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解像度の低いこの街は淀み

 アジカンの或る街の群青を聴きながら歩いていると、この淀んだ汚い街の植物が、建物が、空気が、すべてのものが嫌に鮮明になったような気がしてくる。裏路地にぼうっと立つすすけた看板でさえ、まるで大繁盛店であるかのように見えるし、軒下の暗い雑草でさえ、大地にしっかりと息づく生命の力強さというものを感じさせる。この街が確かに生きているということを感じさせる。
 陽が落ちて、街が群青色の空に覆われる。まるで丁寧に藍に染め上げられた布を街全体にかけられたかのようだ。思わず見とれてしまうようなその群青色とは裏腹に、冷たい鉄筋のビルが見下ろす地上にはその群青の恩恵はない。ただただ、無表情なモノトーンが続いている。

 本当に停車できるのかわからないくらいのスピードで駅に滑りこんできた地下鉄の車両から、水が吐き出されるようにたくさんの人が溢れ出てくる。その水滴の一粒一粒が同じ方向に向かって流れてゆき、やがて細いエスカレーターの前で流れが悪くなって淀みができる。その詰まり気味の配管からぽとり、ぽとりと水が滴るように、ひとりまたひとり、改札口から人が出ていく。

 この街は淀みだ。日当たりの良くないこの場所で、流動性をなくした人々がそこに溜まっている。花壇の花びらも、雑居ビルの看板も、通りゆく人々の顔も、この街の中で徐々に解像度を落としていって、ぼやけてふやけていって、そこでようやく、この街の一部になるんだ。


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