「モノローグ」批判に対する違和感

 「モノローグ」批判に対する違和感を書き連ね、紆余曲折を寛容に受容しながら、前へ前へと進んでいきたい。そんな文章を書く。

 まず大前提として確認しておきたいのは私の「モノローグ」批判へのほとんどアレルギー的と言ってもいいような拒否反応についてである。私は大抵の議論を寛容に引き受ける。ただ単に興味がないからそうなのかもしれないが、私は私の態度にそういう印象を持っている。その態度は例えば宇野邦一がドゥルーズの『哲学とは何か』に対して次のように述べていることに近い。

それぞれの哲学的創造に概念、平面、概念的人物を読みとっていくドゥルーズの記述は非常に厳密であると同時に、奇妙に寛容でもある。プラトン、デカルト、カントの創造は、真偽を判断されるよりも、どのような概念的創造であったかという事例として、まったく公平に読み解かれていくだけである。

『ドゥルーズの21世紀』29頁

 私は私にもこのような公平さ、奇妙な寛容さを感じる。しかし、ドゥルーズがウィトゲンシュタインに対してほとんどアレルギー的に見える拒否反応を示したのと同じように私は「モノローグ」批判に拒否反応を示している。そう見える。私には。
 ここからしたいのは「モノローグ」批判のどこにアレルゲンが存在するのかを考えるということである。あまり詳しくないので間違っていたら申し訳ないのだが、アレルゲンというのは抗原だけでなく抗体も指す概念であるよう、言い換えれば、抗原と抗体のペアを指す概念であるようなので、この考察は必然的に私の個体性とも関わってくると考えられる。ウィトゲンシュタインへの拒否反応がドゥルーズの個体性に由来していたように。もちろん、厳密にアレルゲンを取るとすれば、ここで言うよりもはるかに刺激と反応の次元にあるのがアレルゲンであるとは思われるが、とにかくこのメタファーを基本として考えを進めていきたい。ただ、アレルゲンは個体性とペアを作るというよりもむしろ個体の抗体とペアを作ると思われるので個体とアレルギー症状の関係はずれていることは確認しておきたい。言い換えれば、ドゥルーズが「哲学の生き延び」みたいなことにおいてウィトゲンシュタインを拒否していたように、ある種のテーマがそこにあるときにアレルギー症状は現れることは確認しておきたい。つまり、ここでの考察は私の個体性のあるテーマにおける抗体と抗原のペアが「モノローグ」批判への拒否反応の由来であると考え、それを明らかにしていこうとすることであるということである。ちなみに、厳密に言えば、アレルゲン、すなわち抗体と抗原のペアはアレルギー症状が現れていない場合でも形成されるようなので、それをテーマの力を借りて明るみに出していくのが今回の考察であるとも言える。

 まず、私はおそらく、「持続する個人」ということに拒否反応を示している。いや、それを前提にすることに拒否反応を示していると言ってもよいかもしれない。言い換えれば、「持続する」はなんらかの作業によって下支えされているにもかかわらず、その作業をまるで存在しないかのように考えることに私は拒否反応を示しているのである。
 このことが「モノローグ」批判への拒否反応とどのように関わってくるのだろうか。おそらく「モノローグ」批判には「内閉」批判と「自閉」批判が存在しているのではないか、という点に関わってくると思われる。もっと問題的に話すなら、この二つを区別する必要があるのにもかかわらず、この二つが区別されず雑多な批判になっているのではないか、という点に関わってくると思われる。
 「内閉」と「自閉」を区別するためには、「内/外」の対比と「自/他」の対比を区別する必要があるだろう。ただ、この区別は極めて難しいし、私も関連する議論を引いてくることができるだけである。とりあえず私がこのことを考える際におそらく暗に参照していることを示しておこう。それはウィトゲンシュタインの議論とそれに関する入不二基義と永井均の議論である。またはレヴィナスの議論である。ただ、この議論に踏み込むと私もめりめりと地面に沈んでいってしまうのでとりあえず、別のことを考えよう。
 
 ところで、私は朝起きてこれを書き始めているわけだが、朝起きて手が痺れているなあなどと思ったあと、私は対話なるものが複数性を必要としていることについて一定の見解を得た。と思ったからこれが書けると思ったわけであるが、ちゃんと起きてしまったせいで忘れてしまった。ただ、その複数性が個人同士という形で確保されるのはいかにしてか、という問いがそこには存在していたと思われる。くしゃみ。花粉症だろうか。
 私は複数性の確保について「テーマ」と「意見」というペアではなく「現実」と「分身」というペアで考えているように思われる。とりあえずこの二つのペアを一つのペアにするとすれば、「問い」と「答え」ということになるだろう。「テーマ」と「意見」が「問い」であり、「答え」が「現実」と「分身」である。いや、むしろ「問い」と「答え」の別様の現れが「テーマ」と「意見」という対比と「現実」と「分身」という対比なのかもしれない。言い換えれば、「テーマ」と「現実」が「問い」で「意見」と「分身」が「答え」なのかもしれない。

