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生理用品がからかいの対象になって、時には高級品とされてしまう現実

「被災地で生理用品はぜいたく」

この言葉を見たとき、私は怒り、そして落胆した。
以前からこの日本では、生理はタブー視され、時にはからかいの対象にされ、無いもののように扱われ、生理による苦痛を訴えても軽視されていると感じていた。
学校のプールの授業を休んで、生理?とからかわれてもはぐらかすことしか出来ない。女性にとっては生活必需品なのに軽減税率の対象ではない生理用ナプキンの値段に不満を言いながら買い物かごにナプキンを入れる。ナプキンは隠すべきだという風潮のもと、タオルポーチにナプキンを詰め込んで、まるで秘密兵器のように持ち運ぶ。男性用のバイアグラは認可まで半年しかかからなかったのに、女性の生理の負担を減らす低用量ピルは認可まで44年もかかったという現実を知って嫌気がする。高校の同じクラスと他のクラスの男子たちが、とある男子の誕生日プレゼントにふざけて生理用ナプキンをプレゼントしたということを知って激しい怒りを覚える…。
そんなことばかりを経験しながら、毎月毎月やってくる憂鬱な日々を、どんな用事があろうと(それが人生の大事な選択が懸かっている大学受験の日であっても)送っていた。
ナプキンが無ければ不衛生な状態は続くし、加えて鎮痛剤が無いと痛すぎてずっと寝込むことしかできない。
ナプキンを使用し、鎮痛剤をラムネのように飲みまくり、私はようやくその憂鬱な日々を、生理なんてありません、という顔をして過ごすことが出来ていた。

それにも関わらず、被災地では衛生状態を保つ生理用品すら、ぜいたく品とという意識がある。
まるで、高級な何かのように生理用品が扱われるという現実が、そこにはあった。先ほども挙げたように、高校時代、自分のクラスの男子と他のクラスの男子が、とある男子への誕生日プレゼントとして、ふざけて生理用品をプレゼントしたことがあった。そのことを知った時と同様の、やり場のない、だけどあまりにも激しい怒りの感情が湧いていた。
しかし、怒りの感情を再び蘇らせて、もう当分会うこともないであろう高校時代の男子たちに憎悪の念を抱いたり、「被災地で生理用品はぜいたく」と思う人々に憎悪の念を抱くだけでは、何も始まらない。
女性にとっては生活必需品であり、無くてはならない存在である生理用品が時にはからかいの対象となり、時には高級品として扱われる現実が、なぜ生まれてしまったのかということを、必死に考えなければならない。
単純な憎悪ではなく、複雑な思考によるその原因の解明が、この現実を良い方向に変貌させていく、唯一の手掛かりである。

からかい「たい」高級品にし「たい」のではなく        生理を知ら「ない」だけ

先ほども書いたように、複雑な思考を巡らせていく過程で、小学校・中学校の時の保健体育の授業を思い出していた。
随分と薄い教科書だと思いながら、体育実技が嫌いだった私は、体育なのに座学なんだー!とまずは喜んだ、そんな教科であった。
その授業で、生理について教わった記憶がある。また、生理だけではなく、その他の思春期における身体の変化などを説明されたのを覚えている。
その際、女子だけでそのことについて教わった記憶はなく、男子も女子も居る部屋で教わっていた。
そのことだけ踏まえると、いやいや、みんな生理を知っているじゃないか、生理を知ら「ない」という訳じゃないじゃないか、と思うかもしれない。
確かに、生理の存在だけは教わっていた。
しかし、女性によって個人差はあれど、生理によってひきおこされる女性の負担、痛みの程度、出血量、PMS(月経前症候群)、生理用品を巡る貧困問題等…、つまり、現代の女性たちを取り巻く生理についての現実は教わっただろうか?                             負担も痛みも出血量もPMS等も教わらず、女性が月に1回経験するもの、という単純な文言で、生理についての説明は終わった記憶である。

義務教育における生理についての説明が、「女性が月に1回経験するもの」で終わってしまえば、それ以外に生理について関心を向ける機会が無い限り生理に伴う負担、痛み、出血量、PMS、貧困問題等を全く知らないままであるのは当然である。
女性の場合、初経を迎えると初期は周期の乱れが多少あれど、毎月自分の身体に生理はやってくるものだから、負担や痛み、出血量やPMS等を知り、目を向ける機会は否が応でもやってくる。
しかし男性の場合、生理がやってくることはないため、親族の女性や恋人の女性などの周囲の親しい女性がそれらに悩まされているのを見たりするなどの機会が無い限り、それらに目を向ける機会は無に等しいだろう。
女性でも、生理の程度は人によって様々である。とても軽くて生理痛もなく出血量も少ない人もいれば、あまりにも重くて7日間動けない人もいる。
女性どうしだから、生理の悩みを分かち合うこともできれば、女性どうしなのに「生理なんかで休むなんて甘え」と言われてしまうことだってある。
機会の差はあれど男性、女性に関わらず、生理についてのきちんとした詳しい知識を教えられることもなく、それに対して関心を向ける機会があまりにも少ない人たちからすれば、生理用品がからかいの対象となり、高級品だと捉えられてしまうのは無理もない話である。

生理はタブーのままでいいのか

日本に古くから存在していた、生理は穢れだとする価値観に大きく影響されて、いまだに日本では生理についてはタブー視されることが多い。
日本だけでなく、世界各地でも生理を穢れとみなし、タブー視する風潮は色濃く残っている。……しかし、世界の人口の半分は女性である。
生理は、女性としてこの世に生を受けた人のほぼ全てが、将来赤ちゃんを産む、産まないに関わらず、女性として生まれたというだけで経験しなければならないことである。
私、赤ちゃん要らないから、生理なんて要りません、ということは出来ないのだ。女性という性に生まれついた人であれば、そのほぼ全てが、否応なしに経験しなければならないことなのである。
そして、私たちの母親は思春期の頃から延々と毎月毎月、痛みや出血量に程度の差はあれど、どんなに大事な予定が入っていようと、どんなに体調を壊してはならない時であろうと、生理を経験してきた。生理の負担を和らげる低用量ピルの認可は1999年のことだったから、どんなに重い生理が来ようとただただ耐え忍ぶしかなかった時代に、毎月毎月生理になっていた。
だからこそ、私たちが生まれてきたわけである。
私たちの母親が生理を経験していなかったら、私たちは生まれていない。
それなのに、生理がタブー視されて、きちんとした知識が与えられることもないゆえに、生理用品がからかいの対象となり、時に高級品とされるという現実のままで良いのだろうか?
生理が無ければ私たちの存在だって無いのに、いつまでも目を背けたままでいいのだろうか?
もちろん、生理は女性ひとりひとりの個人の問題でもあり、全員が悩み事や苦痛を公表すべきである、とは思わない。生理に関する悩みや苦痛を他人に知られたくない人は、無理して他人にそのようなことを話す必要はない。
しかし、生理に関する悩みや苦痛を誰かが打ち明けたとき、それに対して「甘え」だとか「穢れ」だとか、「下品」だとされ、真剣にその人に向き合わないようなことが絶対にあってはならないと私は思う。
また、生理に対してからかうような言動を取ったり、蔑んだりするような行動を取ることなども、絶対に慎むべきである。
生理が苦しい、きつい、しんどい、辛い、と堂々と言えて、それに対して男女関わらず周りの人が手を差し伸べるという現実にするためにも、生理をタブー視することなく、義務教育の過程で生理についてもっと詳しく、時間を取って知識を与えるべきだと私は思う。








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