味見
先日、わたしのできることとして、ある大学生とのエピソードを綴った。
この時に、合わせて伝えたことがある。
それは、もし、お金や時間に余裕があるのならば、
一度いきたいと思っている場所に自分の身を置いてみるといいよ、と。
実際、ここにいってみたいなという場所。
昨今では、写真やネットで検索はできる。とても便利な時代である。その写真をみるうちに、ここにいってみたいという憧れとも言える気持ちが高鳴ってくる。とてもいいこと。でもね、実際にその土地にいくと、あれ?想像と違った・イメージと違ったとなる事もある。
場合によるのだろうけど、いきたいと思っていた時と、じぶんの気持ちも変わったりするし、状況も変わったりする。
日々、自分も世界も時計の針は進んでいるということ。
だから、もし可能ならば、
「自分のからだとその土地・風土・ひと・空気との融合をしてみるといいよ」と伝えた。
そして、1箇所というよりも、候補を数個上げておき、
「いろいろ回ってみるといいよ」と。
また、朝・昼・夜ではその町の見せる顔が違う時もあるから、
その辺も「空気で感じてきたらいい」と伝えた。
実際、自分自身も行ってみたいなと思っていた場所があるとする。
いつか、いつかと思っていた場所に行けた時は...それはすんごく嬉しい。
連れてきてもらったら、「ありがと〜」と思うし、
(ここ、来てみたかったんだ)と思う。観光だけならば、それでいい。
でも、もし、その場所に中長期で住んでみたいのであれば、
味見をするように、自分の感覚とその場所をマッチングさせてみたらいいと思う。人生において、時間はみな共通。
でも、その時間の濃度はその人自身による。
これ、確信。やっぱり、どんなところだとしても、
もちろん一人でもいいけど、、、
『誰と一緒に過ごすか』ここだなって思うから。
どこどこに行けるとか、何々できるとか、ちょっと良さそうに感じてしまう。でも、それ、本当にあなたと?あなた達と!?と思う時、ない?
「安く行けるよ」「いい思いできるよ」「こんなもの食べられるよ」
いいと思う。でも、ある時思った。
あ、何回もなくていい。高くてもいい。誰とその時間・空間を過ごすか
そちらの方が重要だって思った。
せっかくのその貴重な時間も、あれ?とか、心がYESになってないのにその時間を過ごしても、どこか違うなって思ったりする。
心の声とか、じぶんの声、潜在意識というが、なかなかそういうものって見えないもの。いま、わたしはそこに注力しようと思っている。
時間は少しかかっても、そこ、妥協しないようにしようと思っているの。
いまはね、わたしは。ただ、自分はってだけ。
えいや!っと勢いで意気込んでもいいと思う。
けど、そこでちょっと慎重になるのもいいと思うのだ。
まあ、これはどっちがいいというものでもないけどね。
余裕があればやってみたらいいという話。
って、わたしがちょっと、優柔不断なのかもしれないけどね。
味見ばかりでは仕方ないのだけどもね。
ま、違ったら、じぶんがここだって場所やひとに巡り会うように、
じぶんが動いて行ったらいい。
です。
「じぶんのからだで確かめよう」
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