雑司が谷散人

2016年11月から東海道を歩き始めて以来、あちこちの街道歩きを楽しんでいます。 今ま…

雑司が谷散人

2016年11月から東海道を歩き始めて以来、あちこちの街道歩きを楽しんでいます。 今まで歩きながら撮り溜めた写真など、街道歩きの軌跡を記録として整理したく、このページを立ち上げました。 古いものから時系列に紹介していますので、内容が最新ではないこと、ご容赦下さい。

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雑司が谷散人の街道遊歩 街道別→歩いた日別の目次

東海道矢倉沢往還清戸道柳街道神奈川往還(絹の道)柏尾通り大山道田村通り大山道津島街道八王子通り大山道羽田道池上道埼玉道登戸道川越児玉往還滝坂道金沢道佐屋路東浦…

雑司が谷散人
4か月前
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雑司が谷散人の街道遊歩 0612

京街道 1日目-10 2018.12.18京街道旧道は伏見板橋小学校の先を右へ折れると、右手の伏見板橋児童館前に道標が立つ。 「左りふねのり場、右京大津みち」とあり、淀川を往…

雑司が谷散人の街道遊歩 0611

京街道 1日目-09 2018.12.18国道24号を渡ったあたりからが、京街道伏見宿だろうか。 東海道五十七次としては、大津宿の次の54番目。 京街道旧道は、京町通りの一本西を…

雑司が谷散人の街道遊歩 0610

京街道 1日目-08 2018.12.18琵琶湖疎水を渡ると、京街道旧道左手に墨染寺。 墨染の地名はこの寺による。 桜寺とも呼ばれ、春には小さな境内を桜が埋め尽くす。 墨染寺の…

雑司が谷散人の街道遊歩 0609

京街道 1日目-07 2018.12.18京街道旧道は深草大亀谷東久宝寺町へ。 古い家並みも残る。 京街道旧道はJR藤森駅の西側へ。 このあたりは藤森神社の鎮座地として、古くから…

雑司が谷散人の街道遊歩 0608

京街道 1日目-06 2018.12.18大岩峠を越えると、京街道は深草への旧道へ。 深草は伏見区北部一帯の地名。 草深い低湿地といった意のようだ。 陵墓の多い場所で、貴族の別…

雑司が谷散人の街道遊歩 0607

京街道 1日目-05 2018.12.18京街道旧道は勧修寺下ノ茶屋町交差点へ。 このあたりの京街道は、秀吉の伏見城築城時に整備された大岩街道のルートでもあり、その頃にここに…

雑司が谷散人の街道遊歩 0606

京街道 1日目-04 2018.12.18大宅から小野地区に入る京街道旧道。 旧道沿いには小野御所ノ内町の地名。 小野の地名は小野小町で知られる小野氏に由来しており、御所という…

雑司が谷散人の街道遊歩 0605

京街道 1日目-03 2018.12.18大宅地区を南へ進む京街道旧道。 大宅バス停付近には古海道町の地名。 大宅の地名は藤原鎌足ゆかりのもの。 かつてこの地にあった鎌足の居宅…

雑司が谷散人の街道遊歩 0604

京街道 1日目-02 2018.12.18音羽橋で山科川を渡る京街道旧道。 山科川は音羽川とも呼ばれ、牛尾山を源とし、潮観音近くに音羽の滝がある。 その水音が鳥の羽音のように聞…

雑司が谷散人の街道遊歩 0603

京街道 1日目-01 2018.12.18東海道を延べ29日の旅でゴールした後、三条大橋から京阪電車で追分駅へ戻り、引き続き午後は京街道の旅へ。 東海道五十七次となる大阪高麗橋…

雑司が谷散人の街道遊歩 0602

東海道 29日目-05 2018.12.18高山彦九郎像の向かい側に、「だん王」と刻まれた大きな標柱が立つのは、檀王法林寺。 古くから「だんのうさん」と呼ばれて親しまれた。 そ…

