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“Learnig by doing”

しっかり読んだ。人となり、文章から出てくるものだね。
なるほど!なフレーズばかりです。


・「他の国がやっているから何かをやる」のではなく、「自分たちがどうしたら経済合理性を取れるか」を考え抜いて実行してきた国

・何かやりたいことを徹底的にやって失敗するという考えが不足している

・とにかくやってみるという “Learnig by doing”の考え方で、やりながら修正

・江戸時代は「超循環型」のシステム

【画期的ですね〜】

着物は寝間着やおむつ、雑巾などに再利用され、最後はかまどで焼かれて灰になり、肥料や染物などに活用されていました。また、江戸時代は修理文化が全盛で、戦国時代が終わって刀のニーズがなくなった鍛冶屋は、鍋や窯などの修理屋として活躍しました。江戸の長屋では、大家が住人の排泄物を農家に売り、その費用で長屋を修繕するという仕組みでした。当時は排泄物が、今でいうマンションの管理費の役割を果たしており、都市と農村の循環も成り立っていたんです。家自体も基本的に木造で、屋根も藁葺きで全部が有機物で作られていた。焼いたら地球に還れる建築で、すべてがサーキュラーな状態

・古来の日本人は、人間と自然を分けていなかった

人間の「目」「耳」「鼻」「頬」というパーツを表す言葉は、「芽」「実」「花」「穂」といった自然の植物の音に由来している

外から来た言葉をレンズとして自分たちの文化を見つめ直してみることではじめて、自分たちが古くから持っている価値を発見できる

(⬆️いい考え方です。和魂洋才の考え方ですね。)

・僕たちの社会の中でも何か一つを肯定したり否定したりするのではなく、一人一人や企業一つ一つが、それぞれの役割を持って多様になることによって、それがサーキュラーエコノミーの理想に近づくのではないか

・頭ではなく自分が持つ感覚を大事に

・ひとりひとりが自分の内側にある感覚を大事にすれば、みんなそもそも人とは違うんだから、自然とオリジナルな存在になれる。そして、ただオリジナルであるだけではなくて、自分と違う意見を持っている人とも関わる。

・サーキュラーエコノミーを考える上で、一人一人が自由な余白を持つことが大切だと思います。余裕がないと、クリエイティビティは生まれません。

・「みんなと同じインプットをしたときに、そこから生まれるアウトプットはオリジナルであれるのか」

・サーキュラーエコノミーは、資源をロスがないように活用する仕組みですが、その対象は人材でもある

・学校に行かなくても別の道で生きる選択肢もあると、多様な可能性を見せてあげた方が彼ら自身にとっても社会全体にとってもより良い

・「いかしあうつながり」


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