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楽しむことは思考することにつながるということである
タイトルは國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」の一節。
この本には決断主義の危うさが書いてある。
決断主義の危うさについて初めて教えてもらったのは千葉雅也さんの「勉強の哲学」。
ここでタイトルのメッセージに戻る。
絶対的な正解を求める恐れに駆動され、アイロニーを中断できなくなると本当の意味で「本気」になれない。
好奇心・探究心がアイロニカルな方向に行きすぎると思考が深まらない。幸せも感じ
好奇心・探究心が現実と調和してるとき、人は幸せを感じる
好奇心・探究心に衝き動かされるだけでは危うい。
現実に適応するだけでは生きた心地がしない。
夢か努力か、ロマンかソロバンか、理想か現実か、そういった二元論を脱構築しようとしたとき、現実を主体的に引き受けつつ自己を表現しようとしたとき、人は幸せを感じるのかもしれない。
好む者と楽しむ者の差分は「現実との調和」、「制約とのダンス」、「不自由を足場にした自由」ではないか。
深い人生の悲哀を動機とす
本気になるというのは、手持ちのものに立ち帰ることである
タイトルは千葉雅也さんの『努力について』にある一節。
このあたりもグサリと刺さる。関連して刺さったツイートも引用
これまで純粋=強さだと思っていたけど、真逆だった。弱さから来る「強がり」だった。