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雑司が谷散人の街道遊歩 0601

東海道 29日目-04 2018.12.18白川橋を渡る三条通りこと東海道。 親柱の脇に立つ道標には「ひだり ちおんゐんぎおんきよ水みち」とあり、三条大橋手前を曲がる祇園や清水…

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雑司が谷散人の街道遊歩 0600

東海道 29日目-03 2018.12.18ねじりマンポの上には、蹴上インクラインの軌道が蹴上船溜りと南禅寺船溜りを一直線に結んでいる。 大津から京都への琵琶湖疎水の一部で、高…

雑司が谷散人の街道遊歩 0599

東海道 29日目-02 2018.12.18日ノ岡峠を越えると、左手の山肌に粟田口刑場跡の説明板。 京の七口のひとつ、東海道筋の粟田口には公開処刑場が設けられ、明智光秀の首が晒…

雑司が谷散人の街道遊歩 0598

東海道 29日目-01 2018.12.18東海道の旅、いよいよ最後の29日目は、御陵から。 日ノ岡峠へ向けて旧道の上り坂が一段と急になると、左手に亀の水不動尊。 崖の中腹の石垣…

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雑司が谷散人の街道遊歩 街道別→歩いた日別の目次

東海道矢倉沢往還清戸道柳街道神奈川往還(絹の道)柏尾通り大山道田村通り大山道津島街道八王子通り大山道羽田道池上道埼玉道登戸道川越児玉往還滝坂道金沢道佐屋路東浦賀道西浦賀道所沢道津久井往還下田街道京街道

雑司が谷散人の街道遊歩 0612

京街道 1日目-10 2018.12.18京街道旧道は伏見板橋小学校の先を右へ折れると、右手の伏見板橋児童館前に道標が立つ。 「左りふねのり場、右京大津みち」とあり、淀川を往来した十石船や三十石船の乗り場を指している。 京街道旧道左手に金札宮。 天から金の札が降ったという、伏見では最も古い神社のひとつ。 京街道旧道は大手筋商店街と交差。 伏見桃山駅から西へ伸びるアーケード街で、秀吉が伏見城築城の際に大手門への道として造成した大手筋通り。 大手筋商店街を越えると、京街道旧

雑司が谷散人の街道遊歩 0611

京街道 1日目-09 2018.12.18国道24号を渡ったあたりからが、京街道伏見宿だろうか。 東海道五十七次としては、大津宿の次の54番目。 京街道旧道は、京町通りの一本西を走る両替町通りへ。 慶長6年、家康が伏見銀座を設置し、後に洛中に移転した後もこのあたりには両替商が多く集まり、両替町の名が起こった。 両替町の由来となった伏見銀座により、今の両替町5〜8丁目あたりに銀座1〜4丁目があったが、これが東京の銀座を始め、全国の銀座地名の発祥でもある。 両替町通りから丹

雑司が谷散人の街道遊歩 0610

京街道 1日目-08 2018.12.18琵琶湖疎水を渡ると、京街道旧道左手に墨染寺。 墨染の地名はこの寺による。 桜寺とも呼ばれ、春には小さな境内を桜が埋め尽くす。 墨染寺の先で交差点を左折。 この通りは師団街道。 深草にあった陸軍第十六師団へ通じた道。 北へ行けば京都の川端通りにつながり、南は伏見の京町通りにつながる。 京街道旧道は鎗屋町へ。 城下町であり商都でもあった伏見らしい地名。 京街道旧道右手に「撞木町廓入口」の石柱が立つ路地。 江戸期の伏見遊郭の跡地で、大

