あり方探求ライフコーチ”てつ”
あり方で生きる。最小にしてして最高の状態。あり方とは、控えめで、微弱なものなので、澄んだ心の目で見て、心で感じ取る。そのための気づきを100個まとめることを目的としたマガジンです。
あり方探求ライフコーチ”てつ”について語ってみたいと思います。
人は自分を疑うと際限なく弱くなる。どんなに辛くても『励ましの声』で私たちは強くなれる。
心と思考と行動が一致しているかどうか…。 仕事をしながら、 やっているけど、本当は嫌。 やれているけど、本当はしたくない。 こういう時ってありますよね。 会社にいると、 したくないこともやらなければならないことがある。 特に人間関係が多くなるほど難しくなる。 私も、いろんな人に気をつかって生きてきたからよくわかります。 気をつかって、自己犠牲と我慢を積み重ねて、 みんなから好かれても、 自分が自分のことを好きでいられないなら、 本当の幸せを手にすることはできない。
頑張っても、報われない。 結果はこれかよ…。 こんなに頑張っても報われない。 生きている意味あるのかな? もっと頑張らないといけないのかな? これ以上頑張れないよ…。 頑張っても報われないのは、 あたなの頑張りが不足しているのではなく、 頑張る時や場所、状況や方向性が間違っていたのかもしれない…。 頑張ることで、自分の存在が認められる。 そもそも、自分の存在を証明するための頑張りは、 どんなに頑張っても報われない。 なぜなら、自分の存在は、 頑張って
愛されるダメ人間の方が幸せになれる…。 だから、ダメ人間になれ! などとは、言わない。 完璧は人間の属性ではないので、 お互いを補い合い、 助け合える関係を創れるか。 いかに楽しく、 心地よい関係を創れるか。 お互いの関係価値を、 ともに力を合わせ、 協同して創る。 損得勘定抜きにつき合う。 そのうえで、 自分の弱みを見せることができるとしたら…。 そこには、自然と共同体感覚が育まれる。 損得勘定抜きに、 自然と何かサポートしたい、 力を合わせたいという感情が湧い
感情の状態は、1人ひとり違います。 日によっても違います。 体調によっても違います。 そして感情は、状況や環境によって変化します。 海に例えるなら、穏やか時もあれば、嵐の時もある。 いずれにしろ、穏やかな海で、風に乗らなければ、 人生という海を航海することはできない。 人生の意味を見出し、 自分らしく生きている時、 感情は安定し、 人生という海は穏やかであると思う。 そして、自分に無理なくできることで他人に貢献できている時、 前に進む風を受けている。 そのような時は
自分の人生は、 自分の責任において自ら切り開いていく。 他人の期待に応え続け、 自分の心を無視し続けると、 心の中が空っぽになる…。 恐いのは、 気がついたら空っぽになっていること。 無気力ってこういうことなんだろう…。 他人の期待に応えて、 他人の人生を生きるのではなく、 これが私の人生なんだ、 私は、 自分にとって、 心地よい選択ができる…。 そう、思えた時、 不安が前に進むための力に変わる。 不安に思う気持ちも、 前に進みたいという気持ちも、 根っこは同じ。 希
本当はどうしたい? 本当はどうなりたい? 「何かになりたいな」、 「こうなりたいな」、 と、思うことは、 それだけで実現する可能性が生まれる。 思考は現実化するというが、 それが全てだとは言わないが、 自分がイメージできることは、 実現の可能性なのだ…。 目の前に来た電車にとりあえず乗っても、 自分の望む場所には着かない。 そもそも自分の立っているホームが間違っている場合は、 どの電車に乗っても、 自分の望む場所には着かないのだ…。 北九州に行きたいと思うから
「結果を出そう!」、 「幸せになろう!」と、 ノウハウやテクニックばかり習得しようとしてもきりがない。 情報が溢れて、 常に新しいものが出てきて、 いつもビクビクだよ。 うまく行っても、そうでなくも、 ひたすら追求するのは、笑顔と穏やかな心、 自分に寄り添う…。 これしかないんだよね。 さっきまで不安でどうしようもない人が、 ノウハウやテクニックで、 いきなり笑顔満開になるわけではない。 人生に一発逆転満塁ホームランはない。 今の不都合な現実も、送りバントのように日々毎
頑張りすぎている人は、 勇気を出して休むことができない。 なぜなら、頑張りすぎている人は、 頑張らないと自分の存在がなくなると思っているから。 いつからだろう、 頑張ることと、 自分の存在が同じ意味になったのは? いつからだろう、 そのような思い込みがつくられたのは? 頑張ること=自分の存在 これが高じると、 頑張らないと、存在してはならない。 頑張らないこと=悪 となる。 こうなるから、 頑張りすぎている人は、 勇気を出して休むことができない。 休む代わり
