関ヶ原を訪ねて
かれこれ3年前の2020年10月下旬(当時はコロナ禍真っ只中)に1人で名古屋旅行した折に、前々から念願の関ヶ原の地へ足を踏み入れました。駅舎もJR東海のなかなか味のある趣をし、内部に鉄道唱歌の関ヶ原を唄った歌碑も見つけました。平日に行ったものだから、静かなことこの上なかったです。
駅の向かいには、徳川家康と石田三成がデフォルメされた自画像が待ち構えていました。こういう現代チックな人物画が実際に受けがよいのだろうかと思いました。
当初は福島正則の軍勢が先鋒を務める予定が、徳川家臣が先んじて突撃するべきだとの声が上がり、松平忠吉、井伊直政は福島勢に抜け駆けし、東軍の宇喜多勢に発砲を仕掛けたようです。そこからが関ヶ原の火ぶたが切られ、両軍入り乱れた歴史的な戦いへと発展することは誰もが知ることとなりました。
当時は同年10月21日にオープンしたばかりで、1か月もしないタイミングで早々に同館の新しい関ヶ原の合戦にまつわる当時の鎧や刀、絵巻図などが展示されています。また、こちらの館長は歴史学者で著名な静岡大学名誉教授・小和田哲男氏が務めています。
当時は訪問できませんでしたが、当初の徳川家康の陣地は同地から東南にあたる桃配山に敷いていました。
黒田長政が陣を敷き、同鉄砲隊が石田軍勢を迎え撃ちました。その鉄砲が島左近に命中し致命傷を負わせたようです。
同石碑を徳川家家紋の葵の御紋と石田家の大一大万大吉の両旗が囲んでいます。
300m近くある松尾山に登頂し、しばらく小早川秀秋がどのような思い出両軍の戦闘経過を見守り、最終的に徳川軍に寝返ったのか、実際に訪問しその思いに触れた気がしました。
関ケ原中学校の敷地内に位置しますが、同石碑や看板の訪問で一時立ち入ることはできます。
民家の脇を通ったところに位置し、一見するとわかりずらかったです。
朝から夕方にかけ、関ヶ原周辺を一回りするように各陣地を見回りました。当時の激しい戦いに思いをはせ、江戸幕府の樹立、その後の大坂冬の陣、夏の陣へと続く壮大な歴史ストーリーに感無量でございました。
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