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やりたいことの片鱗は意外なところに隠れている

自分のやりたいことの片鱗は、
過去の意外なところに隠れているのかもしれない。

そう思うことが最近あった。

話は、僕が高校生だったときにさかのぼる。
当時僕には、憧れていた大学があった。

高校一年生のときに初めてオープンキャンパスと大学祭に行った。
その大学は、キャンパスに歴史的な壮大な建物が数々あり、
その雰囲気に僕は強い憧れを抱いた。
(そのキャンパスを聖地と崇めていた。)

そしてもう一つ、その大学のオープンキャンパスや大学祭では、
学生による受験生向け相談コーナーと受験生向け冊子配布が行われていた。
その受験生向け冊子では、
各学部ごとの試験対策や勉強の進め方、受験生時代の過ごし方や、
キャンパスライフのあるあるなどのコラムや対談などが掲載されており、
僕は半分その冊子が楽しみで毎回大学の催しに足を運んでいた。

そして、その大学に合格し、
今度は自分がその冊子を作る側になるのを夢見た。

盲目的な憧れと信仰心、そして冊子を作りたい一心で、
今考えると異常なほど勉強にのめり込み、フルスイングした。

結果として、僕はその大学に合格することはできなかった。

別の大学に進学することに決めた僕は
進学先の大学で様々な経験をし、濃密な大学生活を送ることになる。
そしてかつての憧れや夢は、過去の思い出となっていった。


「なんであんなに頑張れたのだろう?」

大学生になって、社会人になって、改めて思い返すとそう思う。
受験生向けの冊子を作りたいから死ぬほど勉強しましたって
後から思い返してみたらよく分からない動機だからだ。

大学でどんな学問を学びたいとかでもなく(ミーハー程度にはあったが)、
何か将来の夢や目標のための通過点という位置づけでもなく、
なんか高校生の視野で思いついたありふれた考えというか、幻想というか…

ただ、最近、あれは実は自分が本能的にやりたいことが
結構如実に現れていたのではないかと気づいた。

「自分の歩んだ道を整備し、後続にバトンを渡す」

多分自分が一生懸命何かを頑張り試行錯誤をする中で
導き出したことをノウハウとして確立し、
同じ道を歩もうとする人達に武器を与える。

それは今まで僕が色んな場面で行ってきたことであり、
これからもアプローチとしてずっとやっていきたいと思うことだ。

かつての夢には、無意識のうちにその気持ちが現れていて
その気持ちが僕に無尽蔵なモチベーションを与えていたのかもしれない。

また道を整備し、バトンを繋ぎたいことを見つけたとき、
僕はまた、あの頃みたいに盲目的に本気になれるのかもしれない。

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