 ああ、よくわからなくなってきた。私の発症を見に行こう。私がどういうときに頭を掻きむしるのか。私はよく「私は過去の私と対話したいのであってあなたたちと対話したいわけではありません。」と書く。これは一種の演技というか宣言というか、そういう面ももちろんあるのだが、一種の真実でもある。私は私の中しか見えていない。そしてそこでどれだけの対話が捻り出せるか、それを考えている。だからもしかすると他人にはまったく伝わらないかもしれない。もちろんこの文章もここまで読んだだけではほとんどの人には伝わらないだろう。もしかすると未来の私にさえ伝わらないかもしれない。私は未来の私にはかろうじて伝わるくらいの文章を書きたいと思っている。その意味ではこの文章はまだ文章になっていない。おそらくコース料理にされるべき皿が目の前に無愛想にドントンドンドンドンと置かれているだけだろう。
 もちろんこの文章は「モノローグ」だと批判されて然るべきである。私はそう思う。が、私が普段していることは批判には該当しない。そう思っている。そう、批判に該当しない、というのが症状なのである。ただ、直接言われているわけではない(もしかすると言われたことがあるかもしれないが記憶に残っていない。)ので私は勝手に該当することにされるかもと恐怖して、勝手にその恐怖に打ち勝とうとしている。その恐怖を打ち消したり、その恐怖を勇気に変えたりして。ただ、これは一種の物語であり、本当は「モノローグ」と「ディアローグ」という対比が分からないという、極めて単純なわからなさがここにあるとも言える。アレルギーというよりも単純にわからないという、それがここにはあるように思われる。私は私を奮い立たせてやろうとしたのかもしれないが、私は別に奮い立たなかった。それが実情なのかもしれない。
 私は最近「モノローグ」批判について考えよう考えようとしていたし、それのおかげで、それゆえに起きたときになんらかのことを悟ったと思った。思い込んだ。もちろん思い込むことは素敵なことでそれを未来の私に伝えてくれたらそれでいいのだが、起きてしまったせいでそれができなかった。それだけなのかもしれない。
 私は最近、ある人に素直に、いや、もしくは素直さを装って次のように言った。「私は他人の意見が聞けません。他人の意見によって私の意見を取り下げようとか修正しようとか、そういうことを思うことがありません。他人の意見を取り込もうとも、もしかすると理解しようともしていないのかもしれません。」と。その人は私に「そのことがわかっているなら充分だと思う。」と言いましたが、それはただ逃げているだけのようにも聞こえました。
 なんと言えばよいのでしょうか。私には「持続する個人」、特に「同じ意見を持ち続ける個人」ということがまったくわかりません。そういう意味では私は変わっているのでしょう。しかし、その変化は変容でもあり、変化はいつも存在しないようにも思えます。なんというか、全部が変わってしまうせいで同じことを言っているとしても違うことを言っているような、違うことを言っていても同じことを言っているような。これは「意図」によっては説明できません。なぜなら、それはもうすでに媒介されてしまっているからです。「問い」と「答え」に。人間的になってしまっているからです。
 そこではもう、「ディアローグ」は達成されています。達成されてしまっています。「モノローグ」は「ディアローグ」でしかない。これが端的な実感です。しかし「モノローグ」を取り戻したいとも思いません。それは少なくとも「語る」ことによっては存在しないからです。その意味で「モノローグ」は語り得ないものなのです。しかし、「テーマ」と「意見」の枠組みはそうは思いません。「テーマ」の設定次第ではそれが語り得ると思っているように見えます。私はそのとき、ある種の無力感に駆られるのです。ああ、この人たちは何もわかっていないのだ、という。そして私もまた、何もわからないのだという、そういう無力感に。
 横を走り抜けてゆく、その無力感。いや、吹き抜けていく、その無力感に形を、なんとか形を付与したい。そう思って書き始めたのかもしれません。が、正直に言えば失敗しています。潜在すらしていなかったのかもしれません。実はアレルゲンの変奏としてしか、私は「モノローグ」批判に向かい合わなかったのかもしれません。私はただの一例として「モノローグ」批判を理解して、なんだかしたり顔していたのかもしれません。恥ずかしいことです。
 私にとっての「ディアローグ」は過去の私の書いたものを読むことです。書くことはそのためのことであり、話すこともまたそうでしょう。私はなんとか、それに資するように手がかりを作ろうとしてきましたが、今回はただの吐露に終わりました。私は私の虚構性、ここで語られていることのそれを痛感しています。私には問題を作る力も答えを捻り出す力もありませんでした。「モノローグ」批判はよくわかりませんが、私はそのわからなさすら語ることができない。
 私は別に悲観していません。が、悲しんではいます。絶望まで至るか、至れるかはわかりません。私は防衛しているのですから。ただ、どうやって防衛しているか、それもわかりません。そのわからなさは防衛されているというよりもむしろ、なにもないという、そういうわからなさです。私は防衛していると見られること、誰かにそのように見られることはわかりますが、その人が語ってくれるのを待っているしかありません。私には「モノローグ」批判が工事の音、繰り返されるガサツな音にしか聞こえません。私は昨日、ある事情からそれを聞き続けなければなりませんでした。およそ2時間ほど。私はそのとき、次のように書きました。

