Repos(ルポ)~やすらぎ~

公認心理師、社会福祉士、介護支援専門員(ケアマネージャー)。相談処を開設し、オンライン…

Repos(ルポ)~やすらぎ~

公認心理師、社会福祉士、介護支援専門員(ケアマネージャー)。相談処を開設し、オンライン相談を実施中。HSPの気質で、「思いに寄り添う」をモットーに、言葉の重みと選択を大切にしながら、自分の思いや好きな哲学者の言葉をつづります。http://repos.site/

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あえて極論を言ってみます。私のコンセプトとは。

こんにちは。相談処 Repos(ルポ)です。 今回は、元々福祉の世界にいた私が、あろうことか心理の世界に飛び込んだのですが(もちろん、素人が人の心に触れてはいけないと思って、公認心理師の資格も取っています)、率直に福祉や心理の世界に身を置いて、どういう思いでいるのか!? の記述です。 福祉の仕事は十数年勤めました。高齢福祉の世界でしたが、身体って年数を重ねたらやっぱり変化していくものですから、それを本人の心が受け入れる支援や、だんだんと心に孤独を抱えがちになる人の味方でい

    • 私の今は

      すごく好きな仕事をしていたんですが、 職場の人間関係の変化があって 私は今、違う分野の道に進んでいます。 人間関係の問題だったので、 元の職場への未練や、後悔があって 泣いたり愚痴ったり ふさぎこんだりする日々でした。 冷静になった頃 好きな仕事だったけど、向いている仕事だったか…を考えてみると 「けっこう向いてなかったんだなぁ…」と本音が出たんです。 仕事自体は頑張っていましたよ。 でも、無理をしていました。 仕事ってそういうものだとも思うのですが、 そういう流れの仕

      • 言葉 というナイフ

        人間にはいろんな感性があって、同じ言葉でも受け取り方が違います。 また、同じ人でも相手との関係やその日の気分でも受け取り方が変わってくるとは思います。 ただ、それは言葉を受け取る相手の条件の話ですね。 言葉は自分が発するものです。 自分が言葉を発してしまうことで、その言葉が周囲に影響を与える事を覚悟しないといけないくらい責任のあるものだと、私は考えます。 そんなに重く考えないで欲しい…そういう声も聞こえてきそうですが、言葉が人と人とをつないでいる以上、とても重いものだと思

        • カウンセリングとAI

          紆余曲折ありながら、私が心理の世界に入ってカウンセリングを行うようになっていることは、別の文章に書いてあるので割愛しますが、 最近、AIが現在世にある仕事を奪っていくというような話題が目について、そこにカウンセラーという仕事も無くなる方に名前があがっているので、大変なことだなと思っています。 実際そのAIは、既に今でも人の質問に共感も行い、アドバイスも行っているらしく、情報の上書を行い、人間の相談相手として進化していきそうで、現実問題としてカウンセラーという繊細さを必要とする

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        あえて極論を言ってみます。私のコンセプトとは。

          私はHSP気質を受け入れる。

          基本的に最近の世の中は 「自分の機嫌は 自分でとろう」というふうに 周囲に当たり散らす人を嫌う傾向にあります。感情をあらわにすることは、場の雰囲気を乱しかねないので、気を付けたいですね。 一方で、元々人前で辛い顔や悲しい顔をすることを極力しないように気をつかって生きていくタイプの人間がいます。 私は、そのタイプです。 例えば上司に挨拶を無視され傷ついても 体調があまりよくなくても なるべく平気な顔をして過ごす努力をします。 代わりに笑顔で冗談を言ったり、何も考えてないように

          私はHSP気質を受け入れる。

          「もっと頑張れ」はお互い辛くなる。

          よく 「頑張っている人に もっとがんばれって言わないで」という文章を見かけます。 頑張っているけど、なかなか報われない人や苦労している人に対して、「もっと」を要求しないでね、という事です。 まず、本人が頑張っていることを認めてあげて欲しい…確かにそうです。 人は皆、頑張って生きています。 応援する側としては… この「もっと頑張れ」と言う人は、別に今頑張っている人を理解していない訳ではないのです。頑張っているのは十分知っているのです。 おそらく純粋に、口から心の声が漏れ出て

          「もっと頑張れ」はお互い辛くなる。

          気になる。だからこうしよう!

          以前から、小さなことを気にする傾向にある私です。 別に掃除機は四角い部屋でも丸くかけてしまうんですけど、いざ外出をした時、玄関の鍵はちゃんと閉めたか、ガスの火は止めたのか、いやもとい、元栓は閉めたのか、果てはコンセントの上に埃が溜まっていて出火したりしないか…等々、気になりだしたら止まらないことが多いんです。 こういう気になるスイッチが入ってしまったら、強硬手段で外出を継続しても楽しくないです。一番いいのは、もう一度部屋に戻って確認するしかないと、何度か家に戻った事もあります

          気になる。だからこうしよう!

