教員免許は使わなきゃ損?意味がない?

家で、父に腹を立てられて、腹が立っています。

「教員になるって言って大学に入って、教員にならなかった」と。

先日も「もうそれは過去の話だけどな」と言って持ち出されましたが……
過去の話なら、持ち出さなきゃいいんじゃない?

私は、教員免許を取得したからこそ、現在一般企業で働けていると考えています。

なぜか。

今日はその理由を綴ってみたいと思います。

教員になる「しかなかった」

昔は「でもしか教師」と言って、教職にしか就けないから教職に就くという人が一定数いたそうですね。

現在そのような言葉を聞くこともありませんが、大学生になりたての頃の私は、ある意味「でもしか」で教員免許取得を目指し始めました。

大学入学が2014年。

この頃、LGBT枠にいる自分が“自分を押し殺さずに(つまり女性の格好をせず女性扱いされないことを求めて)就活をする”なんて不可能だと思っていたのです。

ついでに、そもそも人前がものすごく苦手で、人との会話も苦手。

あがり症も「あがり症」なんて優しいものではなく、たとえ30秒でも1分でも人前で話すことを求められようものなら、頭は真っ白になり自分が何をしているのかがわからなくなる。

こんな自分が大学3年や4年になっていきなり面接を受けるなんて無理。
ましてその面接というやつを何度も繰り返し受けるのも無理。

その点、教員免許を取得することにして教員免許採用試験一本で受ければ、一般企業を目指すよりは面接回数が少なくて済むのではないか。
また、公立志望で公務員を目指すなら、性別の問題で落とされることもないだろう。

教員免許を取得するための教職課程は1年生のうちから始まるから、早いうちから始める就活だと思って教職課程を履修しよう。

そういうテンションだったのです。

実は昔から学校の先生になりたいという思いは色々な場面で何度も感じてきたのですが、あがり症や、人に教えたり、人をまとめたりするのが下手すぎる性格もあって、その思いは消し続けていたのでした。

時は移り、世間も自分も変化する

よくもまあやったもんだと思いますが、苦手の塊のような教職の授業を無理矢理なんとか乗り越えて、教育実習に行きました。

実習先は絵に描いたような素敵な先生がたくさんいて、どの科目のどの先生の授業も目を見張るものばかり。
授業だけでなく、生徒とも積極的に会話し、生き生きとガツガツ仕事をして。

そんな先生方の姿に大きな憧れを抱きながら、確信しました。

「教員になったら、自分は潰れる」

単純な話です。
体力的にこれほどの労働はこなせないと感じたんです。

その一方で、こんな気持ちも抱きました。

「教育実習を乗り越えたんだから、一般企業の面接だって受けられる」

時は2017年。

辺りを見回してみれば、大学4年の頃には巷で“LGBT ”という4文字のアルファベットが知られるようになっていました。
就活で必ずしも「女」でいなければいけないこともなくなってきたのではないか。

そう感じた私は、教員志望から一般企業への就職に、思い切って方向転換することにしたのです。

やっぱり教員免許を取ってよかった

いろんな企業の面接を受けていて第一に思ったこと。

それが「やっぱり教員免許を取ってよかった」。

厳密にはその頃はまだ「教員免許“取得見込み”」なのですが、そんなことはどうでもいいのです。
役に立つのは、“肩書き”ではなく、“その肩書きを得るために身につけたスキル”だから。

目の前の人と、見られる面接ではなく対話する面接ができている。
自分がどのような壁にぶつかってどのように乗り越えてきたか、そのような自己アピールの題材がたくさん出来たのはもちろん、それを分かりやすく伝えることかできる。

面接で役に立ったことは、教職課程で鍛えられなければ絶対に出来なかったことばかり。

就職してからも、研修中の人前でのスピーチや、プレゼン資料作成など、学んだことが生かせる場は山のようにありました。

これでも「無駄だった」と言えますか?

資格を取ったら使わねば勿体無い。

そういう感覚はもちろんわかる感覚ではありますが、じゃあ使わないことが無駄かというと、それとこれとは別問題です。
資格を取るという“結果”ではなく、資格を取るにあたっての“経験”に主眼を置けば、ごく自然なことです。

実際、私は大学で司書の資格も取りましたが、その資格を使って仕事をする気は始めからありませんでした。

なぜ取ったかというと、スキルが欲しかったからです。

司書であれば、情報収集スキルを中心に、情報利用に関するスキルがたくさん得られます。
こうしたスキルもやはり、司書にならなくても生きる場面があります。

司書資格だと実際に司書として働く枠が少ないので「司書にならないなんてもったいない」とはそれほど言われません。
しかし教員免許ともなると、教員免許を崇高なもののように見て「そんな凄いものがあるなら使わないともったいない」と言う人がいるものです。(不思議だな。教員も、数多ある職業のひとつにすぎないのに。)

でも、勿体無いかどうかは当人次第ですからね。
何かしらに生かされているならば、それでいいじゃないか。

自分は教員免許をとったから、今の自分があるんだ。

現状、自分の生き様や思考を晒しているだけなので全記事無料です。生き様や思考に自ら価値はつけないという意志の表れ。 でも、もし記事に価値を感じていただけたなら、スキかサポートをいただけるとモチベーションがめちゃくちゃアップします。体か心か頭の栄養にしますヾ(*´∀`*)ノ