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私の脳内図書館と博士(時々思うことNo.15)

こんにちは、繊細です。
久しぶりに投稿した記事にたくさんのいいねが来ていて、
私と似たような考えを持っていること、こういう風に考えるのも当たり前
だと感じ、小さなガッツポーズが生まれました。

雑談
10月も終わり、年を取るにつれて日々、1年が早く感じるようになりました。そして、コロナ禍と言われながらも宣言が解除されて、今まで通りの生活、もしくはコロナ禍の経験を元に「新しい生活様式」へと変わっていくのではないかと変化に敏感な私はふと思います。

職場である学校では大きな行事が終わり、生徒のときとは違う感覚を味わいました。生徒のときは楽しさがあったのですが、その裏側では先生たちの話し合い、準備など見えないところで頑張っている姿は驚きました。

本題
今回取り上げる内容は、

知っていると知らないの格差

ということです。

日々、テレビや新聞、そしてインターネットからたくさんの情報を手に入れています。
しかし、その情報を鵜呑みにして、分かった気になっていませんか?
本当に正しいものなのかと疑ってみたことはないでしょうか?
その手に入れた情報元はどこなのでしょうか?

私の家では食事のときにはその日にあった出来事を話すようにしています。
そこでは、仕事の愚痴、学校でのトラブルなどあらゆることを話しています。この話し合いで、特に私の父は情報オタクと言っていいほど、
たくさんの情報をインプットしています。

おじさんでBluetoothイヤホンを首にさげて歩いている姿を見ませんか?
私の父も四六時中、イヤホンをつけて家を歩いています。

そんな父はテレビでは報道されない情報を教えてくれて、物知り博士のような人です。元々、営業マンだったからでしょうか?

こういう場(家族そろって食事しながら、その日の出来事を話す)は大事じゃないかな?と私はつくづく思います。

私は、つくづくテレビの報道番組での交通事故情報や人が殺される
ようなネガティブニュースが嫌いです。
毎日、報道されていますが、実際のところ、先週のこと。
人の脳はネガティブな情報ほど記憶から消しにくいという心理をついているんだろうな~と思います。

こういった情報の裏側を知っている人はどの程度、いるのでしょうか?

余談
つくづく思うこととして、自分の記憶量に驚かされます。
例えば、中学校の記憶から始まり、テレビCMやスーパーでお菓子を買おうとしたら、従来のものと変わっていると驚いたり、自分が生まれる前(世界恐慌がどういうことだったのかを歴史の資料集で見て、状況が何となくわかる)のことを覚えていたりとありとあらゆるものが記憶されていました。

脳は時に辞書に例えられることがありますが、
私の脳内は、情報を受け取り、もう一人の自分が脳内図書館でその情報に関する本(知識)を探し、答えっぽいものを見つけると、指令を送り、答えるこのような作りをしているのではないかな?と感じます。

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他にも、今回のタイトルとは逆説的になりますが、
無知の知という言葉を知っていますか?
哲学者ソクラテスが見つけたもので、
「自分自身は知らないことを知っている」という状態のことを指します。

知らないことに興味を持ち、そこから深掘りしていくことで
宝のような情報もあれば、はずれのような情報も見つかります。

下の図は、無知の知を元にメタ思考という思考より上の思考、
「気づき」についての画像です。

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気づいていない人というのは純粋で情報に踊らされている人、
言い方が悪くなりますが、情報弱者と言われる情報を鵜呑みにする人たち。

気づいている人は、自分の見えている領域をさらに広げて、
自分の知らない情報、情報の裏側までを知った(見えていない)領域までを俯瞰的に見ることが出来ている人たちです。

最後に
そうは言っても、自分だけが知り得た情報や秘密は、誰にも言いたくないというのが人間の心理。そこが人間の面白さではないかな?と私は感じます。

そのため、今を生きる私たちは情報を手に入れる状態から
手に入れた情報を元に調べ考えることという思考の深化が大事だと思います。しかし、私は調べすぎて頭や心が疲れてしまうので、こういったことはほどほどにしています。

本日もご一読、ありがとうございました。
繊細さんである私として、一つのことに深く考えることを元に
情報リテラシーに関する記事を書いてみました。
書く側も難しいこと、正解のないことを考えているなぁ~、
哲学っぽいなぁ~と思い、頭がフル稼働しました。

明日、人生初の投票、行ってきまーーす!!

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