いち香

主に闘いの記録を書きます。あとは、たまに考えたことや感じたこと。ごく稀に小説も。

いち香

主に闘いの記録を書きます。あとは、たまに考えたことや感じたこと。ごく稀に小説も。

マガジン

  • 箸休め。

    短めのエッセイ。日々のことや、私の頭の中。

  • 私の蝶々がいなくなった。

    甲状腺がんと私の記録。私が経験したこと、感じたこと、考えたこと。古いものが上に来るように並べています。

  • 嬉しかった言葉集。

    病気が見つかってからかけてもらった、嬉しい言葉たちを集めました。メイン投稿の間に、気まぐれで挟んでいきます。

最近の記事

  • 固定された記事

私のこと。

きっかけ  2023年12月、病気が見つかりました。甲状腺がん。それが私に見つかった病気の名前です。病気について詳しいことは、別の記事に書きたいと思います。  病気のこと、病気をきっかけに感じたことや考えたことを発信するかとても悩みました。悩んで悩んで、私の経験が誰かの支えになったらいいなと思い、書くことに決めました。やってみようと少しでも思ったのなら、挑戦してみる。病気になってから変わったことのひとつです。  ここには、病気が見つかるまでの経緯や検査、治療の話、私が感

    • 自分のために。

         素敵な記事を読んで、ハッとしました。  誰かのために書いていたつもりでしたが、全部自分自身のためになっていました。自分のために書いていたことに気づきました。今日はそんなお話です。 少し前と、今  いつの間にか、noteへの向き合い方が変わっていることに気づきました。始めた頃は、誰かのために書いていました。  この気持ちは、今でもあります。元々、他人のために何かをするのが好きな私。病気になってできないこともあるけれど、何かしらの形で誰かの役に立ちたいと思ってい

      • 自分との闘い。

        術後初めての受診  術後1か月頃、退院後初めての診察に行って病理検査の結果を聞きました。まずは、診察の前に受けた血液検査の結果から聞きました。副甲状腺がしっかり残せていると分かったので、カルシウムを補充するお薬は卒業。チラーヂン1種類だけになって嬉しかったです。  続いて、病理検査の結果を聞きました。手術前の見立てと同じくらいの状態でTNM分類でいうとT2、つまり腫瘍は2cmより大きく4cm以下。気管の側にあるリンパ節に転移していたけれど切除したので、問題なし。周りに染

        • 短編小説:「空に近い場所」

           こんなに長い時間車に乗るのは久しぶりだ。家を出てから4時間以上が経っていた。カーブ続きの道は車酔いしそうで、開いていた塾のテキストをしぶしぶ閉じる。 「あとどれくらいかかるん?」 「20分くらいしたら着くよ。おばあちゃん、楽しみに待ちゆうって。」 「うん。」 聞き飽きた音楽に耳を傾ける気にならなくて、ぼんやりと窓の外を眺める。ずっと同じ景色だ。どこを見ても、所狭しと木が並んでいる。 おばあちゃんに会うのは3年ぶりだった。手紙や荷物が来るし電話もするけれど、久しぶりに会うから

        • 固定された記事

        私のこと。

        マガジン

        • 箸休め。
          12本
        • 私の蝶々がいなくなった。
          37本
        • 嬉しかった言葉集。
          5本

        記事

          右手で手招き。

          退院までにかかったお金  病気になったら避けては通れないもの。それは治療に伴う出費です。今日はお金の話をします。あくまでいち香の場合として、参考までにご覧ください。  入院までの色々、手術・入院、退院後にかかったお金は下の通りです。  専門病院初診から入院するまでに主に必要だったのは、診察代と検査代でした。合計、約6万円。どの検査も受けるのが初めてだったので、いくらかかるのか分からなくて。「CT検査 費用」のように検索して、その日に必要な金額を見積もってから病院に行っ

          右手で手招き。

          エネルギーの使い方。

          落ち切った体力  退院後に声以外で困ったのは、体力がすごく落ちていたことでした。元々体力がある方ではないので、入院前にたくさん歩いて身体づくりに励んでいました。入院中に体力が落ちるのが怖くて、入院してからも毎日少しでもお散歩するつもりでいました。  しかし、いざ入院してみたらお散歩できるところがほとんどなくて。外来のある1階は混雑していて、とてもじゃないけれどお散歩できる雰囲気ではありませんでした。それにパジャマでうろうろすると目立ってしまうので、抵抗がありました。病棟

          エネルギーの使い方。

          声が届かなくても。

          卒業前にしたいこと  身体も心もしんどかった術後1か月頃。少し無理をしてでもやりたいことがありました。卒業前の、先生方への挨拶回りです。学年の中で1番色々な先生にお世話になったんじゃないかと思うくらい、たくさんの先生にお世話になりました。ゆっくり話したい先生方には約束をしていましたが、アポを取るほどではないけれど一言ご挨拶をしたい先生もいます。本来なら謝恩会でご挨拶すればよいのでしょうけれど、謝恩会に行かない選択をしたので別日に挨拶回りをするしかありませんでした。  術

