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望郷初期症状

 一人暮らしの住居から実家に帰る電車の終電の時間を調べてみると、意外と遅い時間までセーフであることがわかった。その気になればすぐにでも帰れる。この安心感こそが、この望郷初期症状なのかもしれない。

 灯台もと暗しと言うように、親元を離れて暮らしていても、実家までの距離が近すぎると逆にあまり帰省しなくなる。これはある種のイタズラ心のようなもので、大人になっても抜けきらない反抗期の残り香でもある。
 そうは言っても、年々歳をとる私と同じスピードで両親も老けてゆくし、故郷の町もまたそれ以上の早さで色あせてゆく。しょうもない強がりを誇るよりも、帰れる時には帰っておく必要がある。

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 都会で暮らしていてもどこか満たされないものがある。欲と物資にまみれたこの街で、空っぽの箱を組み上げてはひたすら積んでいくような、そんな生活をしている。
 何も無いあの町だったら、そもそも箱なんて作る必要はなかった。無理に何かを箱に押し込めないといけないような、そんな焦燥感もなかった。モノがありすぎるから、そのモノのすべてを知ろうとしてしまう。物理的な何かに常に囲まれる生活は、それ以上に精神的な何かに囲まれている。一見快適なようで、とても窮屈だ。

 地元の町に昔のような活気はない。地域の子供の数は年々減り続けているし、角の駄菓子屋も潰れた。公園からは遊具が消え、介護施設が増えたような気がする。
 別に、この町はもともと寂しい郊外の町だったのだが、あの頃は気づかなかった。町を東西に横断する新幹線はどこまでも続いているように思えたし、南北に流れる細い川はどこから流れてきているのか、見当もつかなかった。地域内にあるお店はだいたい把握していたつもりだったが、今グーグルマップを開いてみると意外と新たな発見があったりもする。この町は広いようで狭いんだな。

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 20代後半にさしかかり、私の家族や親戚、地元の友人にいろいろなイベントが起こり始める時期になった。そのたびに胸を躍らせながら、ときにはざわつく胸を抑えながら、この町に帰ってくるのだろう。すぐに帰ってこられるから、なにも心配はない。
 

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