・朝起きれない ・やる気が出ない ・感謝の気持ちが出ない←これ最も重要 ・頭がボーっとする ・夜中に目が覚める ・疲れているのに寝られない こういう時って無理をして頑張りすぎているとき。 自分以外の何者かになって、 まわりの人に「どや!」、 俺って、私って、「すごいやろ!」と、 アピールすることが目的となって、 頑張りすぎているとき。 自分以外の何者かになるのではなく、 自分に正直に生きない限り、 私たちは幸せになれない。 ありのままの自分で幸せ
時間は過去から未来へ流れている。 私たちの日常も過去があるから未来がある。 私はサウナが好きなのですが、 10時にサウナに行くと決めたからこそ、 この文章を今、書いている。 先に未来の行動を決めたからこそ、 今の行動が始まったのである。 先に未来をイメージすることで、 今やるべき行動が決まる。 未来の決定ありきで、 今が決まり、 今が過去になる。 先に未来を決めなければ、 私たちは今を決めることができない。 過去の積み重ねで人生は創られると思い込み
家庭や学校、組織や会社で、 自主、自発、創造と謳うのだが、 支配、管理にすり替わっているのは、なぜだろう? 家庭を例に考えてみた…。 多くの子どもは、親からの励ましの声を、 「学校で良い成績をとって、良い子でいて、わがままを言わないで。」と、受け取っているのではないか? 親の期待に応え、自分に課せられた義務を果たすことで、 親から認められる。 そうでなければ、親からの愛情を勝ち取ることはできない。 愛情は勝ち取るもの。 子どもに、「愛情は勝ち取るもの。」、 そう思わ
「先のことはわからない。だから今に集中する。」と、言うと、 「ちゃんと先のことを考えて行動しなさい。」と言われる。 たしかにそうなんだが、 あまり先のことを考えていると今がおろそかになる。 未来のために今があるのか? 今の積み重ねが未来となるのか? 未来のために今の行動をするのなら、 本当はやりたいこともやらず、 言いたいことを言わなかったり、 何か我慢を伴うなんとなく、 充実しない毎日を過ごすことになるかもしれない。 「しょうがない、未来のためだ。」とつぶやきながら
学校教育と資本主義の影響で、 まあ、これが全ての理由ではないけど、 生活するため、お金をもらうために、 自分の価値観・信念を放棄して生きている人がいる…。 もちろん、それは悪い事ではなく、 それは、それでよかった…。 が、時代は大きく変わっている。 会社は、自分を幸せにはしてくれない。 新しい時代に立ち向かうために 価値観・信念をはっきりさせる必要がある。 新しい時代というより、 自分…。 自分の価値観・信念は何なのか? 全てはここから、 自分にとって何が幸せで
『なんで治らいのだろう?』 ⇒脳は、治らない理由を検索します。 『なんでうまくいかないのだろう?』 ⇒脳は、うまくいかない理由を検索します。 『なんで不幸なんだろう?』 ⇒脳は、不幸な理由を検索します。 もし、いつもこのような言葉で自分に質問しているのであれば、 生きることが辛くなるし、それを『自分責め』と言います。 脳はGoogleの検索エンジンのようなものです。 どんな言葉で自分を検索しているのか、 入力する言葉で検索結果が変わります。 例えば、 『元気になっ
失敗をした時に、 他人のせいにしたり、 環境のせいにしたり、 ぶつぶつ文句を言いながら、 自分の失敗を正当化するのか、 失敗してもへこたれずに次につなげていくのか…。 言い訳は、多くの場合、 次の言い訳を作り出す。 だって、自分以外の責任にして、 不本意な現実を自ら作り出しているのだ。 どちらの方が、元気に健康に過ごせるのか? どちらの人がこれからの時代に求められるのか? 沈みゆく泥船に乗っていたいのか? 自分自身が沈みゆく泥船になっていないでしょう
何か変化を起こしたいと思うならば、 やるべきことはひとつ。 感じ方や考え方を変えること。 感じ方や考え方を変えられることは、 知識やスキルを手に入れることよりも重要である。 それは、ドミノ倒しの 一番最初のドミノを倒すことと同じ。 感じ方や考え方が変わると、 パタパタとドミノが倒れるように現実が変わっていく。 時に、その変化についていけない時もあるかもしれないが、 倒れているドミノが、 実は、自分が望んでいた未来。 感じ方や考え方が変われば、 必要な