「(ボードゲームの)ルールに著作権を認めた国は壊滅する」という仮説を考えてみる。
はいはい。
またもや前回、前々回、前前前回をふまえて書きます。
前回のnoteは
でした。
そもそもの元ネタは、2021年5月25日に、下のリンクにある「第1回ボードゲーム有識者(?)会議 徹底討論! パクリ問題と著作権を語る夕べ」がありまして、
それに前後して、前準備と視聴後の感想や考察・仮説などをnoteに書いています。
会議は、討論というよりもむしろ個人の意見を自由闊達に話す感じでした。
討論として拝聴した方にとってみると多少なりともギャップがあり、批判的な意見を多くもらうことになりました。
まあ、それはそれでよし。
ボードゲームの盗作・パクリを見極めるにあたり、大きく2つのカテゴリに分かれると考えています。
1つは、知的財産権を主張できるコンポーネント(ボードゲームを遊ぶための道具など)。
もう1つは、ボードゲームのルール。
ルールは知的財産権、特に著作権を主張できるのか、ということですが……まあ、タイトルにしたように
国が滅びる
というとんでもない結果の仮説に至ってしまいました。
今回はそんな過激な内容ですが、相変わらずフワフワいきます。
ドイツはルールに著作権がある?
先の有識者会議の参加者の何人かは、ボードゲームのルールに(日本にも)著作権があることをのぞんでいる考えをもっています。
その考えの一端ともなる情報があります。
TableGames in the Worldのとある記事が元でして、その引用は下になります。
【引用】
さらにドレザル氏は、ボードゲームの権利はグラフィックとストーリーだけで、ルールには適用されないと主張している。これについてコルネット氏は「世間に広まっている誤解」であるという。ドイツ連邦裁判所がすでに1961年、「ゲームのアイデアは確かにそのような著作権の保護を受けないが、ゲームのルールは、文書として保護されるものである。ただし、十分に独自性のあるとみなされることが条件となる。この独自性は、単に表現に基づくものではなく、独自の知的活動に帰せられる思考様式から生じる」という見解を出している。少なくともドイツでは、文面を変えても同じ内容のルールならば、著作権の保護対象となるのだ。
※太字は、珍ぬが追加しました。
最後の一文「ドイツはゲームルールが著作権の保護の対象となる」とありますが、これはTablegames in the Worldさんの見解となります。
珍ぬは真逆の立場でして、「ルールは著作権の対象にはならない」と考え、その件でいくつかのnoteで書いています。
さらに踏み込みます。
著作権やルールの特徴をふまえて、ボードゲームデザイナーとして忘れてはならないテストプレイをしてみます。
使用する主なカード……いや、概念は、
(1)ルールを所有する・公表すること
(2)著作権法の公表権・同一性保持権
(3)著作権法での著作物の定義
(4)無方式主義での著作権の取得
今回、著作権は日本の著作権法をもとにします。
では、日本壊滅コンボを組んでみます。
秘匿状態の所有と公表状態の所有
前々回のnoteで、今回の会議の第2回目以降での参加者の希望として「料理関係の方」をあげました。
理由は、「ボードゲームのルール」は「料理のレシピ」と並べると、著作権や知的財産権などについて考えやすくなると思ったからです。
さて、料理のレシピ、言いかえると料理のルールの知的財産権はどうなるか考えてみます。
とある実例を思い浮かべました。
秘伝のタレ
一子相伝のレシピ
なんでわざわざ隠す、秘匿状態にするのか。
それは、公表すると個人でルールを所有できないからでしょう。
当たり前とも思えますが、つまりこれって、料理のルールが知的財産として扱われないから、でしょう。
一方真逆に、たくさんの料理レシピ本が出版されています。
これは、むしろレシピに知的財産権がないからできることだから、レシピを公表(あるいはレシピを出汁にして、著書のイメージをアピール)するのでしょう。
レシピ=料理の規則を公表すると、その規則の所有は誰になるのか。
そのルールを知っている(あるいは、ルールを知る可能性のある)人全員になると思います。
著作権法では、第4条が「著作物の公表」について定めています。
同一性保持権
著作権の第20条に「同一性保持権」について定めています。
【引用】
著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。
ざっくばらんに言うと、
特定の著作物の題名と内容の結びつきを
変えたり削除したりできるのは、著作者だけ
ということです。
著作者だけに認められている行為を他者が行うと、パクリや盗作と疑われる行為とみなされて、著作権の侵害となる可能性がある、ということです。
改めて、著作物ってなに?
