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20年越しの勘違い

結婚したら私は、

『旦那様に尽くす
3歩下がった
控えめな奥さんになる』

と、小さい頃から思っていました。



間違いでした(////)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

こんにちは。
福永洋子です。

今日は、ちょっと物騒な話にも
なってしまいますが

私の両親は、私が10歳の時に
離婚しました。

原因は父のギャンブルで作った借金で、
何年も前から生活もギリギリの状態だった
ことです。

ドアを

ガンガンガンガン!!!

と叩いて、
大声で

「〇〇さーーーーん!!」

と、家にしょっちゅう
取り立ての人が来たり、

質屋に持って行ったのか
ビデオデッキ

(今はこんな言い方しないですよね💧
が無くなっていたり、

玄関にいた熱帯魚がいつの間にか
水槽ごといなくなっていたり、

電話や電気が何回も止められていたのも
何となく覚えています。

ただならぬ雰囲気は感じていたのに、
子どもって何にも聞かないものなんですかね。

(今でも不思議なんですが、

電話が使えなくなってる理由も、
時々来る怖い人が誰なのかも、
自分から1回も聞いた記憶がありません)

ある日、母が

タンスのいちばん下の引き出しから
10社以上のサラ金の明細書を出して
見せてくれたことがあって、

それでようやく全部の意味が分かりました。

たぶんこの頃に、離婚の決意を
固めていたんだと思います。

そんな状況だったので、

母は

「旦那さんに食べさせてもらわなかったら
生きていけないなんて、

そんな惨めなことはないよ。

女でもちゃんと手に職を持って、
相手に頼らないで
自立できるようにね。」

と、よく言っていました。

でも
私はというと、

「うん。」

と言いながら

専業主婦
ものすごく憧れていました。

小・中学生の頃、放課後に
友達の家に遊びに行った時、

その子のお母さんが家に居て
お菓子を出してくれたり、
一緒に学校での話を聞いてくれたり
していたのが、すごくうらやましくて

“私も子どもが帰ってくる時は絶対
家に居て迎えてあげたい!”

とずっと思っていたからです。

働くとしても
パン屋さんでパートするぐらいにして、
あとは完全に家の中で過ごすのを
夢見ていました。

そう言えば、

何でも話せる
小学校からの友達は、

「ヨウコは同い年か
1個下の人が合うと思う。」

と昔から言っていて、

私は絶対、年上の人がいいと
思っていたので
聞き流していたんですが、

実際、2つ下の主人と
結婚することになって、

自分のことって自分がいちばん
分かってないということなのかなァと
今更ながらに思うのと、

長年の友達の洞察力って
本当にすごいなと感心しています。

もちろん

この人を幸せにしたい
自分も幸せになれる

と思ったから結婚したんですが、

その後1年も経たないうちに
3歩下がってなんて絶対ムリだ🙀
と気付きました💧

ちゃんと母の『男勝り』も
受け継いでいることを
ヒシヒシ感じる今日この頃です。

あなたも、

『本当の自分・本当の気持ち』

に気付いてますか?

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