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ボードゲームの「ルール」と「メカニクス」の違いを考えてみたら、いろいろ話がひろがったので、とにかく書いてみる。

「ルール」と「メカニクス」の違い

発端は、上杉真人さんのツイート。

「ルール」と「メカニクス」の
違いってなんですか!?
教えてください!!

スレッドを追うと、様々な意見・見解があり、大変面白いです。
仕事の休憩中に読みまして、短時間で考えたことを引用リツイートしました。

「ルール」も「メカニクス」も、law。
ただし「メカニクス」は「(数学や物理などの)自然法則」寄りのlawで、「ルール」は「(道徳や慣習・約束などの)人為的法律」寄りのlawかと。

言い換えると、
人間の都合の「ルール」
人間無関係の「メカニクス」

……変なこと書いてるなあ(汗)。

送信する直前でも違和感(最後の行にあらわれている)はあったのですが、勢いで送ってしまいました。
そして、結局この後、「ルールとメカニクス」について

寝ても覚めても24時間推敲

にハマってしまいました。


ツイートした元ネタ

上の考え方ですが、元となったネタがあります。
山下正男さんの著書『図説き論理的哲学史逍遥』(工作舎)です。

この本の121ページで、2つのLaw(自然法則と法律)について書いていたことを思い出して、あのような仮置きツイートをしました。
そう、仮置き。なので、少し修正しようと思った……のですが、少しどころでなくなった。

修正したいと思ったツイート箇所を引用します。

言い換えると、
人間の都合の「ルール」
人間無関係の「メカニクス」

この中の「人間無関係」。
言い過ぎに感じたのです。
「人間の都合の無関係」のほうがしっくりくるな、と思いました。
しかし、なぜ言い過ぎに感じたのかを考えてみました。


「ルール」を言い換えてみる

またツイートを引用します。
「ルール」というLawについてです。

「ルール」は「(道徳や慣習・約束などの)人為的法律」寄りのlawかと。

ここでの「ルール」を他の言葉で言い換えができないか、と。
できました。

「オーダー(Order)」。

命令・指図・依頼・注文など意味がありますが、人間の都合で使われます。

言い過ぎに感じた「人間無関係」は、

「ルール」は、
「オーダー」と「メカニクス」の
2つの組み合わせ

とみると、実はそうではない。
噛み砕くと、

非言語の状態の「メカニクス」を
「オーダー」という言語として
伝えているのが「ルール」

ではないかと。
なぜ「「ルール」と「メカニクス」の違いってなんですか!?」なる質問が生まれたのかも見えてきた。
上の文章を、

非言語の状態の「メカニクス」を「オーダー」という言語として伝えているのが「メカニクス

と、「ルール」と「メカニクス」を同じものとして、文字通り混同して見たから、ではないかと。

しかし、混同することが悪いとは思いません。
言葉で表す(言いかえると定義する)仕方は、ただ1つではないですし。

……と、そう考えると、あるパラドックスを連想してしまいました。


クワス算

「クワス算」は、哲学者のクリプキが考えた、とあるルール。
哲学者のウィトゲンシュタインが考えた「私的言語論」から生まれたなかの1つ、「規則のパラドックス」を思考実験するために提唱している。

クワス算は、ほぼ足し算(プラス)です。
なんでほぼなのかというと、

x と y がどちらも57より小さいとき
x クワス y = x と y の和(つまり、足し算と同じ)

上記以外のとき
x クワス y = 5

となる。

実は、いままでの足し算が正しいと思っているようですが、

足し算は、プラスではなくクワスとみなして計算しても悪い理由はない。
「68+57=125」は間違いで、「68+57=5」が正しい。

という思考実験です。
まあこの主張へ反論することが意外と難しかったりします。
そのへんの話は、ネットでもいろいろある(そのなかの1つとして、シミルボンさんの記事をあげます)ので検索してみてください。

クワス算とルールとメカニクス

さて、クワス算ですが、

「ルール」は、「オーダー」と「メカニクス」の2つの組み合わせ

に当てはめてみると、結構考えの手助けになりそうに見えました。
通常の足し算(プラス)とクワス算は、

どちらも「+」(足す)という
「オーダー」は同じ

だから、「メカニクス」が異なるということです。

ウィトゲンシュタインは「『論理哲学論考』で書いたことは誤りだ」と言っていますが、『論考』では

「オーダー」と「メカニクス」は1対1対応

になる主張を目指して考えていました。
で、違うよね、となって『哲学探求』にもあらわされた「私的言語論」を考えたのでしょう……かね。


セガリス算

クワス算を少し緩めた「セガリス算」を考えてみます。
元ネタは、セガのアーケード版『テトリス』(……古っ)です。

x と y の和が1000000より小さいとき
x セガリス y = x と y の和(つまり、足し算と同じ)

上記以外のとき
x セガリスy = 999999

セガリス、なんて仰仰しく名付けましたが、要はこれ、

スコアのカウンターストップ

です。
あきらかに、足し算(プラス)と異なりますが、『テトリス』のプレイヤーにとっては「セガリス算」の方が正しい「ルール」です。

人間は、1つの「オーダー」でいくつもの「メカニクス」を使い分けをしている。
当たり前と思われる「会話」を徹底的に分析する「私的言語論」。
面白い。

この話は、一区切り。
話題をガラッと変えます。


ゲームルールは著作物でない

はい、珍ぬのnoteではお馴染みの話題です。

何本か記事を書きましたが、また別角度から攻めます。

今回の記事で「ルール」をどのようなものなのか、考えていました。
改めて書くと、

「ルール」とは、
非言語の状態の「メカニクス」
「オーダー」という言語として伝えたもの

です。

著作権法の第二条の第一項に、「著作物」の定義をさだめています。

著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう

その一方、これらは「思想又は感情を創作的に表現したもの」なのかとなると、どうでしょうか?
言いかえると、

メカニクス」は思想または感情なのか?

ということです。
ここについては、今回は詰めません。
もう1つの「オーダー」のほうに注目します。

「オーダー」は、命令・指図・依頼・注文などになります。
これらは、「自己表現」なのかといえばそうかも知れませんが、

「オーダー」は「完結した自己表現」なのか?

も、争点になります。
「ルール」を書いた自身ではなく、他者が「ルール」にある表現を
(成否に関わらず)完結してもらう

これが「オーダー」ではないのかと。

そう考えると、「コンピュータゲーム(アプリゲーム)」がなぜ著作物として扱われるかが見えてきます。
「ルール(オーダー)」に従った他者の表現(ボタンタッチや画面スワイプなどの入力操作)を受け取り、画面などにその完結を反映させるからです。
だから、「映画の著作物」としてみなされたのでしょう。

ゲームやスポーツのルールは、「オーダー」という他者によって表現が完結されることばで構成されているから、著作物といい難い、と考えます。

締め

1つのツイートに反応して、よくもまあこれだけのことが書けるなあ、と我ながらあきれかえっております。

本当は「優先して書くべき記事」がたんまりあるのですが、ひとまず吐き出してスッキリしてからにしました。

では。

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