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学歴至上主義のトラウマ

本日は、大学共通テストの開催日だ。

テレビのニュースやSNSでこの話題をやっていて、
ふと、自分の受験生時代のことを思い出した。

高校1年生のときに文化祭を訪れた大学に強烈な憧れを抱き
毎日がむしゃらに勉強をして受験に臨んだ。
結果として、憧れの大学への合格は叶わず、別の大学に進学した。

夢は叶わなかったが、全力でやった結果なので後悔はない。
当時必死に努力した経験は、その後の人生の糧になっている

だが、そんな完全燃焼ができない人も多い。


学歴至上主義を強烈に煽る進学校

「今死ぬ気で頑張っていい大学に入れるかどうかで人生が決まるぞ」

僕の出身校もそうだったが、
「いい大学」に入ることが人の価値、全て、というばかりに
受験生に発破をかけている進学校は多いだろう。

何かに死にもの狂いで全力になる経験は尊いと思う

しかし、過度な学歴至上主義の刷り込みは、
将来的に心に深い深いトラウマを植え付けるケースも少なくない。


他人軸で自他を無理やり値踏みする文化

そもそも、純粋な憧れや将来の目標のために進学先を決めるケースは稀だ。
僕の実感値だが、志望校の90%以上は、他人軸で選ばれていると思う。

学歴至上主義では、学歴はステータスである。

各大学、学部は難易度やネームバリューなどの尺度で値踏みされ、
どこの大学に進学するかがその人の優秀さ、
あるいは高校、下手すると小学4年生からの努力の価値証明とされる。
中には、学歴が自身の存在価値と同義に結びついてしまっている人も多い。
(これは誇張ではなく、本当にそう思う。)

しかし、受験の合否や進学先などその人の優秀さや努力の値踏みには不正確すぎる。

そもそも進路というのは、文理、私大専願か国公立志望かなど多種多様。
受験形態も、科目数、選択科目、センター利用、前期・後期など多種多様。
どこの対策にどれだけリソースを割くかなどの作戦も多種多様である。
到底比較できるようなものではない。

しかも、当日のコンディション、出題内容など、
不確定要素によりそのスコアは大きく左右されるものである。

本来、どんな進路を選びどんな作戦で受験をするかは、
自分の目的を果たすのにベストな方法を各々取ればよく、他人は無関係だ。

だが、過度な学歴至上主義の洗脳は、
そもそも自分と全く違うバックグラウンドでそこに来た他人が
あたかも自分と同じ土俵で戦っていたかのように錯覚させるのだ。


受験失敗から人生が狂う人達

そして、そのような学歴至上主義は、
受験に失敗した人に、強烈な挫折経験とコンプレックスを植え付ける。

自分が行きたかった大学より「レベルの低い」大学に通うことになった人は
自分の存在価値を否定された気にさえなってしまうのだ。

「ここは自分のような人間が来るべき場所じゃない」
「こんな奴らと一緒にされてたまるか」

そして、その尺度で評価するのは自分だけではない。
周囲の友達をも「価値の低い人間」というレッテルで評価してしまう。
そんな人と仲良くなろうと思う人は少ないだろう。

だからそういうマインドは、ここからその人の人生を大きく狂わせる。
無気力になったり、大学受験の「復讐」のため事に向かうようになったり。

そしてその歪みは、歳をとった大人になっても根深く残る場合すらある。


25歳越えて学歴に固執する人は総じて学歴コンプレックス

「お前どこ大?なーんだ、大したことねえなー!!」
「お勉強ができたって世間じゃ通用しないんだよ!!」

自身の学歴をひけらかしてマウントを取る人、
自身より学歴の高い人を学歴尺度を否定することで説教する人、
両者はどちらも、「学歴コンプレックス」である。

前者は、学歴以外に誇れるものがなく、他人に引け目を感じるとき、
過去の学歴至上主義の尺度にすがって優位に立って安心したいのだろう。

後者は、過去に受験で挫折したり、マウントを取られて悔しい思いをしたのかもしれない。
見返そうと頑張って、今では当時引け目を感じていた人に勝るものができたのかもしれないが、
依然、心のどこかに当時のしこりが残っているのだろう。


学歴からの卒業 ~もうええわ~

僕も、最近「学歴があっても通用しない」云々の話を聞くと、
「もうええわ」といった感覚になってきた。
昔はもっと不愉快な感情になっていたのに、だ。


先日、高校のクラスで数年ぶりに同窓会があったのだが、
一つ面白い気づきがあった。

会話の中で、大学名が一切登場しなかったのである。

僕の出身校は、前述の通り、ゴリゴリ学歴至上主義の進学校であった。
そのクラスのみんなも、元々学歴至上主義のど真ん中を行っていた。

受験、卒業から9年。
もうだれも、学歴なんて気にしていない。

みんな、今を、未来を向いている。


受験生の皆さんへ

大学受験で人生が決まるなんで大袈裟だ。

あなたの価値が決まるなんて、もっと大袈裟だ。

大学受験は、青春だ。
青春の思い出の一ページだ。

そして必死に打ち込んだ経験だけ、今後の人生の武器になる。
結果は極論、ただの飾りだ。

だから、完全燃焼できればいいのだ。


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