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『盤上の夜』ネタバレ読書呑記(5)~逆シンギュラリティ仮説?と粘菌

前回の呑記の続き、表題作の『盤上の夜』です。


ことばの限界と生物界


由宇は囲碁になるため、盤面から得た触覚情報を緻密にことばに変換できるように、ありとあらゆる世界の言語を習得しました。
ところが、人間の言語だけでは足りない。
動物の言語の習得もはじめました。
これ、傍からみれば意味不明の呻きや叫びやなんやらで、なにごと感満載です。
そして、それでも囲碁を知るには足りなかった。
とうとう、植物の言語まで習得し出します。
小説では、この行動を登山に例えていますが、由宇の身体にも変化が顕れて、耳が変形(手練の登山者のような形)しました。

結局、由宇は途中で下山してしまいます。
囲碁になることから、はずれました。
生きた人間がAIになるためのシンギュラリティに到達して越えられなかった、とも解釈できます。

なぜ引き返さなければならなかったのかというと、作者の宮内悠介さんが考えている設定的都合(意図)だと推測します。

おそらく、その先の言語は鉱物のことばになるから、ではないかと。

コンピューターのCPUは、シリコン(ケイ素)化合物、もろ鉱物なので習得できれば、これは逆シンギュラリティを突破してAIになれたも同然でしょう。

しかし、気になることもあります。
小説の設定は、おそらく、動物界・植物界・鉱物界と3つに分ける考え方を使っていそうです。
これ、結構古い分け方なのです。
生物界を動物界と植物界の2つに分けていますが、最近では5つに分けた五界説(Five-Kingdom System)があります。

……といいつつも、この五界説の概念もそこそこ古いみたいで、さらに多様化していますが。

動物界と植物界のほかに、モネラ界、原生生物界、菌界があります。
動物界と植物界の間に、菌界があります。
そうすると、小説の設定としては、菌界のことばも由宇は習得した可能性もあります。
菌界に含まれる生物に粘菌がいます。

この粘菌は、小説『盤上の夜』の設定上、もしかすると無視したい存在だったりします。


ねんきんコンピューター

小説『盤上の夜』が第1回創元SF短編賞に応募したのが2010年あるいはその前年です。
そのさらに前年の2008年に、とある論文が世界的に権威のある賞を獲得します。
それは、

イグノーベル賞。

認知科学賞を受賞した研究とは「単細胞生物の真正粘菌にパズルを解く能力があったことを発見した」、いわゆる『粘菌コンピューター』に関する論文です。

論文自体は2000年に書かれていましたが、イグノーベル賞受賞によって、世界中に広く浅く流布することになります。
さらにいえば、その翌々年の2010年、『盤上の夜』が受賞したまさにその年、粘菌コンピューターは2度めのイグノーベル賞を獲得します。
その研究は「粘菌を使って鉄道網の最適な路線を設計できることを示した」。

この両方の研究に参加したひとり、中垣俊之さんの記事もあげます。

ちなみに、中垣さんの研究している代表的粘菌はモジホコリです。

モジホコリ……文字埃?

由宇がモジホコリ言語を習得していたら、一体小説はどうなったのでしょうか?


粘菌的アブストラクトゲーム

おそらく、囲碁になっていたのではなく

Ataxx(アタックス)』になっていた

かもしれません。

『Ataxx』は1988年に、「Infection(感染)」というタイトルでDave CrummackさんとCraig Galleyさんが開発したコンピューターゲームです。
といいつつも、ジャンルはもろアブストラクトゲームです。
商業的には、1990年にLeland Corporationが発売。
日本では、1991年にCAPCOM(カプコン)が販売しました。

ルールの概要は、
・自分の手番では、コマを1つ増殖か移動ができ、そのあと感染がおこる。
・【増殖】:自分のコマにタテ・ヨコ・ナナメに隣接するマスに、自分のコマを置く(増やす)。
・【移動】:自分のコマの1つを、タテ・ヨコ・ナナメに2つ分先の空きマスに移動する。
・【感染】:増殖または移動したあと、そのコマのタテ・ヨコ・ナナメに隣接する敵の駒は、自分のコマに変わる。
・増殖・移動ができない場合は、手番をパスする。
・盤面に空きマスがなくなるとゲーム終了。コマの多い方の勝利。

『Ataxx』は、リバーシ(オセロ)などのコンポーネントを代用して、遊ぶこともできます。
ただ、感染の処理でついつい敵のコマを変えることを忘れてしまううっかりミスもありえるので、アプリなどコンピューター向きなゲームです。

『Ataxx』のコマの動きは、粘菌っぽいのです。


シンギュラリティを越えない選択

由宇が囲碁になることをやめたのは、棋士になる選択をしたから、と解釈したいと思います。
小説では、由宇が登頂するさなかに、氷壁の向こうにいる他者をみて下山をしました。
その姿は、相田であると書かれていましたが、おそらく棋士であれば誰でもよかったかも知れません。
真っ先に、棋士として連想したのが相田だった、と思います。

『人間の王』のティンズリーも、チェッカーが死んでいくことを予見しつつも、自らの手で介錯せず、一人のチェッカープレーヤーをまっとうすることを選んだのは、由宇と共通していると感じました。

さて今回の呑記は「粘菌コンピューター」に触れたわけですが、著者の宮内悠介さんは全く避けているわけではないと思います。
『象を飛ばした王子』では、主人公のラーフラが、病気の原因である病魔(細菌?)からゲームデザインを発想しているからです。

ということで、次回は『象を飛ばした王子』で。

では。

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