雑司が谷散人の街道遊歩 0609

京街道 1日目-07 2018.12.18京街道旧道は深草大亀谷東久宝寺町へ。 古い家並みも残る。 京街道旧道はJR藤森駅の西側へ。 このあたりは藤森神社の鎮座地として、古くから藤森と呼ばれた。 京街道旧道は藤森神社前へ。 神功皇后が三韓征伐から凱旋の際、この地に塚を作って祭祀を行ったのが発祥とされる。 三座の本殿のうち東殿は、今の伏見稲荷の地にあった藤尾社。 墨染駅の商店街に入る京街道旧道。 左手の椿堂茶舗は、明治期からの老舗で、深草大亀谷の茶園で玉露を販売したことに

雑司が谷散人の街道遊歩 0608

京街道 1日目-06 2018.12.18大岩峠を越えると、京街道は深草への旧道へ。 深草は伏見区北部一帯の地名。 草深い低湿地といった意のようだ。 陵墓の多い場所で、貴族の別荘地のような場所だったとも。 京街道旧道が府道35号へ合流する手前に、深草毘沙門天の石柱。 毘沙門天はここから北へ入った浄蓮華院を指す。 京街道旧道は、筆ヶ坂の上りへ。 筆ヶ坂のあたりは、深草大亀谷地区。

雑司が谷散人の街道遊歩 0607

京街道 1日目-05 2018.12.18京街道旧道は勧修寺下ノ茶屋町交差点へ。 このあたりの京街道は、秀吉の伏見城築城時に整備された大岩街道のルートでもあり、その頃にここに茶屋があったという。 京街道旧道右手に愛宕常夜燈。 京都嵯峨の愛宕山にある愛宕神社から発祥した愛宕信仰。 京都市内には今も多くの愛宕常夜燈が残る。 名神高速道路沿いに僅かに残る京街道旧道の痕跡を辿ると、右手に醍醐天皇御母小野陵。 醍醐天皇の生母とは、すなわち藤原高藤の長女、藤原胤子。 山科区から伏見

雑司が谷散人の街道遊歩 0606

京街道 1日目-04 2018.12.18大宅から小野地区に入る京街道旧道。 旧道沿いには小野御所ノ内町の地名。 小野の地名は小野小町で知られる小野氏に由来しており、御所というのもその関連だろうか。 京街道旧道は奈良街道との分岐点へ。 ここで京街道は右折。 奈良街道は直進し、六地蔵方面に向かう。 京街道旧道は地下鉄小野駅を過ぎ、勧修寺橋で再び山科川を渡る。 平安期に山科へ勢力を広げた小野一族の拠点が小野の地で、小野小町ゆかりの地も多く残る。 京街道旧道は勧修寺前へ。 「

雑司が谷散人の街道遊歩 0605

京街道 1日目-03 2018.12.18大宅地区を南へ進む京街道旧道。 大宅バス停付近には古海道町の地名。 大宅の地名は藤原鎌足ゆかりのもの。 かつてこの地にあった鎌足の居宅を「大屋家」と呼んだことに因むという。 京街道旧道左手に、岩屋神社への参道。 参道を進むと名神高速道路の先に境内があるが、その背後の山中に奥の院があり、それぞれに陰陽二つの巨巌がある。 創建は仁徳天皇31年と伝わる。 京街道旧道が名神高速道路をくぐる手前に、大宅一里塚跡。 京街道というよりは、奈良

雑司が谷散人の街道遊歩 0604

京街道 1日目-02 2018.12.18音羽橋で山科川を渡る京街道旧道。 山科川は音羽川とも呼ばれ、牛尾山を源とし、潮観音近くに音羽の滝がある。 その水音が鳥の羽音のように聞こえたことから、音羽の名があるという。 山科川を渡り、大塚地区を南へ進む京街道旧道。 大塚は「皇塚」で、古墳があった地を示すという。 京街道旧道が新幹線の高架をくぐる手前に、道標が残る。 「ひだり おゝつみち、みぎ うじみち」と刻まれ、京街道が大津、近江へと通じたことから大津道と呼ばれていたことがわ

