかる蔵造りの建物は太田酒造。 太田道灌から数えて6代目のときに家康の命で越前福井から草津へ移ったとのこと。 東海道旧道左手に八百屋九兵衛の屋号を掲げた商家。 江戸期からの雑貨商。 建物は昭和3年築。 東海道旧道は立木橋で伯母川を渡る。 かつては土橋だった立木橋。 立木橋の先には立木神社。 草津宿の鎮守で、767年の創建と、滋賀県内でも屈指の古社。 常陸国の鹿島明神がここに一本の柿の木を植えたとさ

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