          声が届かなくても。

          サバイバーになれない。

           私は「がんサバイバー」という言葉があまり好きではありません。そもそも、がんサバイバーはどんな人を指すのか。きちんと理解するために調べてみました。 サバイバーの意味も調べてみました。  定義的には私もがんサバイバーに含まれますが、「私はがんサバイバーです。」と名乗るのは何だか違う。「がんサバイバーなんですね。」と誰かから言われるのは、もっとしっくりこない。「がん経験者」の方が受け入れられます。この話をしたときに、「経験したというのは客観的な事実だから、受け入れやすいのかも

          サバイバーになれない。

          声が戻るまで。

          退院後に1番困ったこと  退院してまず困ったのは、声がカスカスで上手に話せないことでした。声量もかなり落ちていて、ざわざわしたお店の中にいるときや道を歩きながらだと話すのが難しかったです。手術したことを知らない人が聞くと驚いてしまうくらいのかすれ具合。相手が「声どうしたの?」と聞いてこないかな、聞かれなくても不思議に思っているだろうな、気を遣わせて申し訳ないな、など色々考えてしまって。神経を使いながら話すのがしんどくて、あまり話さないようになっていました。  入院中に話し

          声が戻るまで。

          「がんばったね。」

          「がんばったね。」  心にすんなり入ってくる言葉です。「頑張れ」よりも「がんばったね」と言われる方が、私は嬉しく感じます。「頑張れ」と言われると「もっと頑張らなきゃ!」と思うし、限界が近いときに言われると「もう頑張ってるのに…。」と感じてしまうので、「頑張れ」はあまり好きではないのです。「頑張れ」が嬉しいときも、もちろんありますが。言うのも実はあまり好きではありません。他にいい言葉が見つからなくてつい使ってしまうことがあるので、気をつけています。  「がんばったね」とよく言

          「がんばったね。」

          踏み切れないのは。

             あぁ、病気になったことを封印してしまいたい。  初めてそんな風に感じて、自分で自分に驚きました。全部無かったことにしてしまいたい。「手術をする前とまったく変わらない私だ。」と思い込んで生きていたい。でも実際は難しいでしょう。毎日薬を飲んで、定期的に病院に行かなければいけません。どちらも元気でいるために必要です。手術の痕は残っているし、首元を触れば甲状腺がないと分かります。手術前には戻れない。ただし、病気になったことを封印しようと思えばできるでしょう。でも、記憶の箱の

          踏み切れないのは。

          退院の日。

          眠れない  朝4時頃に目が覚めました。いつもは途中で起きてもすぐ眠れるのに、この日は1時間経っても寝付けませんでした。退院に向けての不安が大きかったのかもしれません。病棟が朝モードになるまであと1時間。個室とはいえ、かなり早い時間に部屋の電気を点けるのは抵抗がありました。どうするか悩んでいたとき、前の晩に「早く起きてしまったらナースステーションに来ていいよ。」と看護師さんが言ってくれたのを思い出して、病室を出ました。  部屋を出たものの「起きてしまって眠れない。」と看護

          退院の日。

          可愛がられ分析。

           私の場合、看護師さんたちに「よくしてもらった」より「可愛がってもらった」の方がしっくりきます。どうして可愛がってもらえたのか。理由にいくつか心当たりがあるので、分析してみたいと思います。  突然ですが、看護師さんたちのことを書いたら書きたくなったので。やってみます。 その1、幼い  可愛がってもらえた理由として、これが1番大きいと思っています。入院当時、私は22歳。同じ時期に入院している人を見る限り、断トツで若かったです。おそらく私はどの看護師さんから見ても年下でし

          可愛がられ分析。

          感謝の気持ちを乗せて。

          みんなに感謝を伝えたい  退院前日の夜。れごさんが来てくれたことも、私に伝えてくれた言葉も嬉しくて。かけてもらった言葉を忘れないように何度も思い出しては、その度に泣いていました。退院が決まってからたくさん流した不安の涙ではなくて、嬉しい涙でした。たくさんの看護師さんが気にかけてくれたのが嬉しい気持ち。看護師さんたちと会えなくなるのが寂しい気持ち。退院するのが不安な気持ち。色々な感情が渦巻いていましたが、れごさんのおかげで退院が決まってから1番元気になっていました。  明

          感謝の気持ちを乗せて。

          そばにいてくれること。

          密かな楽しみ  ずっと書きたかった、看護師さんたちの話です。患者側として看護師さんを見るのはとても新鮮で、看護師さんを観察するのが毎日の楽しみでした。  どの看護師さんも親しみやすく、丁寧に接してくれました。そのなかでも、話しやすい人と少し話しかけづらい人がいました。話し方、選ぶ言葉、雰囲気、表情や仕草。たくさんの要素が、その人の「看護師像」を作っていました。  たとえば、受け持ち前に挨拶に来てくれる看護師さん。「お昼担当の〇〇です。」というように、受け持ち前に一言ご

          そばにいてくれること。

          笑ってね。

          退院まであと2日  術後9日目、入院11日目。この日は決まった時間の検温以外に何も予定がなかったので、ゆっくり過ごしました。本を読んで、友達と連絡を取って。久しぶりに穏やかな時間が流れていました。  この日の日勤さんは、受け持ち回数おそらく最多の方でした。退院に向けた不安を初めて打ち明けた看護師さんです。私は心の中で、「れごさん」と呼んでいました。あだ名の由来は秘密です。れごさんとは関わる時間が長かったので、徐々に仲良くなっていました。今日日勤ということは、明日は夜勤か

          笑ってね。