著作権法の第2条の第1項で定義されています。
【引用】
一 著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。
※太字は、珍ぬが加えました。
この定義について、以前に変な内容のnoteを書いたことがあります。
「思想又は感情を創作的に表現」を別な近い表現に言いかえると「虚偽(虚構)を事実化する」じゃないかな、ということでつらつらと書いています。
虚偽なので、正しいのか誤りなのか、あるいは適正なのか不適正なのかはどうでもいいことになります。
はい、ここが肝です。
もし、ルールが「思想又は感情を創作的に表現されたもの」だとすると、
先の考えに沿うと、そのルールは適正なのか不適正なのかはどうでもいいことで、訂正修正できるのはそのルールの著作者だけです。
つまり、どんなに奇妙で不都合で不適正で最悪であっても
著作者が改変しない限り、
ルールはそのまま使用利用する
ことになります。
さらに恐ろしいことに、ルールが公表されたらどうなるのか(著作者には公表権がありますので、公表の意志があれば阻止は困難です)。
本来ならば、その奇妙なルールを知った誰かが指摘して、ルールを改変していきます。
それができるのはルールを知っている人で、もちろんルールを所有しているので権利があるからです。
なんか、回りくどく説明していますけど、そういうことです。
では、著作権のある不適正のまま通用しているルールが公表されると、どうなるか。
ルールを知っている人たちの所有権は、
同一性保持権によって、
すべて著作者に権限を譲ってしまいます。
しかも日本規模で。
無方式主義と方式主義
ちょっと待て待て待て、となります。
不適正ルールがそのまま世の中にまかり通る事前にチェックできないのかと。
できません。
なぜなら、日本の著作権法によって、著作権は無方式主義で取得できるから。
無方式主義は、著作物ができた時点で申請や審査の許可なしに、取得できます。
逆に工業製品の場合は方式主義なので、申請をし、審査されて、許可を得ないと権利を取得できません。
なぜ、方式主義を取るのかというと、その産業が少なくとも国益に関わるので国も責任をおって慎重になるのです。
その点に関わるnoteも書いています。
著作物が無方式主義でよかったのは、著作物の内容を著作者に一任しても国益に影響がないからです。
もちろん、著作権侵害に対して著作者が親告すれば、対応を請け負います(結局、著作者への一任)。
デスノートの大量発注
とまあ、えらく大げさに騒いでいます。
じゃあ、不適正なルールは逆に捉えれば適正になるのだから、判断に合わせてふるまえば普段どおりになる「賛成の賛成派反対なのだ作戦」をとれば、大したことじゃないの?とみることもできます。
しかし、これって……(歪んだ意味での)倫理を低下させる作戦です。
逆に、倫理観の高い真面目な人は「ルールにあるんだからルールに従えコンチクショー」の猪突盲信のトンデモな人に陥ります。
では、ルールに著作権を認めたとします。
とある作家が「明日Aさんは死ぬ」という小説を書いたとします。
Aさんは実在していて生きています。
小説はルールです。
ルールを守る倫理観の高い猪突盲信のトンデモな人は、どうするのか。
まあ、そういうことです。
規則という著作物はもれなくデスノート
になりえます。
憲法でガードできるのか?
ああもう大変なことになっているじゃないですか。
この暴走を止めることができるのでしょうか?
ということで、日本国憲法で食い止められるのか考えてみます。
著作権法は法律です。
その著作者(とみなせる者)は誰になるのかというと、第41条によって定めた立法権をもった国会になります。
じゃあ、解決……かといえばそうでもないです。
なぜなら、この仮説の発端は「ルールに著作権を認める」改正を国会が通したからです。
つまるところ、すでに第1のガードは突破されています。
第2のガードは第96条の憲法改正です。
【引用】
1 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
憲法の改正のルール(条文)は、ルールに著作権を認めたルールと食い違いがあります。
その不合理をついて「ルールに著作権を認める」改正を違憲として破棄することができそうです。
ただし、ルールに著作権を認めてしまった状態だと終わりです。
逆に第96条自体を「著作権法のルールにあわせた改正をする」発議を出して、国民投票も「ルールを守る倫理観の高い猪突盲信のトンデモな人」が過半数いれば通過して突破されます。
……というか、「ルールを守る倫理観の高い猪突盲信のトンデモな人」がそれだけいる時点で壊滅しています。
実例的イメージ
こんな恐ろしい事態、過去にないのですが類似した状況はあります。
たとえば、とんでもない独裁者による政権です。
第二次世界大戦中のドイツもそのような状況ですね(……まあ、そう考えると、実はなおさらドイツは「ルールに著作権を認めない」ような気がします)。
国ではありませんが、コミュニティ規模だと、地下鉄サリン事件を起こした宗教団体もイメージに重なるでしょう。
結論
これまで書いた過程のどこかに致命的な穴もありえます。
おまけに、専門家ではない素人の考えですので、完璧な結論ではありません。
また、今回は「ルール」の考える範囲を「一般的なルール全体」としたので、「ボードゲームのルール」に限定していません。
とはいえ、わざわざ国家が法案改正のために「ボードゲーム」の定義について考える優先順位はおそろしく低いでしょうから、ほぼ考えないでしょう。
ということで、結論。
現在の状況で単純に追加する場合、「ボードゲームのルールは著作物として認める」と、
ルールを殺すルール(Rule killing rule)
になります。
終わり
ということで、なんかフワフワして書こうとしているわりにはヘビーなことになりました。
正直、バカSFジャンルの作品のプロット1本仕上げただけ、なのかも知れません。
何度も書き直しては消し消ししているので、ヘトヘトです。
さて、実は有識者会議の方で、裏バージョンという進展がありました。
これ、配信企画としてほんとにやります!様々な意見が出るのは素晴らしいことですし、知識のある方の話を伺ったり、議論する場になればいいなと思ってます。パクり問題、著作権に詳しい方や、前回の配信に対して意見をお持ちの皆様、ぜひご参加ください!
近々開催されると思います。
こちらも楽しみにしています。
では。
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