内臓を吐き出すという、あの身振り。私には見える。それが外傷からの防衛であること、そして私はなぜか「身代わり」という概念の真相が理解できるような、そんな気がする。

2024/2/29「けんじのむすび」

内臓は世界となり、世界はドクドクする。

2024/2/29「けんじのむすび」

それに酔う。気持ち悪くなる。

2024/2/29「けんじのむすび」

微細にというより微妙に震えている内臓。私の周りにいる内臓。今日は雨だからそれと似て、私の周りに大気が居る。

2024/2/29「けんじのむすび」

 心臓を吐き出し、その心臓が私を包むような、そんな気持ちになりました。どくどくするそれはここに示されているように気持ち悪く、それに私は酔いました。雨もあったのかもしれません。この文章はこれにすらなりませんでした。だからおそらく、私には何も聞こえていない。聞こうとしても聞こえない。私の問題か、「モノローグ」批判の問題か、それすらもわからない。そこには絶対的な断絶があり、それは見えることすらない。ただ単に断絶があり、手がかりすらない。それを作ろうとしても失敗する。別の問題を語り始めてしまう。それを語ったことにはならない。もちろん、話すことというのはそもそも別の問題を語り始めてしまうことによって支えられているとも言えます。が、それが支えになるのは「別の問題を語り始めてしまう」ということが結局一つの連鎖の一部になるだろうという、そういう傲慢な予感ゆえでしょう。しかし、ここにはそれすらない。一つ、連鎖があるとしたら、私に、そして私が理解したウィトゲンシュタインやらレヴィナスやら、入不二やら永井やら、私が話をした人にやら、そこらへんにしかない。ただ、私にとってそれを語ることは繰り返しのことであり、大して面白みがない。私は「読む」ことに戻る。「読む」ことは心地よく、そして爽快ですらある。その透明さというか、涙というか、それはたしかに非倫理的である。たしかにそうである。しかし、私はそれに縋るしかないのだ。己の表現力不足ゆえに。
 このことを「モノローグ」だと言われたとすれば、私は二重の意味で反論しない。できない。一つはその通りであり、許諾も一つの反論であるからである。もう一つはそもそも私にはその批判が聞こえていないからである。私にはこの二つのことが区別できない。この区別できなさが「内閉」だとか「自閉」だとか言われたとしても、わからないのだから仕方がない。開き直ることすらできないくらいわからないのだ。あなたたちはわからないふりをしているだけだと思うかもしれないが、私にはわからないのである。わからなさを証明することなどできない。私はわかるふりをすることすらできないのである。どうしようもないのである。
 内臓が私を包み、どくどく世界が存在するとき、私は泣かないだろう。気持ち悪くて泣けないからである。泣くことが一つのカタルシスであるならば、私にはカタルシスすら許されていない。「読む」ことだけが私にカタルシスを取り戻してくれる。そして私は生き延びる。心臓は私の身体に格納され、私は笑い、世界は私に微笑む。静かに。カフカは次のように書いた。私はこれがいま、前よりもよく読めるようになった。「読む」ことができるようになった。悲しいし、いや、悲しいとすら思えないのだが、そのことは嬉しいことだ。

天空は沈黙している。ただ沈黙する者に対してだけは、こだまを返す。

『夢・アフォリズム・詩』106頁

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