          辿り着いた。

          社会人デビューは40代。遅い方だ。 それまでは、家庭・子育てに奔走していた。 少し落ち着いた頃、偶然大学時代に専攻していた福祉の世界に求人があって入職した。 社会のルールや、仕事上のツール等、それまで取り残されていた私の環境が一変し、知識の吸収も楽しく、人間関係にも恵まれて、本当に楽しい日々だった。 そんな中、「この仕事は自分の天職だと思う」という同僚がいた。 私も、この世界が私の天職なんだと思いたく、必死に、そして楽しくキャリアを重ねていった。 数年が経って、新しい人が転

          「みんなそうだよ」って言わないで。

          私はカウンセラーをさせていただいてます。カウンセリングというものが、もっと身近になったらいいなと願い、活動中です。 世の中には様々な方が居て、それぞれに自分の感じる辛さを話してくださいます。 同じ出来事をみたとしても 、自分の経験や感覚で色んな見方が出てきます。それは面白い程。あぁそんなふうに見えるんだ、とかそっちに感じたか、とか…。 でも、世の中には特にカウンセラーに悩みを相談しなければならない決まりはないので、友達や身近な人に相談をした経験のある人は、よく「みんな

          「みんなそうだよ」って言わないで。

          「知らんけど」 あえて垂れるは 己の穂

          皆さんは、自分が知っていることを伝えるとき、どのように伝えているでしょう?  「え!?知らないの?」と言ってしまうと、教えてもらいたいと思った側は傷ついてしまいますね。また、例えば一度で覚えられない程の情報量があった時、確認の為にもう一度聞かれて、「これさっきも言ったよね!?」などと言ってしまったら、すがる思いで聞いた側は、本当に立ち直れなくなってしまいます。…もしくは、腹が立って「二度と相談しない!!」ってなるかな。  「教える」ということは、難しいです。言葉の選択、声の響

          「知らんけど」 あえて垂れるは 己の穂

          わたしにとっての快適な居場所とは

           私は、九州の大きな平野の真ん中で生まれ、育ちました。 田んぼが広がり、登下校は農作業の風景を見ながら…。  平野なので、現在でも遠くに市街地のビルが見えています。 つまり、住んでいる場所は田舎だけど、ちょっと車で移動すればそれなりの都会で、正直言って丁度いい場所です。  若い頃は都会への憧れがあって、進学先は東京。流行っていた刑事ドラマの影響もあって、度々横浜にその刑事(デカ)たちを探しに出かけたりもしました。  現在は、東京でのご縁に導かれて、ひと山超えないとある程度

          わたしにとっての快適な居場所とは

          人間は 死 への存在である

          これはハイデッガーの言葉です。 キルケゴールは、信仰のあるなかで自分自身の限界とそれを超えた良心もしくは「神」としての意思の大切さと向き合ってきましたが、ハイデッガーは「無神論的実存主義」を唱えたと言われています。 確かに、自然界(生物界)は人間も含めてその運命は「死」へと向かうしかないですね。私も、いずれその時を迎えます。 けれど人間は死を恐れ、抵抗しようとします。不老不死の薬を求めていく冒険物語などもありますね。 ただ、人間がこの運命を変えることは、なかなか難しい

          人間は 死 への存在である

          私は わたしを 守りたい。

          最近、私の周囲でなされていた会話の中で 「あの子も、甘えられるようになったら、楽になれるのに…」 というのがありました。 状況としては、「少し羽目を外してふざけたことしてもいいよ」ってアドバイスした人がいて、 言われた方の子は「それはしたくないです。それをできなきゃいけないとは思いません」とキッパリ断って帰ったのです。そして、おふざけをお勧めした人が先述の言葉を呟きました。 アドバイスした方としては、少し位ふざけることができることが、心の余裕や行動の幅が広がり、本人が楽に生

          私は わたしを 守りたい。

          そのために生き、その為に死ぬことを願う真理とは

          これは、実存主義の先駆者であるキルケゴールが目指したものです。 実は、私が最も尊敬する哲学者なのです。 彼の求めたのは、歴代の哲学者が考えてきた人間全体の大きな真理ではなく、社会の中の自分が、自分である為の、たった一人の真理でした。この考えに至ったのは、画期的なことだったのではないでしょうか。 ただ、キルケゴールが求めた真理は、「その社会の中で生きていく」自分としての真理 です。キルケゴールは宗教を信じていたので、彼の「神」の前に一人で立ち、神が自分に与えた試練を受けて

          そのために生き、その為に死ぬことを願う真理とは

          わたしにある思い

          ここ数年職場を転々としている私です。 長く勤めて「骨を埋める覚悟」まで持っていた職場もあったけれど、たった一人新しい人が入ったことで空気が変わって居づらくなったり、元々一年限定で!という決意で勤務した仕事もあります。 決して行き当たりばったりではなく、人生の計画や自分の居心地や興味等を加味して、行く道を決めてきたつもりです。 そして、そろそろ履歴書を書く行為に疲れ果てたなぁ…という状態に。 ただ、実は今、15年程前に「こうなったらいいなぁ…」という職に指先を引っかけた

          私の好きな哲学の言葉:J.S.ミル「満足した豚よりも 不満足な人間のほうがよい」

          今回はイギリスの哲学者、J.S.ミル の言葉です。 「豚」って…、ちょっと戸惑いますね。でも、これは、ミルの高尚な思いからくる言葉のようですよ。 ミルは産業が発達していく時代にイギリスで育ち、功利主義を学び大成させました。この『満足した…』の言葉だけ聞けば、功利主義に反対する言葉に聞こえますが、実は…功利主義って、じぶんの利得ばかり考えるのではなく、社会全体の利益を考えていく思想だそうです。 ミルは「どうせなら、もっと質の良い快楽を!」と、高尚な精神で世の発展を求めてい

          私の好きな哲学の言葉:J.S.ミル「満足した豚よりも 不満足な人間のほうがよい」