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白血病児、高校卒業後の進路
白血病児の勉強事情
息子は小学校の時、ほんの一瞬ですが進学塾に通ったことがあります。
やはりなんだかんだと言っても将来的には普通の社会に戻るわけで、それがどの段階からか分からないから、親としてはやはり焦りがあったのだと思います。
一応、息子にも承諾をもらって、本当に一瞬ですが塾に通いました。でもやはり進学塾だけあってタイトなスケジュールだったので続きませんでした。学校の時と同じように、いや、それ
入院生活〜うちの場合〜
ずっと子どもの入院中、笑わせてあげてくださいって言ってますけど、実際、うちの場合、どうやって過ごしていたのかを書きたいと思います。
「しっかりせんと」は呪いの言葉
入院したばかりの頃は、白血病のことが分からなすぎてただただ呆然としながら病院に通っていたと思います。知り合いの人に「白血病になって」って話すと、だいたいの方は「大変やね。お母さんがしっかりせんと」って言って泣いてくれたりしました。
白血病児の普通高校への進学
息子は高校は特別支援学校の高等部に進むのではなく、普通高校に進学しました。
籠の中の鳥
本人もそうでしたけど、私たちも「いつまでも籠の中の鳥では居られないから、どこかで普通の社会に戻らないといけない。それならばいきなり社会に放り出されるより、少しでも早い段階で慣れていった方がいいのではないか」という思いがあったので、そうすることにしました。小学校時代にあんなにしんどい思いをしたにも関わらず。
「若年がん患者在宅療養支援制度」
最近、嬉しいことがありました。
高知でこの4月から「若年がん患者在宅療養支援事業」という制度が新たに開始されたのです。40歳以上の介護保険を払っている人たちが受けられる支援を若年層の人たちも受けられる支援制度です。
「制度の狭間」
息子が入院中、転院か家に帰るか迫られたことが度々ありました。その時にソーシャルワーカーさんに「家に連れて帰るんだったら介護の方たちが受けるサービスを受けることは出来
白血病児の普通小学校への思い
普通にならんと…
息子が22歳の時に言いました。「お母さん、僕ね、ずっと普通にならんといかんって頑張って来たけど無理やったがよ。だってそもそものスタートが違うかったき」って。
最初は「どういう意味?」って思ったのですが、息子は幼稚園の年中さんの時に発症して、そこから入院して、抗がん剤、骨髄移植をしてから退院まで5年という日数がかかりました。治療の合間に勉強をして、教科書的には同じ学年の子どもさ
白血病児への普通小学校の洗礼〜6年生編 その2〜
6年生の3学期、息子は学校の6時間が終わってから夜9時ごろまで塾で勉強とかは体力的にももちろん無理だったので、校区の公立の中学校に行くことが決まっていました。
言葉の暴力
私立の中学校の入試前でイライラしている子どもさんも増えて来ていたと思います。言葉遣いも乱暴になって来るし。
息子は小学校3年生まで入院していたので、周りは先生含めみんな大人ばかりです。もちろん小児科なので子どももいますけど
白血病児への普通小学校の洗礼〜6年生編 その1〜
6年生に上がる前にも新しい担任の先生とお会いして、やはり前年同様「病気のことに詳しくなくて」と言われたので主治医に会いに行ってもらいました。そこでも注意事項を説明して頂いたのですが、やはり前年同様メモを一生懸命取られていました。
5年生の時と違っていたのは、去年散々な目にあったので体育は最初から見学ということと、肌の状態が良くないので体育の時は保健室で休ませてもらうというところでした。
腕に発疹
白血病児への普通小学校の洗礼〜5年生編〜
5年生になる前に新しい担任の先生とお会いすると「病気のことに詳しくなくて」と言われたので病院に一緒に行って、主治医の先生から学校での注意事項(体育は団体競技は絶対だめとか骨が弱いので強くぶつかると骨が折れるかもとか)を説明してもらいました。担任の先生は一生懸命ノートにメモを取っていました。
そうして学校が始まってしばらくは楽しそうに学校に通っていました。新しいお友達もでき、学校から帰ったら公園に
白血病YouTuber「にゅーいん」のこと
息子がYouTuberとして活動を始めたのは、20歳の時、大学へ通っていた時に白血病が再発してからのことです。
自分のことを誰も知らない県外の大学へ行って一人暮らしをするっていう夢が叶って楽しく暮らしていた矢先(6ヶ月は経っていましたけど)のことでした。バイトもして友だちとも楽しく過ごしていた時だったので、その時の落ち込みは半端なかったと思います。
再発が分かった時に電話して来て「お母さん、ご
白血病児への普通小学校の洗礼〜4年生編〜
小学校4年生の3学期から体験授業という名目で地元の小学校に何度か行きました。
その頃は一応寛解はしていたので、特別支援学級ではなく普通のクラスに入ることになっていました。
私もその時はついて行っていたのですが、息子は最初、生徒の多さにびっくりしていました。クラスは35人学級だったので、教室も後ろの方まで机が並んでいます。
今までの養護学校では同級生は自分ともう1人だけ。教室にも2人の机だけ並ん
白血病患者の学校事情
息子は幼稚園の年中さんから入院して、化学療法で治療していましたが、残念ながら再発してしまい骨髄移植をすることになりました。年中さんの9月から入院して、退院したのが小学3年生の時だったので、足掛け5年になります。
初めての学校は院内学級
小学校入学の時はちょうど退院している時で、でもすぐに治療のこともあるから入学式だけ地元の小学校に参加して、次の日から病院の院内学級に転校することになりました。
全部自分で受け容れる〜白血病の息子の生き方〜
受け容れるだけの人生
退院してから地元の小学校に戻った時、小学5年生の時だったと思います。
同級生は私立の中学校受験のため8割強の人が塾に通うようになります。
4年生の頃はまだそんなに本格的ではなくて週に2日とか3日だったのが、5年生になるとだんだん本格的になってきて、週4〜5日になって来ます。時間も少しずつ増えて来て、宿題も増えて来るからみんなピリピリし始めて。学校にストレス発散しに来る子も
骨髄移植をして生きる
骨髄移植をして生きる
息子がお世話になった看護師さんと話していて「大人になっての移植はなかなか耐えられんって聞くよね。子どもの時は案外耐えられるけど」って言われました。
何でかなと思っていたのですが、お薬のこともあると思うけど気持ちの面がすごく大きいと思います。
大人って楽しいことはもちろん、苦しいことやしんどいこともたくさん経験してますよね。でも抗がん剤治療、骨髄移植っていうのは、今まで経験し
白血病になった息子の心構え
息子の心構え
私は、息子が24の歳まで生きていられたのはある意味あの明るさがあったからだと思っています。5年生存率が10%未満って言われた時も「普通やったら90%の確率で死ぬってことやからもう助からんとか思うかもしれんけど、残念ながら僕はそういうふうには思わんがよね。その10%に入ったらえいがやろって思ってしまう」って言ってました。
最後の移植前には大人になっていたから、本人も含め家族みんなで