雑司が谷散人の街道遊歩 0603

京街道 1日目-01 2018.12.18東海道を延べ29日の旅でゴールした後、三条大橋から京阪電車で追分駅へ戻り、引き続き午後は京街道の旅へ。 東海道五十七次となる大阪高麗橋への京街道は、髭茶屋追分を左に進むところからスタート。 まずは伏見を目指す。 髭茶屋追分のすぐ左手に、山科藤尾筍組合の頌徳碑。 山科は昭和初期の頃まで筍の産地で、多くの筍農家があったという。 髭茶屋追分からの京街道は、大坂への大坂街道であり、奈良への奈良街道であり、伏見への伏見街道でもある。 京街道

雑司が谷散人の街道遊歩 0602

東海道 29日目-05 2018.12.18高山彦九郎像の向かい側に、「だん王」と刻まれた大きな標柱が立つのは、檀王法林寺。 古くから「だんのうさん」と呼ばれて親しまれた。 そして、そしてそして三条大橋へ到着。 東海道の西の起点。 洛中と東海道を結ぶ橋。 三条大橋西詰に、東海道中膝栗毛でお馴染みの弥次喜多像。 作品での江戸から大坂までの行程は、伊勢神宮経由ではあるが、京都まで18日程度か。 作者の十返舎一九は、京都だけは未見だったといわれる。 三条大橋の架けられた時期は

雑司が谷散人の街道遊歩 0601

東海道 29日目-04 2018.12.18白川橋を渡る三条通りこと東海道。 親柱の脇に立つ道標には「ひだり ちおんゐんぎおんきよ水みち」とあり、三条大橋手前を曲がる祇園や清水への近道を示している。 東山駅そばの三条通り右手に、カドヤ作業服店。 大正12年創業。 三条通り左手に古川町商店街。 かつては東の錦とも呼ばれた昭和のアーケード商店街。 この道筋は安土桃山期の若狭街道(鯖街道)ともいわれ、廃道となっていたものを寛文6年に古川町通りとして復旧したという。 東海道から知

雑司が谷散人の街道遊歩 0600

東海道 29日目-03 2018.12.18ねじりマンポの上には、蹴上インクラインの軌道が蹴上船溜りと南禅寺船溜りを一直線に結んでいる。 大津から京都への琵琶湖疎水の一部で、高低差の大きな場所は軌道上を走る台車に船を載せて運行した。 昭和35年に稼働停止。 蹴上駅の先で三条通りは左へカーブするが、その右手に蹴上発電所。 インクラインの動力源として明治24年に運転開始。 近隣や京都市電にも配電された。 今は関西電力の発電所。 三条通りこと東海道は、三条大橋まであと僅かの距離

雑司が谷散人の街道遊歩 0599

東海道 29日目-02 2018.12.18日ノ岡峠を越えると、左手の山肌に粟田口刑場跡の説明板。 京の七口のひとつ、東海道筋の粟田口には公開処刑場が設けられ、明智光秀の首が晒されたのもここ。 江戸の入口には鈴ヶ森があったが、これに対応するのが粟田口か。 日ノ岡峠から蹴上へと下っていく三条通り。 左手には広大な蹴上浄水場。 通りに沿って、明治45年から給水を開始したという浄水場の煉瓦塀が続く。 蹴上浄水場の向かい側には、日向大神宮へ上がる参道入口の鳥居が見える。 日向高千

雑司が谷散人の街道遊歩 0598

東海道 29日目-01 2018.12.18東海道の旅、いよいよ最後の29日目は、御陵から。 日ノ岡峠へ向けて旧道の上り坂が一段と急になると、左手に亀の水不動尊。 崖の中腹の石垣に据えられた亀の像から湧水が流れる。 ここは日ノ岡峠の改修に尽力した木食正禅上人の草庵跡とのこと。 東海道旧道左手の石段を上がっていくと、大乗寺。 1500本ほどの酔芙蓉が咲く寺として知られ、秋には朝の白、お昼のピンク、そして夕暮れには真紅に色を変える酔芙蓉を楽しめる。 日ノ岡峠へと上がっていく東